深層探索
だだっ広く、白い空間の中。
アールグレイは目を覚ました。
「ここは……」
『おう、よく来たな坊っちゃん。あんたなら入れるかもと思ったが、うまくいったね』
「その声はレヴィアタンか。ここはどこ?」
『ここはココアの深層意識の中。今はココアには眠って貰ってるから、あの子にとっては夢みたいなもんだ』
周囲を見渡すと、白い空間に映像が浮かんできた。
孤独に過ごした幼年時代。貴族の子女にこづかれる場面。そして、アーネット様を見たときの強烈な嫉妬心。
『おお、こいつはまたすげえな』
共に来ていたサタンの声とともに、直接その感情を受けて、俺はその底なしの嫉妬心に驚いた。
「これは……」
『あの子の嫉妬心は暴走してる。以前まででも人一倍には強かったが……他人に危害を加えるまではしなかった。何かに強制されてるみたいに、今はアーネットへの憎さ数十倍だ』
ちょうどそのとき、俺の背後でジジ……と嫌な音がした。
振り向くと、謎な真っ黒なスペースがノイズがかかったかのように存在していた。
『あたしもここに入れたのは初めてだけど、やっぱりこんなのがあったのね』
「この不気味なのは」
『どうもこうも、こいつがココアの意識の中のブラックボックス。彼女を苦しめる原因のはずよ。他者に植え付けられた偽りの感情……どんな奴がこれをやったのかは、あたしですら思い出せないけれど、許さない』
俺は目を凝らしてその黒い世界を見つめるが、ノイズが走っておりその奥を見ることは叶わなかった。
「どうすればいいんだ」
『そうさね……ココアの中で、彼女と様々な経験をしてきた私の体感だけど』
レヴィアタンが顎に手を当てながら話し出した。
『人の記憶ってのは、それ単体で存在してるものじゃない。過去の記憶と繋がってるものよ』
「それは確かにそうかも」
『だから、ここへと繋がる記憶の断片を一つずつ辿って行って、このノイズの奥に踏み込む。あたしも手伝うわ』
「それしかないか……やってみよう」
俺は近くにあったビジョンに向かって一歩踏み込む。
その途端、身体が浮いたような感覚とともに。
いつの間にか俺は一人で見知らぬ学校の廊下に立っていた。
少し混乱するが、そのぼやけた景色に、ここは彼女の記憶の中だと気付く。
廊下の先。少女の泣き声が聞こえた。
木製の床を踏みしめて歩く。差し込む夕日が嫌に眩しい。
そして俺は鳴き声の声の主の前まで来た。眼前で泣き続けている、小さな紫の髪の少女の前でかがむ。
「……なぜ泣いてるんだ?」
「おとうさんと、おかあさんに、もう会えないの」
「……そっか」
「他のみんなはみんな、おとうさんもおかあさんもいるのに。なんで、私だけこんななの?」
顔を上げた彼女。その紫のくるりとした目には涙がいっぱいに溜まっていた。
ぱ、と劇場のスポットライトが切り替わるかのように、少し成長した彼女が教室で一人で佇んでいる光景に変わる。
彼女は自分の机の前で静かに立っていた。
机には、ココアと名前が書かれた、ぼろぼろにされた魔導書が置かれている。そこには、魔力もないのにこんな本読むんじゃないよバーカ。と書かれたメモが挟まっていた。
彼女はそのメモをくしゃくしゃにすると、「……自分が一番、よく分かってるよ」と言うと、それをゴミ箱に投げ捨てた。
エンヴィーキャットワークという力を身に付けてなお、彼女の自己肯定感はそう高まることはなく、周囲の人間へのコンプレックスを抱きながら生きていた。虐められることはあっても、それを能力でやり返すこともなく、時折他人に乗り移って、ひとときの「幸福な生活」を楽しむ。彼女はそのためだけにECWを使っていた。
ぱ、と次々に世界が切り替わる。彼女の意識と記憶が流れ込んでくる。
それはどこか懐かしい。俺には関係ないはずなのに―――
(ああ、そうか)
俺がはっきりとココアを憎めない理由が分かった。
初めて出会ったときに、ふと思ったように。
俺と彼女は、よく似ていたんだ。
強い願いを、悪魔に魅入られる程抱いた感情を。
彼女の意識の中で、彼女の孤独が身に染みるようだった。
そして、次々と彼女の人生を追体験していった中で。
魔術学校に入学する直前。
彼女が手ひどく、貴族の子女に絡まれたとき。
灰色の髪の少年は、現れた。
彼は見ず知らずの他人のために、子爵令嬢を相手に啖呵を切る。それがどんな危険な行為なのかは知っているはずなのに。
そして彼は近づいてきて、手を差し出して言った。――――大丈夫?
ココアはその手をぼんやりと眺める。この人は……なぜ、何の価値もない自分なんかを助けたのだろうか。
彼女の心に芽生え始めた、嫉妬心以外の感情は、すぐに彼が何者なのかに気付いて激しく崩れることになる。
――――ファーラウェイ。あの日見た、アーネットという少女の専属執事。それが目の前の彼だった。
あの娘は、私の全てに勝っていて、この世界の全てを持っているのに、私を始めて助けてくれたひとでさえ、あの娘のものだというのか。
その感情が彼女の中で生まれた。そしてそこに――――黒い、謎の記憶が挟まれている。きっとこれは、彼女に生まれた嫉妬心につけこんで、他の誰かに作られたブラックスペース。そこで彼女本来の意識は途切れている。
その真っ暗な記憶の中。佇んでいるのは、現在のココア・シュガーユーだった。
彼女は、その世界に踏み込んだ俺に目もくれず、うずくまって俯いている。
「……ココア・シュガーユー」
「なにしにきたの、アールグレイ」
冷徹なその声は、俺と話す気なんてまったくないと言いたげだった。
「きみと、話をしにきた」
俺は彼女の前に立つ。そんな俺を、彼女はきっと睨んだ。
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