記憶を取り戻すと
「……メイド。この少年の傷を手当してあげて」
話す気力もないまま屋敷に着いた俺を待っていたのは、侍女たちの視線とその洗礼だった。
手当をほどこされた後、俺はすぐに風呂に入れられ、身体をまるまる洗われた。擦り傷にシャンプーが染みて痛かったけれど、俺は抵抗もしなかった。
「アーネット様の気まぐれにも困ったものですね」
「突然こんな子供を連れ帰ってきて、何をお考えなのでしょう」
「しかもこの子、左目が完全に開いていません。隻眼ですね」
(アーネット。……アーネット、か)
周りの侍女たちの話の中で、アーネット、という単語を聞き取る。なぜか懐かしく感じるその名前について深く考える暇もなく、俺は風呂から出された。
次に連れていかれたのは食卓だった。見たこともないような
「立ち上がれるようになりましたのね。初めまして、わたくしアーネット・サン・ファーラウェイと申します」
「は、はじめまして」
貴族を見るのは初めてだった。緊張しながらそう言葉を返しつつも、目は食卓の上の旨そうな肉に吸い寄せられる。
まともな食事すら久々だった俺は既にその皿の上でいっぱいだった。
彼女はその様子を見てくすりと笑う。
「お邪魔してしまいましたね……また落ち着いたら、お話しましょうか」
その人が部屋から出た後、俺はすぐに食卓に座る。ステーキを慣れないフォークで口に運ぶと、その肉汁が舌の上で踊った。俺は夢中になってそれを完食する。
食事にありついた後、初めてふかふかのベッドを用意された俺は、そこに横になるとすぐに寝入ってしまった。
翌日。目を覚ますとベッドの
すぐにメイドが、「アーネット様がお呼びです」と扉を叩いた。
俺は無言でそれに従い、渡された平服に着替えると、そのメイドの後に続いてある部屋に辿り着く。
「いらっしゃい。立ち話もなんですから、お座りになって」
高そうな家具が多く置かれた部屋の窓際に、彼女は静かに座っていた。
ティーカップの中には赤茶色の液体が注がれていて、その前には椅子が一脚置かれている。
ここに座れ……ってことなのかな。
「アーネット様! こんな何者か分からないような者と、同じ机を囲むなど」
横の執事が、
(綺麗な目だ。まるで、心を見透かされるみたいな)
彼女の目に見入っていた俺は、無意識のまま椅子に座った。彼女は満足そうに微笑を浮かべて、ティーカップを持ち上げる。
「紅茶です。お飲みになって」
俺は言われるがまま、目の前の液体に口を付ける。と、これまで飲んだことがない味だったそれに仰天した俺は、ゆっくりとそれにもう一度口を付けた。
知らない味わいだ。だけどなんだか懐かしい気がする。
と、少女がその様子を見てくすりとほほ笑んだ。俺はすぐに恥ずかしくなって、そっとティーカップを降ろす。
「お気にめしていただけました?」
「はい――美味しいです」
「それはよかった。……ええと」
彼女は困ったように眉をひそめる。
「あら、お名前を伺っていませんでしたね。あなたはなんと?」
「俺、俺は、名前はありません。名もない頃に親を失くしていて」
「そうですの……では」
彼女は一瞬少しつらそうな顔をしたが、すぐに考える素振りをした後、俺とティーカップを見比べて言った。
「この紅茶の銘柄、「アールグレイ」。それに私の苗字を、仮として差し上げます。『アールグレイ・ファーラウェイ』。落ち着くまでそう名乗るといいわ」
「お嬢様! このような平民に、貴族の姓をお与えになられるなど、限度が」
その言葉に激高した執事が声を荒げた、その瞬間。
「あ……ああ……!」
俺は思わず
思わず立ち上がる。それに驚いた顔の執事とアーネット様をよそに、俺は溢れんばかりの情報の濁流にもみくちゃにされていた。
『グレイ。紅茶を淹れるのが上手くなりましたね』
『グレイ? 全く。真面目になってしまったんだから』
『アル…………ごめんなさい、こんなことに巻き込んでしまって』
『アル。私はおそらく殺されるでしょう。あなたは、どうか逃げて……』
それは……一つ前の、この世界の記憶。アーネット様に仕え、そして彼女が処刑されたときの、その怒り。あの日、貰った名前とともに、全てを思い出した俺の頭の中で声が響く。
『その
遠い過去に潰れてしまってずっと開くことのなかった左目が、変に疼く。そのまま俺は気を失った。
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