第一歩

 アーネット様を操っている超級魔法の正体も、その犯人も分からないまま一日を終えてしまった俺は、ぼんやりと廊下を歩いていた。

 夕方の日差しが窓からさしこんで来て、今日一日の授業を全てサボってしまったことを告げている。

 気付けばアーネット様の講義室の前に来てしまっていた。

 扉を開けると、何人かの生徒たちがまばらに残っていて、そして窓際から外を眺める金色が一人目に入る。

 アーネット様も残っているようだった。


「アーネット様」


 俺が呼ぶと、彼女はくるりとこちらを向いて、はじけるような笑顔で小走りで駆け寄ってきた。


! なんだか久々ね」


 久々――――ではない。彼女とは今朝会っている。


「久々、ですか」

「ええ、なんだか最近会う機会が……あれ?」


 彼女は首をかしげる。


「おかしいですわね、最近グレイと会話をした気が?」

「いや、気のせいでしょう」


 これで分かったことがある。彼女は操られている間の記憶が曖昧あいまいだ。

 そして今の彼女は、操られていない。平常状態の彼女だった。

 そこであることに気付いた俺は、アーネット様と会話を続けながら心の中でサタンに呼び掛ける。


(サタン! おいサタン!)

『なんだよ……寝てたんだぞ私は』

(すまん、怒らないでくれ。今、アーネット様から「濁った魔力」は感じるか?)


 俺の言葉に、サタンはしばらく唸っていたが、すぐに言葉を返す。


『ほとんど感じない……と言った所か。洗脳は解けてるな。残滓ざんしだけは残ってる……気もするが』

(本当か! その残滓っての、辿れたりしないのか?)

『ふむ、なるほど。ちょいと待ってろ、試してやる』


 そう言って引っ込んだサタン。俺は頼んだ、と言うとアーネット様との会話に戻る。


「寝不足かしら……最近、記憶が曖昧だったりするの」

「それは、確かによく寝たほうがいいですね」

「あと、これはよく分からないのだけれど……近頃、皆さまに置かれるようになった距離が遠くなった気がしますわ」


 少し悲しそうな顔をするアーネット様に俺は唇を噛んだ。彼女を悲しませるやつは俺が許さない。

 と、そこでやっと俺は重大なことに気が付いた。一人目を見開く。アーネット様の評判を落とすことが目的。それはまさか……

 突然態度を変えた俺を心配したアーネット様が、大丈夫かと声をかけてくれる。


「俺は……大丈夫です。アーネット様も寝不足でしたら、今日は早く帰って寝た方がいい」

「そう、ですわね。今日は仰る通りにしますわ」


 講義室を出る彼女を見送って、俺は一人で考える。


 ……アーネット様の人柄は、俺がよく知っている。人を蔑むことや差別などはしない人だった。そんな人が、何のいわれもなく悪役令嬢と、何故前世で罵られていたのだろうか。

 俺はそれを民衆の勝手なイメージだと思っていた。だが、そうではないのだとしたら。

 魔術学校に通っていなかった俺では知りえなかった、「外」での彼女が悪人としての振る舞いをしていたのだとしたら。

 前世でも、ずっと彼女はこのように操られていて、その結果悪人としてのイメージが染みついたのではないだろうか。

 

 このカンニング騒動は、思ってもみなかった方向に俺を導いていく。

 だが俺の推測が正しければ、少なくとも……「本当の犯人」を見つけることは、あの未来断頭台を変える第一歩となるはずだった。

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