応援コメント

30 自由詩」への応援コメント

  • 疲れたり困ったことがあったりすると、こちらにお伺いしたくなってしまう呪文堂です。今日も学びを頂戴しました。

    『なにを書かないか』
    これ!これなんですよ!どうやら、これが全然解っていない!全然!!なにやら浮かんだものを文字に当て嵌めちゃうと逃げちゃう。思い出そうとした瞬間に消え去る夢のように。かといって、おどおどしながらふんわり持ち上げようとすると、まるで掬えない。舌っ足らずで表せない。
    いやあ、書くって凄いことですね。桜を見ても能天気には笑えずに、溜息つきながら歩くのは学生時代以来でしょうか。

    でもまた。悩める幸せを得たともいえる!
    勉強させて頂きますっ!

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    すこしでも疲れの癒やしになったのであれば幸いです。むしろ悩みを増やしてしまったかもしれませんが、、それもまた人生と文章修行の醍醐味ですよね。
    なにを書かないか、本当に難しいですね。繊細に、でも勇気をもって大胆に削り、ぽんと置くように書く。難しいからこそ面白くて、やめられないのかもしれません。悩める修行です。
    修行する者は幸いである、、って託宣はなかったかもしれませんが、こういうことかなと思います。

  • 久里 琳さま

    こんにちは。

    ああ、けだるさを言い表すのすらもうけだるい、という雰囲気の詩ですね。仔犬のただひたすら嬉しそうな様子が、きついなあと。でも仔犬の尻尾がなくなってしまったら、この生ぬるい日曜日のけだるさもバランスを失っちゃうんでしょうね。

    「なにを書いて、なにを書かないか」、難しいです。自分には見えていても他人には見えていなかったり、自分はひとつまみのスパイスのつもりだったのに他人には辛すぎて吐き出すくらいになったりがしばしばです。

    絵画だと、ざっと一目で概観を確認できるけれど、文章はそれができず、そのもどかしさ、心もとなさが取捨選択の難しさに拍車をかけます。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    何もかも投げ捨てて消えてしまいたいとも思うけど、コーヒーの香りや時計や仔犬の尻尾がそれを引き留めている、だからこそ煩わしい、、のかもしれませんね。
    取捨選択は、ほんとうに難しいですよね。その難しいところをああでもないこうでもないと考えるのが文章の愉しみなんだとも思います。結果的に人の感覚と違ってしまうこともありますが。。

  • 物語の本筋とは一見関係のないくだりが印象に残ったり空気感を作り出したりすることもあれば、説明をしなくても読者が想像できる、あるいは想像に委ねてもいい部分ってありますね。取捨選択は難しいですが、そこが書くことの面白味ですね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    印象に残ったり空気感を作り出すような描写がしたい、と思います。想像に委ねるような描写もまた、読む愉しみを増すスパイスになりますよね。
    仰る通り、難しい点であり、同時に面白味なんだと思います。これからも、悩みつつ楽しんでいきたいですね。
    先日は身に余るほどの素敵なレビューも寄せていただいて、ありがとうございました!

  • 久里様、こんにちは😊

    「なにを書いて、なにを書かないか」の取捨選択。
    これはキーポイントですよね。
    文章をどこまで削れるか?
    それでいて、大切なポイントは外さない。
    これは結構難しいんですよね。
    つい、要らないことを書きすぎてしまう。
    読者が想像して読み取るくらいの内容がいいんでしょうね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    文章を削りつつ、大切なポイントは外さない。大事なことですよね。でも仰る通り、難しくって、やろうと思ってすぐできるってものではないんですよね。。
    読者の想像の余地を(ちょうどいいくらいに)残す……そうなるように、文章修行は続きます。。。

  • 本当に「何を書いて何を書かないか」の取捨選択って本当に大事だと思います!
    短歌でもよく言われる事ですね。全部説明し過ぎるのではなく読み手に想像する余地を残せと……。
    小説も、何でもかんでも頑張って書いてしまうと情報過多になり、内容がつかみにくく、何かが大切か分からないからストーリーを追いにくくなる、という事を実感してます。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    短歌でも言われているんですね、、って、やっぱりそうですよね。説明され尽くすと、たしかにちょっと興ざめな感じを受けそうな気がします。
    小説でも、仰る通り、たくさん書き過ぎている文章を読むと、なんだかうるさく感じて、ストーリーを追うどころじゃなくなる、、なんてことがありますよね。
    頭では分かっていても、油断するとついやらかしてしまう、、のが難しいところです。。。

  • 自由詩に苦手意識のあるわたしですが、この作品にはどこか惹かれるところがありました。
    久里さんが仰る、なにを書いて、なにを書かないか、という問題意識に関係があるのかもしれないと思いました。

    私事で恐縮ですが、わたしはコーヒーに砂糖もミルクも入れないことが圧倒的に多いです。
    春と秋はブレンド・コーヒーで、夏はエスプレッソ、冬はアメリカン・コーヒーという自分ルールみたいなものがあって、カフェ・オレのおいしい季節がやって来ないようです。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    どこか惹かれるところがあるとのお言葉、うれしいです。
    短歌・俳句は常に、なにを書き・書かないかの選別を厳しくしていますから、特に鋭敏になられているのだろうと想像します。その感受性になにか触れるものがあったのだとすれば、光栄です。
    コーヒーにも季節感、いいですね。私はブラックも好きですが、ミルクを入れることも多いです。。

  • 書くことはそう難しくない、むしろ何を書かないかの方が重要だ…とどこかの創作論で読んだことがあります。
    なるほどと思いましたが、自分でそれを考えながら書くのはやっぱり想像以上に難しいですね(^^)

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    「何を書かないかが重要」、、創作論でも言われていると、なおさら思いを強くしますね。
    でも仰る通り、難しいんですよね。センスや判断力と併せて、自制心も求められるような気がします。


  • 編集済

    いきなり自分語りで恐縮ですが……いわゆるJ-POPの、ポジティブなフレーズで人気のある曲が好きになれません。みんな一緒に光の射すほうへがんばって歩いていこう、っていうあの感じが苦手です。もちろんあの「元気をくれる、勇気づけてくれる応援ソング」に救われた人がいることは承知です。でも私はなぜかあの健全な、圧倒的な正しさを持った眩しさが苦手なのです。未来へ向かって歩いてばかりじゃ疲れる。立ち止まってもいいし、偶に後ろを振り返ってもいいやん。誰かと手を繋がなくてもいいし、ひとりでごはん食べてたっていいやん。壁があっても乗り越えようとしないで、別の道さがしたっていいやん。なんて思ってしまうのです(笑)

    友達はそれなりにいるけれど、三人以上集まると交じれない。晴れの日は嫌い。外から「人が活動している音」が聞こえるから。雑音を消してくれる雨が好き。昼よりも夜が好き。自分と似たような生き物がうごめく時間な気がするから。だから、夜を終わらせる朝が嫌い。
    この詩を読んで、そんなことをふと思いました。
    疲れてはいるけれど、たぶん病んだりはしていない。普段ふつうに生活しているまったくふつうの人なんだけど、不器用でほんの少し生きづらさを抱えている人、なんだろうなと想像しました。過去にはなにかあったようですが、引きこもりまではいかない。犬を飼ってますから(笑)

    短い詩なのに、こんなにいろいろ思い浮かぶってすごいです。いや、私が勝手に妄想しただけなのかもしれないけど……w

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    J-POP談義、千弦さんらしい!と思いました(^^) 共感するのが正義、みたいに押しつけがましく感じてしまうと、私も乗れなくなりますね。もちろん、共感できる人は共感してくれたらいいし、それでHappyになれたのなら良かったやんと思いますが。
    戦いに敗れてもぐっと飲みこまざるを得なかったり、軋轢に傷ついてしばらく立ち上がれなかったり、、生きているといろいろありますよね。
    いろいろと想像を広げていただいて、うれしいです。そこにわざわざ付言するのもなんですが、、私も千弦さんの想像に似て、壊れそうで壊れきっていない、世界に適応しづらいけれど日々戦うことを諦めていない人――を想ってつくりました。
    夜は自分と似た生き物がうごめく。だから夜を終わらせる朝が嫌い、、ここも、うわあ…さすが!と思いました。