第2話完 仁恕も才
遺想物の正体を確かめた二人は壺を一つずつ蔵の外に運び出す作業に移った。その頃には居間にいた人々も朝食を終えていて、蔵の周りに集結していた。ただそこに枝付子と杜千の姿はなかった。もしかしたら、刺激が強い可能性を踏まえて父母が中にいるよういったのかもしれない。
「これが呪いの正体ですか……」
なみなみ水の入った壺を観察し、宝は「なんでこんなものが」と困惑を口にする。最後の一つを運んできた撤兵はその疑問に答えられず首を傾げるが、先に蔵から出ていたナゲットには見当がついているようだった。
「豪司氏は自分以外を信用できなくなっていから、蔵に財産を隠していたんですよね。そのときなにがあったか正確なところはわかりませんが、『取るな、取るな』と声が聞こえたことを踏まえると、その財産は彼の知らないうちにどんどん消えてしまっていたのかも。でも彼は使った覚えがない、持ち出した覚えもない。夜中蔵を見張っていたこともあったかもしれません。けれど金は減り続けていった。豪司氏にはもはや『取るな』と空に向かって叫ぶしかなく、その声を壺は覚えているのかもしれませんね」
ん? と撤兵は内心唸った。財産を失いたくないという気持ちと裏腹に、金さえなければと金を憎んだ思いが壺に染みつき、それによって壺は金を水に変える遺想物となった。減り続ける声にたしかに豪司はパニックになって「取るな」と叫んだかもしれないが、その声は大した問題ではない。大切なのは豪司を狂わせたのが、金を水に変質させる壺であるという部分のはずだ。ナゲットは大事な部分をあえて宝に伝えていないように思えた。実際、宝は思いつめた表情で
「知らなかった。親父が泥棒にあってたなんて……。たしかに、そう考えれば納得がいきます。二度も財産を奪われたら、誰だって呪いの一つや二つかけたくなる」
とどこか的外れな感想を漏らしている。撤兵は不審に思ってナゲットに視線で訴えかけるが、彼はこちらを一瞥もしない。仕方がないので輪から一歩外れた場所にいるBBQの所へこっそり近づく。
「なあ。あの壺、金を水に変質させる壺なんだよ。なんでナゲットさんはそれを伝えないのかな」
小さな声で問いかければ、BBQは前を見据えたまま答える。
「いつもそうだよ。遺想物の存在を知らない人らからしたら、そんな話は信用できないだろう。だからあの人の説明はいつも、依頼主が受け入れられる程度に留めるのさ」
「なんだ、そういうことか」納得のいく回答を得た撤兵はまたこっそり元の位置に戻る。
「まあ心を痛めていたようですから、そもそも泥棒ではなくて自分で使ってしまっていたのかもしれませんよ」
「ああ、そうか……。たしかに僕が戻ったとき既に、親父は普通じゃなかったからな……」
「真相は故人にしかわかりませんけどね。それじゃ、さっそくこちらいただいていきますね。あ、水は外の溝で流していきますね。害はないはずなので安心してください」
家族の感傷に寄り添う間もなく、ナゲットは壺を抱えると門の外に向かおうとする。
「え?もうですか。お礼もまだなのに」宝は歩き出すナゲットの前に立ちはだかるが、その脇をすいーっとすり抜けてナゲットは行ってしまう。「いいんですいいんです。僕にはこれが礼みたいなもんですから。ほら撤兵君なにしてるの。壺の水を捨てて車に運び込んで。BBQートランク開けといてー」
「はぁい」「へいへーい」
すっかり帰宅ムードの三人だったが、偉そうに指示を出していたナゲットは水を抜いた壺を一つトランクに置いたところで、「あ」と硬直。それから夫婦に向き直ると、
「忘れ物をしました!ああいや、大丈夫です。ちょっと自分で行ってきます」
早口でいって家の中に走っていってしまった。
「げっまたあの人自由行動かよ!」
身の丈の半分ほどもある大きな壺を抱えて叫ぶ撤兵を他所に、BBQは運転席に乗り込んだ。
「さて、どこにいるかなあ」
一人邸宅に戻ったナゲットは、我が物顔で廊下を歩くとまず客間に向かった。ひとりごとから察するに、忘れ物というのは嘘っぱちなのだろう。
「あっ。杜千ちゃん、いたいた」
客間に入ると、そこには杜千がいた。障子を数センチ開け外の様子を窺っていたらしい彼女は、大きく肩を震わせた。「お、お兄ちゃん」
「いやあすぐ見つかって良かったよ。いつまでも家の中を歩き回っていたら不審者になってしまうからね」
そういいながらナゲットは杜千の傍でしゃがみ込む。杜千の手には、撤兵が貸してもらったというかのステッキが握られていた。ナゲットはそのステッキを指さすと、
「僕はちょうど今、君のお父さんとお母さんを助けてきたんだ。ご褒美にそれくれない?」
ここに撤兵がいたらドン引きしていたことだろう。いや、撤兵に限らず年端も行かない子供に「親を助けてやったから礼よこせ」と強請るような男など最低どころの話ではない。哀れ、理不尽なカツアゲに遭った杜千は迷った末に「いいよ」とステッキを差し出してしまった。ナゲットはひったくるようにそれを受け取り声を弾ませる。「ありがとう!」そしてこれを受け取ったらもう用はないといわんばかりに立ち上がる。どこまでもゲスな男だ。
「あ、そうそう」客間を出る寸前にゲットは杜千を振り返った。
「君ね、あと一週間ほどしたら、わがまま再開するといいよ。もうどこも痛まないはずだから」
「えっ……」
「じゃあね」
襖を勢いよく開けナゲットは部屋を出る。忘れ物を回収した今、彼がこの家にいる理由はない。短気なメイドが痺れを切らす前に戻ろうと玄関の方に歩いてゆく。
「――若い方」
上がり框に腰を下ろしたナゲットを呼び止める者がいた。
「あなたも、取りますか」
ナゲットはやおら声の主を振り返る。薄暗い廊下に立っていたのは枝付子だ。気配もなく、生気もないその姿は、身も心もすり減った残り滓が集まってできているようだった。
「おやまあ人をそんな鬼畜のように。あなたが奪ったんでしょう」
綺麗な笑みを浮かべていうナゲットに、枝付子の表情が初めて変わる。強張ったその顔からは、悔いのような、はたまた憤りのような複雑な感情が読み取れる。
「あのステッキ、あなたのですよね。綺麗に保管されていたのか状態はいいですが、随分昔に流行った玩具のはずです。栃千ちゃんへの誕生日プレゼントですか」
「……ご存知でしたか」
「知り合いにメーカーの関係者がいるもので。あなたがどんな惨めな人生を送って来たのか、知りたくもありませんが、枯木の恨みは恐ろしいですね。あんな幼子にも、口をつぐみ、頭を垂れることを強要するんですから」
それは確信を持った悪意の確認だった。しばらく黙ったあと、枝付子は口を開いた。「私の人生は、」
「私の人生は、すべて人に費やしてきました。結婚するまでは、父に。そして結婚してからは、夫に。女三界に家なしとはよくいったものです。父に従い、夫に従い、身も心も他人に捧げることを当たり前に生きてきました。そうしたかったからじゃあありません。女はそうしなきゃ生きられんのです。けれど満留さんは違った。宝に尽くしながらも自分の人生を歩んでいて、きらきらしていて、私を暖かく迎えいれてくれた。私に費やすのではなく、自分の意思で。杜千もそうでしょう。あの子も満留さんのように自分のために自分を使う人生を歩む。そんな二人は、眩しくて、眩しくて、私もどうにか応えてあげたかった。けれど…………私には無理でした。私の人生は……」
お若い方。一体、私はどうしたら良かったんでしょうか。絞り出すようにいい、老婆はまた口をつぐむ。自分の人生を諦めた老婆が、最後に望むのは物でも自由でもなく、自分より一回りも二回りも若い男の言葉らしい。一人の人生の総復習ともいえる質問に、彼が紡ぐその答えは――
「さあ? 僕に聞かれても困りますよ。アナタのような人が輪廻転生の輪から逃れられるとは思えませんし、次は女王蜂かコモドドラゴンにでも生まれ変われるといいですね! それじゃあ」
あっさりいい放ち、ナゲットは玄関を出ていく。ピシャリと閉まる玄関扉の音が、日の射さない廊下に大きく響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます