初めての襲撃

「おお! ようこそいらっしゃいました、アーネット様」


 丸々と太った町長が挨拶に出てくる。趣味の悪そうなネックレスを下げた彼は、護衛や召使などには一瞥もくれず、アーネット様に丁寧に頭を下げる。


「この街は、経済力を発展させるため多くの条例を発布し、商人たちが多く訪れるようになりました。ご覧ください! この美しい風景を!」


 美しいレンガ造りの建物に、美麗な噴水や、市民のための広場。この街は確かに綺麗だったが、その積み上げられたレンガは、貧民街の人間の血肉をいしずえに建てられているのだ。貧富ひんぷの差が拡大し続けるこの街の構造は、今のこの国のようで、寒気がした。

 アーネット様は、貧民街の方向をちらりと見て、何かを言いたげだったが、それを飲みこんで、「ええ、はい。ぜひ視察させて頂きます」とほほ笑んで言った。


 馬車が街の中を進む。俺たち護衛はそのそばを歩きながら続いた。人々は窓や道から、そのパレードに喝采をあげていた。


「あれがアーネット様かぁ。今の領主はなんもしてくれないけど、その娘はどうなんだろうな」

「しっ、もし聞こえたらどうする。極刑じゃすまないぞ」


 小さく聞こえたその声の方向を俺はにらむ。男二人が気まずそうに目をそらした。小さな不満の種は、ずっとくすぶっているらしい。

 馬車が大通りに入った。この道を真っすぐ進んで左に曲がったときだった、以前暴漢が現れたのは………


「てめえ……てめえのせいで、おれは」


 ふと、道の脇でぶつぶつと何かを唱えている、薄汚い服の男が目に入った。ちらりと、嫌な予感がする。その予感を証明するかのように、男はおもむろに右手を空に掲げた。


「【サンダー】ッッ!」


 直線状に雷撃が迸る。雷属性の魔法、サンダーが発射された。まわりの市民たちは、突然のことに悲鳴と混乱をまきおこしてパニックになる。


「どうしました!?」

「アーネット様! ただいま、市民に向かって魔法を撃った男が……!」


 アーネットが叫び、護衛の男はしどろもどろに答えを返す。しかし、混乱しているのは俺もだった。


 (どうしてだ! 以前は、もっと先だった! 記憶違いじゃないはずだ!)


「私は構いません! 市民の安全を最優先に、その男を捕らえて!」


 アーネット様の指示で、護衛の四人はわらわらとサンダーを乱発する男から、市民を避難させる。


「おれは……! おれには、魔法の才能だけはあったんだ! なのに、なんでおれは、貧民街産まれってだけで、こんなボロ雑巾みたいな目にあわなくちゃならない!! 貴族も、平民も、みんな死ねえ!」


 護衛の一人と取っ組み合いになりながら、わめく男の目が、ぎょろりと馬車の方を向く。そこでやっと正気に戻った俺は、「アーネット様ああ!」と叫んで手を馬車の方に伸ばしたけれど――――。一秒の差で、俺は、間に合わなかった。


「死ねえええ、貴族!!」


 全てがスローに見えた。男の手から放たれた雷は、吸い込まれるように馬車の窓を突き破って、中のあの人の胸に突き刺さった。あの人は苦しそうにうめき声をあげて、ずるりと椅子から転げ落ちた。


「わああああああああああ!!!」


 俺はなかば半乱狂になりながら、馬車の扉を破って中に入る。アーネット様を抱きかかえると、彼女は薄く目を開いて俺を見た。


「……グレイ? そこにいるのはグレイ?」

「そ、そうです、アーネット様。い、今治療を」


 震える指で、アーネット様を馬車から降ろそうとすると、彼女は俺の服を掴んで止めた。


「わたしは……もう、ダメでしょう」

「そんな……はずはない、俺は、俺は」


 ふと、アーネット様を抱きかかえていた自分の手のひらを見る。赤く染まったその手が、どうして赤いのかわからなかった。雷の魔法をその薄い身体で受けて、何もないはずはなかった。あの男のサンダーは、彼女の体を貫いてしまっていたのだ。


「俺は、あなたを護るために……ここまで」


 赤い手に、涙がぽろぽろと零れる。手の内で零れ落ちそうになる命を、必死に繋ぎとめようと手に力を込める。


「……グレイ。あなたが悪いわけではないのです。どうか、気に病まないで。こうなる運命だったのです、きっと……」


 (違う。こうなる運命ではなかったはずだったんだ)

 後悔の念がおれを責める。知っていたはずなのだ、もっと注意していればよかった、あのときああしていればよかった……


「……ル。アル、グレイ……道端で倒れ伏す、あなたを見つけたあの日。私は、決めましたの。子供が飢えない国を作ると。あなたを助けて、私は」


 と、意識が朦朧もうろうとしているらしいアーネット様がごほごほと咳き込む。慌てて背を支えると、彼女は手に吐血していた。血の気が引く。彼女の命が、失われていくのを感じる。


「わたしは、この国で、力を持つ貴族の娘として。やらなければならないことがあると決意したのです。それが果たせないことだけが、心、残り……」


 彼女は、そこまでで言葉を止めた。


「……アーネットさま?」


 呆けた声で彼女を呼んでも、もう彼女は返事をしなかった。

 その瞬間に俺を強く襲ったのは……「怒り」だった。

 自分への怒り。俺が余計なことをしたせいで、彼女はここで死ぬはずではなかったのに。こんな自分のせいで、彼女を死なせてしまったことが許せなかった。

 ひどい頭痛がする。片頭痛だった。目の奥が、――左目の奥が、じくじくと灼くように疼く。その痛みをこらえ切れず、絶叫しながら空を仰いで左目を抑えた。


『―――ようやく、二つ目の「怒り」を手にしたな』


 どこからか、そんな声がした。

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