街への視察

 アーネット様が最近別荘に滞在しているのは、ここらの街の視察のためだった。


 『神聖アルファギア帝国』。世界を実質的に支配するこの巨大な国家で、ファーラウェイ家は光属性の魔法使いを多く輩出している名家でもあり、また最有力な貴族でもある。その立場の強さから広大な領地を持ち、それはかなりの辺境まで広がっている。とても全てを見て回れるような広さではないのだが、アーネット様はできるだけ多くを見て回っていた。


 俺も、一度言ったことがある。薄暗い貧民街。寿命の近い老人が道端に横たわる、その光景を、わざわざ全て見て回る必要などないのではないかと。

 しかしアーネット様はこう答えた。


「ここは、私の家の領地なのです。私には、私の領地で起こっている本当のことを知っておかなければなりません。それがどんな現実だとしても」


 数年後に、これは、富裕層ふゆうそうの貧民街散策などと言われ、やり玉にあげられることにもなってしまった。そのことを思い出して唇を強く噛む。


 今日はここらで最も栄えている街の視察に行く予定だ。俺も護衛として同行を許されていた。

 あてがわれた自室で、鏡を見て服装をチェックする。ふと、何故か開いた左目を覗き込んだ。やはり、目の奥に光が見えるような――気がする。

 あれから、夢であの悪魔には会えていない。この力について話すと言っていたのに適当な奴だ……


「グレイ! 起きてる?」


 ドアをノックする音。フレンだった。今行く、と返事をすると戸棚の中に入っている短剣をベルトに差し込む。俺は炎の属性を持ってはいるが魔法はからっきしだ。この世界でも変わっていないだろう。ずっと慣れ親しんできた剣の方が信頼できた。

 そんなことよりも今日は、暴漢がアーネット様に襲い掛かる日だ。用心しなくては。




「グレイ!」


 出発の馬車の近くに寄ると、彼女は中から軽く手を振った。

 礼を返すと、彼女は馬車の窓を開けて俺に話しかける。


「あなたは、この街については詳しい?」

「一応、ここらに住んではいましたので、何度か訪れたことは」

「あら、じゃあ呼んでみて正解だったね。グレイはしっかりしているし、この街を案内してくれると嬉しいの」


 楽しそうに話す彼女に、心がちくりと痛む。俺はいまから、わざとこの人を危険にさらすのだと思う、寒気がさした。ふところの短剣を握りしめる。馬車が、出発した。


 道すがら俺は目を閉じて過去を思い返す。

 暴漢が襲ってきたのは街中だった。強いわけではなかったが、雷属性の魔法を無差別に乱発したため、護衛たちに市民の安全を優先させたアーネット様は一瞬の隙を晒してしまったのだ。


 それを庇って俺は背中に雷の一撃を受けた。俺は背中の傷跡を勲章だと思っていたが、アーネット様は何年経っても、あのときはすまなかったと俺に負い目を感じていた。あの人の重荷にはなりたくない。今回の俺は、アーネット様にその魔法を避けさせるつもりだった。


 ついに街に入る。確か、ここから町長が出てきて挨拶をするのだ。アーネット様は社交辞令を交わし、それから街の散策に入る。暴漢が襲ってきたのは、そのすぐ後、ちょうど袋小路に入ったところだった。――何度もその光景をイメージして、頭の中で計画を立てる。俺の心臓の動悸が激しくなる。


「……グレイ? どうしました?」


 ふと気づけば、アーネット様が心配そうに俺の顔を覗いていた。


「自分は大丈夫です。それよりも、どうか気をつけて下さいね。いつどこで狙われるか分かりませんから」

「あら、心配性ねグレイ。大丈夫よ、護衛の人だってこんなにいてくれているし」


 アーネット様は振り返って、街の騎士団の四人を見る。

 じろりとその四人が俺をにらんだ。俺は肩をすくめる。確かに、俺は無駄な警戒をしているだけに見えるかもしれない。

 今の時代。アーネット様は、まだ民衆から悪辣令嬢と呼ばれているわけではなかった。むしろ、どちらかと言えば領民から慕われている立場だ。彼女の立場が悪化していくのは、これから様々なことが一気に起こって――――――


 (だめだ、集中しなくては)


 俺は自分の頬を自分で叩いた。短剣を再び確認して、馬車から降りるアーネット様の横顔を目で追う。その美しい目が青い空を仰いだ。


「今日は、いい天気ですね、グレイ」

「はい、アーネット様」


 彼女が襲撃されるまで、残り5分だ。

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