応援コメント

26 短歌」への応援コメント

  • とても深い詩をありがとうございます。
    これは、考え込んでしまいますね。おばあさまを思えば、求めに応じ兄として接してあげたい。でも最後の時を、自分として共に過ごしたくもあり。
    慈しみと哀しみと。愛とはなんだろうと考えたくなる詩でした。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    祖母自身がそれで幸福であったのならいろんなことを忘れていったことをも良いこと、と思う一方で、孫や曾孫にかこまれる現実の幸せを共に味わってほしいとも思いますね。
    慈しみと哀しみの交わる最後の日々、、思いを馳せていただければ幸いです。

  • 久里 琳さま

    こんにちは。

    しばらくのあいだ、おばあさまのお兄さまになられていたのですね。おばあさまにとっては、お母さまやお父さまより、お兄さまの思い出が深く刻まれていたのですね。

    時を経て再び懐かしい人に会えて心から喜んでいるのに、どうしてそれを見守るこちらは喜びの気持ちだけを感じていられないんだろうな、と寂しくなることがありました。親親戚ではなく、数年前に亡くなった恩師ですが。

    素直に、今あるその人を慈しんで接することができるようになりたいものです。

    考えさせられる一首でした。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    年老いて恍惚郷に入るのは、周囲は哀れに感じても、当人にとっては幸せなのかもしれませんね。ずいぶん昔に亡くなったお兄さんと再会して、幼時の楽しい日々を再び生きているのだと思えば、むしろ祝福するぐらいが良いのかもしれません。
    苦痛らしい苦痛もなく息をひきとったのも幸いでした。

  • ああ、これは介護施設で働いていると「あるある」ですねえ……。私も赤の他人に「おかあさん」とか「お姉ちゃんと」呼ばれる事があります。名前を呼んで手を撫でて差し上げたりすると、愛しい気分が込み上げて来ます。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    介護施設だと、幼児の記憶に戻る方がたくさんおられるんでしょうね。名前を読んで手を撫でる、、おじいさん・おばあさんも嬉しかったでしょうね。お世話になるなら、こんな施設がいいなと思います。

  • こんばんは、久里様。

    初めてお聞きしたかもしれません。
    久里様の幼い頃や思春期のお話。貴重ですわ。
    いや、私が今まで知らないだけだったのかしら。

    お婆さまの愛を受けて……。
    けれど……久里様を兄と呼ぶように( ; ; )
    祖母孝行出来たこと、良かったですね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    本邦初公開の昔話でした(^^) 至らないことの多かった頃の話をすると、赤面してしまいますね。
    長く生きていればいずれ心身に衰えが来ることは、覚悟しなければいけないんでしょうね。それでも生きてくれてたおかげでいくらか祖母孝行ができて、良かったと思っています。

  • おばあ様との思い出と恍惚の人の差が少し切ないですね。僕は祖母の死を看取ることができませんでしたが、元気な顔だけが記憶に残っているので、それでよかったと思っています。久里さんのこういう個人的なお話貴重ですね。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    最後まで元気な姿を見せて、元気な顔を思い出してもらう、、そのような生涯もいいかもしれませんね。人の記憶に残ることが、幸せのひとつなのかもと思いました。
    個人的なお話に心を寄せていただいて、ありがとうございます。

  • 久里様、こんにちは😊

    おばあちゃん子だったんですね。
    曾孫を抱いたおばあ様は何より嬉しかったことでしょうね。
    久里様のおばあ様との思い出を聞いた後のこの短歌は心に沁みます。

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    実はおばあちゃん子だったんです(^^) 曾孫を抱いたときは、今から思えば頭が弱くなりかけていたんですが、それでも笑顔いっぱいだったのが胸に残っています。心に沁みるとのお言葉、うれしいです。

  • お婆ちゃんっ子ですと哀しみも一入ですね。そこはかとない輪廻を感じる歌でもあります☆

    作者からの返信

    応援ありがとうございます!
    孝行したい時に祖母はなし・・・つい、こうしておけば、、とか思ってしまいます。
    老いて幼児に還るのは、輪廻に移る準備なのかもしれませんね。