5 挨拶 

 安納の案内によって連れ来られたのは、広場より少し高台にある一軒の平屋だった。案内されるまでに見た民家と比べると多少立派で、生垣が囲う敷地も広い。村長と聞いて河鹿島村かじかじまむら成富邸なるとみていのような家を想像していた撤兵は内心がっかりした。――なんだ、田舎のばあちゃん家とそう変わんないじゃん。

 村長は縁側にいたはじめは藁の塊が置いてあるのかと思ったが、近づいていくとそれが小さな老婆であることに気づく。老婆は藁の束を片方だけ留めたものを笠のように被っていて、古びた布きれを赤ん坊のおくるみのように幾重にも体に巻き付け、紐で縛っていた。なんとなくキジムナーのようだな、と撤兵は思った。誰が話しかけるのかと撤兵が周りの様子を窺っていると、こちらに視線も寄こさないまま老婆が口を開いた。

「そこの子は……さっき村の者が騒いでいた子かい。巳妃をたぶらかしたとかなんとか」

「してないっすよ!」咄嗟に撤兵は否定する。「俺はこの村に来るの今日初めてだし、あの子と合ったのも今日が初めてですっ。たしかに俺のことを気になってる感じでしたけど、それはあくまで俺がイケメンだから食いついてきただけです!」

 火あぶりにされかけたのが相当恐ろしかったようだが、誤解を解くための弁舌が間抜けすぎる。斜め前にいたナゲットたちが一斉にコソコソ囁き合う。

「弁解したいんだか自慢したいんだか分からないよ」「すごいいいわけね」「こういうとこが女難を呼ぶのかしら」「うるさいうるさいっ!」

「くっくっく。冗談だよ。それでお前さんたち、一体なにしにこの村へ来た……」

 老婆はしわくちゃの喉の奥で笑い、そう尋ねる。答えるのはナゲットだ。彼は胡散臭い微笑みを張り付けると、村長に向かって一歩進み出る。

「不思議なモノがあると聞いたので、それを見せていただきたいんです」

「不思議な物?」

「ええ。この村には人を狂気に至らしめる、不思議なモノがあると聞いてます。それをぜひ見せていただきたいんですよ」

 モノ、というのは遺想物のことだろう。好奇心を抑えきれないナゲットに対して、老婆はあまり気分が良さそうではなかった。

「ああ……そのことかい。あまり村の外の者に話すことではないんじゃが、灯籠蜜先生の知り合いならいいだろう。そうさ。うちの村では代々山神様に嫁ぐ花嫁を決めて、ここより北の高台に作った閨に送り出すんじゃが、その嫁たちがここ数年は全員が嫁入り中に気を違ってしまっている。花嫁を選ぶのは代々村長の仕事じゃから、気の触れた者たちは当然わしが選んだ花嫁じゃ。それがあんなことになって、わしは御洗い様に申し訳のうて申し訳のうて敵わんのじゃ……」

「それで? モノの正体は分かったんですか?」追及するナゲットにしおれる老婆を心配する素振りは微塵もない。

「いや、まだじゃ。お前さんがどこからそんな話を聞いたのか知らんが、そもそも物かどうかも分かっとらん。最近じゃあ昔と違って、女が男の仕事にまで手を出すようになっているきとるからのぉ。昔と違って心の弱い女が増えたから、山神様の神聖なお姿を見て心が壊れてしまったんじゃないかという者もいる。他にも、なにか悪いものが入り込んでいて、山神様に嫁がせるための嫁を横取りして惑わせているんじゃないかという者も。だからこうして灯籠蜜先生を呼び、なにが嫁を狂わせているのか調べてもらっているんじゃ」

 村長の説明を聞いて、ようやく撤兵は自分が禍神呼ばわりされた原因を理解した。元々不吉なものが入り込んでいるんじゃないかと疑心が募っていたところに、この絶世の美男子が来てしまったのだ。火あぶりにされかけたのは許しがたいが、なるほど誤解するのも仕方ない。一人納得した顔で頷く撤兵をBBQが不審げに見ているが本人は気づかない。

「村長、ひとまず彼らは私の弟子として、先ほど逃げてしまった学者先生の家――元家に泊めようと思います。よろしいですか?」

 話がひと段落したところで灯籠蜜が手を挙げた。村長は彼のことを信頼しているのか、それまでは引き結んでいた唇が、灯籠蜜を見た途端にやんわり弧を描く。

「それは良いが、先生。あの罰当たりの家におったら、皆呪われてしまうんじゃなかろうか」

「いえ。元々あの家は彼らの元ではありませんでしたから、恐らく大丈夫です。彼らの滞在時間を加味しても、呪いが行くとしたら家ではなく人に行きますよ」

「そうか。なら先生にお任せします。余所者であっても、灯籠蜜先生のお知り合いと分かれば村人も滅多なことはしないはずです」

「お騒がせして申し訳ない。お詫びといってはなんですが、彼らにもできる限り調査の手伝いをさせますので。ではそういうことで、あたくしたちは一度失礼します」

 いうや否や、灯籠蜜はナゲットの腕を掴んで後ろを向かせた。どうやら既に要注意人物としてマークされているらしい。ナゲットはまだなにかいいたそうにしているが、口をきいたらただじゃおかんぞといわんばかりの目力で黙らせられている。

「ではまたなにかありましたら」

 最後にいい、灯籠蜜は羊を追う猟犬のように余所者たちの後ろにつく。

「ああそこの少年や」

 去り際に村長が撤兵を呼び止めた。ぎっくりして振り返る撤兵に老婆は短く、

「村の女を孕ませんようにな。小さい村だから、噂が回るのは早いぞ」

「しませんよッ」

 

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