応援コメント

32 短歌」への応援コメント

  • 懸命に打ち込んでいる姿は、ときに清々しく美しいものです。
    僕は、受験勉強が実社会に役立たないとは全く思っていなくて。知識は、須く道具。打ち込んだ経験値は、力。何処で何をどのように、どのタイミングで使うのか。ばしっと決まったときはまさに魔法みたい。しかもこれが連鎖していく!
    学生の皆さん、これから開かれる人生は楽しいぜっ!とお伝えしたいですよね!

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    受験勉強で得たものが役に立たないというのは一部の人には適用できても、たいていの人には、仰る通り、有用だと思います。なにより、何かに打ち込む姿勢が尊いですよね。
    がんばる学生の方々には、努力の先に待つ果実を楽しんでほしいと思います。

  • 久里 琳さま

    こんにちは。

    ああ、まさに今日・明日と大学入学共通テストでしたね。今年も、電車やバスの中で、駅で、大学の前で、この歌のような光景が繰り広げられているのでしょう。

    ラストスパート、英単語を繰り返すのはもはや記憶するためではなく、運を天に任すような気持のいのり、あるいはただ気持ちを落ち着かせるためのルーチーン。苦しさと同時に解放も予感させる光景です。はるか昔の自分事も思い出します。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    すごい偶然のタイミングになりましたね(^^)
    仰る通り、もはや記憶のためではなく安心のための作業なんでしょうね。祈りのようなルーチーンが心を落ち着かせるなら、そこには意味があるんだろうと思います。
    今まさに受験している人たちにも解放がはやく訪れるといいですね。

  • こんにちは。
    受験生を持つ家族が職場にいます。
    受験生のお母さんですが、ヤキモキしています。

    「三年間、頑張って来たんだから大丈夫よ」ってみんなで励ますのですが……。
    桜が咲いて欲しいなって思います。

    久里様、お優しいですね(*´꒳`*)

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    受験生のご家族は、応援して祈ることしかできないから、ヤキモキしますよね。
    このお子さんも、ほかの受験生たちも、三年間頑張った努力が実って、笑顔を家族に見せてほしいと思います。

  • 電車の中で勉強するとなぜか集中できて、私もよく参考書を開いていた記憶があります(でも暗記してもすぐ忘れる)口に出すと覚えやすいんですよね。確かに祈りの言葉をつぶやく感じと似てます。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    電車の中だと集中できるという不思議。わかります。そして、覚えようとするならやっぱり口に出すのがいいですよね。祈りのような様子を、あたたかく見守ろうと思います。

  • 久里 琳 様、こんにちは😊

    高校受験ではありますが、今年孫の一人が受験生です。
    私も日夜、神に、仏に、時には月に向かって祈っています。
    私にできることは、ただ、祈るのみです。

    受験生の姿勢が、どこか祈りに通じるような気がすると感じられる久里様にもかつてそんな経験がおありだからではないかと私は思いました。
    多くの受験生の努力が花開いて欲しいです。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    お孫さんの受験、はらはらしますね。
    当人は祈りのような努力を日々積み重ねる一方、周りができるのは本当に祈ることのみですね。
    私も含め、多くの大人が同じ経験をしてきたからこそ、その感情に寄り添うとともに、その後の人生を支える経験となるよう見守りたいと思います。
    お孫さんの受験が、良い結果になることを願っています。

  • 念仏よりもいのりの方が神秘的ですね✨
    人間は差し迫った理由がないと本気で頑張れない人の方が多いと思うので^^;、強制的に揃ってやらせる教育にも、いい面がないわけではないんですよね。どうしてもその波に乗れない事情がある人には厳しい流れですが…。
    それぞれが「あの時間は無駄ではなかった」とポジティブに受け止められるような人生を送れたらいいな…と思いますー。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    似たことをしていても、「念仏」と「いのり」とでは、受ける印象が違いますね。
    たしかに自律的に頑張れる人ばかりではないので、強制的にハードルを設けることは、教育の一つとして意味があるような気がしますね。それで社会の荒波を乗り越える力を身につけることができたなら、「無駄ではなかった」と思えるんじゃないかなと、、そうなったらいいなと思います。

  • 恥ずかしながらわたしは、いまがそういう時期であることをまったく失念していました。

    いまごろの電車内の受験生らに特有の生態(こんな言い方をすると動物みたいでその人たちには失礼なのかもしれませんが)に注目した着眼点と、それを祈りのようだという主観を交えつつも写実的に言い表したよみぶりが、御歌に生命をあたえているようにわたしは思いました。
    個人的には「低く」という表現が特にすきです。

    わたしは個人的に学歴社会に対して懐疑的です。
    しかし、学習意欲の高いひとは多いに学業に励むことができて、「すえは博士か大臣か」というふうに、社会がそのような人たちを尊敬・尊重する風潮になってほしいと一方では思います。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    祈りのように思えたことが伝わるために「低く」は大きな要素になっていると思いますので、ここに注目いただけたこと、うれしいです。
    仰る通り、日常目にするものから切り取る着眼と、写実のなかにも主観を広げるところに歌の生命があるように思います。それがなかなか簡単ではないですが、、生命をあたえているとのご評価、光栄です。
    こんな光景が見られるのは、電車の時間帯にもよりそうですね。私も受験や学歴重視というものには手放しで賛成とはいかないのですが、何かに向かって努力すること自体は有益だとは思いますね。

  • ああ、分かるなあ~、という感じです!
    電車やバスの中で英単語の本を見ては、目を上げて天に向かって言葉を繰り返していると、何か祈りの様な気分になりますね!
    そうやって英単語を唱える事は「まだ見ぬ遠い世界へ自分を連れて行って」という祈りの行為なのかもしれません!

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    「天に向かって」という姿勢が、なおさら祈りに近く感じられるんでしょうね。共感いただいて、うれしいです。
    英単語を覚えることが別のステージへ進むことにつながるのならば、仰る通り、知らずとそれは祈りの行為になっているのかもしれませんね。