新生活1

 俺は夢の中にいた。あたりは真っ黒な空間で何も見えない。


『……おい。やっと全て思い出したな小僧』


 振り返ると、漆黒の角に、長い尻尾を持つ、悪魔の少女が足をくんで座っていた。


「お前は。あのとき会った悪魔だな?」

『そうだ。お前にこの能力を授けてやったのは私だろ、色々忘れてたらしいがな』


 俺は自分の手を見つめる。頭の中で、昨日のアーネット様を思い描いて、拳を握った。


「この記憶はやっぱり本物だよな」

『それはお前自身が一番よく分かってることなんじゃないのか?』

「それもそうかもしれない」


 この怒り。身を焦がす激怒が、偽物であるはずはなかった。


「教えてくれ。これは一体なんなんだ!」

『まあ落ち着けよ。それに関してはおいおい話すさ。とにかく今お前がいるのは、正真正銘、おまえがあの令嬢サマと出会った当日だぜ』

「つまりアーネット様が……生きている」


 歓喜に胸が躍る。しかし、俺はすぐに気が付いて青ざめた。


「待て……時間は戻った。でも、戻っただけだ」

『察しがいいな、その通りだ。このままだと、あのお姫様はどうせ革命の餌食えじきになって処刑される』

「そんな………!?」

……っと。時間か』

 

 暗闇にだんだんと刺してくる光と共に、黒い少女の姿が薄れていく。


「ちょっと待ってくれ! まだ聞きたいことが」

『おいおいだ、おいおい全て話してやる。今はまあ、状況に慣れるこった――』




「ちょっと待てよ!」

 

 がばりと起き上がってそう叫ぶ。

 倉庫のような部屋のベッドで、俺は寝かされていた。


「今のは、夢か」


 そう呟くと同時に、大きな違和感があって、驚いた俺は左目のまぶたに触れる。ずっと開かなかった左目が、開いていた。

 よろよろと起き上がって、鏡の前に立つ。左目の奥。小さくダイヤモンドのような輝きが見えていた。ぼんやりとした頭で、それをよく見ようと鏡に近付く。と、そのとき。


「起きたな、アールグレイ」


 ドアを乱暴に開ける音と共に、一人のメイドが姿を現す。まだ少女と言ってもいい年齢の、彼女の名前は「フレン」。が、


 俺にはアーネット様の元で働いた記憶があった。そうだ、ここはアーネット様の別荘のうちの一つだ。


「お嬢様は特例で、お前が回復するまでこの屋敷で働くことをお許しになった。あの方は本来平民が見ることもかなわないような高貴なお方なのだ、寛大な心に感謝しろよ」

「……分かりました。しばらくは働かせてもらうことにします」


 俺がそう言うと、彼女は鼻で笑った。


「ずいぶん物分かりがいいな……。まあいい。お前にここでの仕事を教えてやる。私は先輩だからな、みっちりしごいてやるから覚悟しろよ」




「まずは服装だ。召使とはいえ主人の前で正装は必須だからな」


 フレンに連れられて、俺は更衣室に来ていた。渡されたのは、子供用の礼服だ。


「お前に会うサイズの正装を用意した。お前は見たこともないようなものだろうから、特別に? この私が着付けを手伝ってや――」

「いや、大丈夫です」

「お? そうか……?」


 初めての後輩に指導するチャンスを失って残念そうにするフレンを置いて、俺は一人で更衣室に入ると、すぐに執事の礼服を着て出た。


「妙に手馴れてるな……お前、何者だ?」


 フレンの変な顔に、自分がまずいことをしてしまったことに気付いた。


(そうか、俺は10歳かそこらの少年な上、貧民街から助け出されたところだ。礼服の着方なんて、7年も執事をしていれば身に染みついているけど……)


「いや、これはただ……たまたま知っていただけで」

「ま、まあそうだな。お前は部外者な上、子供だ。他は掃除だとか、雑用だとかになるだろうから、そこまで気負う必要もない」


 掃除も雑用も、それどころか執務しつむも一通りの経験はあるが、ここからは下手に動けないな。

 と、そこで俺たちに声が投げかけられた。


「あら、フレンに、アールグレイ。おはようございます」

「……お嬢様! おはようございます」


 かしこまるフレンとは打って変わって、俺は、アーネット様の姿を見て歓喜に震えていた。

 生きている……彼女が、この世界で息をしている。その感慨は胸に押し殺して、俺は深く息を吸って、挨拶を述べた。


「……おはようございます、アーネット様」

「あら、そうかしこまらなくてもいいのに」


 微笑む彼女に、フレンが言葉を発する。


「お戯れを、お嬢様。この者は平民な上、仮の召使です。一通り読み書きが身に付けば、また平民に戻るのですから、一線を引いておくのは当然のことです」

「そう? 私は、アールグレイさえ良ければ、このまま召使を続けてもらっても構わないと思っているわ」


 軽やかに話す彼女。俺はこの世界で、やることは決めていた。


「まだ分かりませんが、お嬢様には命を救って頂いた恩があります。もしもそうなれば、この命を尽くしてお仕えしたいと、思っています」


 うつむいたまま、俺は唇を噛む。そうだ。俺は今度こそ、この人を最後まで守り切る。も命を救ってくれたこの人を――

 たとえ、この人を本当に悪役にしてしまっても。俺はこの人を死なせはしない。


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