学生時代の一人旅、青森は恐山を訪ねたことがありまして。真夏。かんかんと太陽の照る風もないその日。平日のためか、他に人もなく閑散とし。鳴るのは風車の音ばかり。広がる湖が彼岸の景色を映すようで、ぼうっと眺めていたものです。『死せば無』が信条ですが、『こんな美しいものを死後と定めるとは。なかなかやるなあ』なんて生意気なことを感じ入っていたことを思い出しました。
美しい詩は、様々なものをよみがえらしてくれるようです。ありがとうございました。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
恐山は未踏です。いつか行ってみたいですね。彼岸と触れ合い、死者と会える地の、荒涼とした様子を想像します。
真夏でしたか・・・冬とはまた違った美しさなんでしょうね。風車の音、澄んだ湖面、そのうえを人が歩いて渡ってきそうな・・・。
ゆたかな追憶だからこそ、詩と響き合うのだと思います。
久里琳様
彼岸花、豪華なのに繊細な花姿が好きなのですが、亡くなった方と結びつく花と聞いて子どもの頃怖かった思い出が(;^_^A
でも花言葉には、『また会う日を楽しみに』とか『想うはあなた一人』なんて切なくも優しい想いが込められている花でもありますね。
おっしゃる通り、安らかな眠りを妨げないのもまた、故人を思う気持ちなのだと思います。霊が訪れたい時だけ訪ねてくれたら、それだけで嬉しい。
そんな優しさに溢れた歌だと思いました。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
彼岸花は、独特な姿に惹きつけられると同時に、どこか不安な気持ちになりもしますね。子どもの頃ならなおさら! 花言葉は存じませんでした。そう聞くと、違った感慨が湧きますね。
訪れたい時に訪れてくれたらうれしい。そうですよね。優しさに溢れた歌とのお言葉、うれしいです。
久里 琳さま
こんにちは。
「曼殊沙華」という字面の華やかさに、もう有無を言わさずあの赤い花を思い浮かべるのですが、実際は白色種が多い地域もあるのですよね。赤を思い浮かべるか、白を思い浮かべるかで、また味わいが全然変わるなあと思いました。
私も家族・親戚・知人を多く見送りました。読み手の経験によって感ずるものが大きく異なる一句だと感じます。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
私もまっさきにあの赤い花を思い浮かべますが、たしかに白い花もありますね。白だと毒っぽい激情がなくなって、厳粛な悲しみがあらわれるような気がします。
見送った人たちの具体的な顔や思い出が浮かぶと、また感じ方も異なりますね。