4 豚、猿、犬


「誤解だーっ」

 撤兵は喉を枯らさんと叫んでいた。連れてこられたのは村役場の前の広場で、一度地面に下ろされるなり手足を拘束された。それから村人は、くくった撤兵の手首と足首の間にどこから持ってきた鉄の棒を通して支柱にかけた。はた目から見ると、いわゆる豚の丸焼きポーズで拘束された撤兵だが、村人が手に松明を握っていることを踏まえると、ポーズでは済まないかもしれない。文字通り降りかかろうとしている火の粉に撤兵は必死に抗う。

「ヤメテーッ! 燃やさないでーッ」

「恐ろしい邪神め……っ。今年の不作も、村で頻発する不倫も、花送はなおくりの失敗も、すべては貴様のせいじゃな。赤赤坊しゃくしゃくぼう様の目をどうやってかいくぐったのか知らんが、成敗してくれる!」

 濡れ衣もいいところだが、今の撤兵には村人のいい分に一々突っ込んでいる余裕はない。「イヤーッ。ヤメテーッ」と何度も甲高い声で叫ぶが村人の怒りが収まる気配はなかった。村人は憎しみのこもった目で撤兵を睨み下ろすと、一斉に手にした松明を掲げた。

「イヤ――ッ!」

 もうだめだ――撤兵は強く目をつぶる。まさか自分が火あぶりにされる日が来るなんて、俺の人生は一体いつから来るってしまったんだろう。こんなことならもっと遊んでおくんだった。短い人生への後悔と走馬灯が頭を駆け巡る。しかしいつまでたっても体は熱くならかった。不思議に思いまぶたを開けてみると、着物を着た一人の男が老人の腕を掴んでいた。

「騒々しいと思ったらなんです。こんな物騒な真似をして」

 鼻にかかった低い声だった。村人は彼に捕まれた腕を振りほどこうと力んでいるがまるでビクともしない。

灯籠蜜とろみつ先生、離してください」村人はまっすぐに灯籠蜜と呼ばれた男を睨んだ。「こいつは人の皮を被った魔のものです。この人ならざる恵まれた容姿が証拠じゃ。こんな男前は禍神以外に存在せん」

「俺はただのイケメンだーっ。信じてください、そこの人。俺死にくないっ」

 灯籠蜜はそこでようやく撤兵に視線を向けた。間抜けな自己弁護をする青年を可哀想に思ったのか、

「……はあ。この子は人間ですよ。私がいうんだから間違いありません。早く放してあげなさい」

「し、しかし」

「それよりもあなた方にはやるべきことがあるでしょう。逃げた花嫁の代わりを探さなくてよろしいんですか」

 灯籠蜜の言葉に村人たちは撤兵を炙るより優先すべきことを思い出したらしく、

「そうだ」「今年も花送りを中止するなんて御洗い様に顔向けできない」「すぐに探さんと」

「この子の面倒はあたくしが見ますから、あなた方は嫁探しに行きなさい」

 村に来たばかりの撤兵にも、村人から灯籠蜜が信頼されているのは分かった。彼らは口々になら安心だといってどこかに帰っていく。最後の一人が松明の火を消して去っていくのを見届けると、灯籠蜜は撤兵の拘束を解いてくれた。

「可哀相に。怪我は?」

「大丈夫です。マジで死ぬかと思いました。ありがとうございます」

「いいえ。これも仕事のうちですから」

 すました顔で返し、灯籠蜜は撤兵の様子を頭のてっぺんからつま先まで観察した。同じように撤兵も灯籠蜜を眺める。第一印象は、「歌舞伎役者にいそうだなあ」だった。着ている黒地の着物には袖と裾に金魚の柄が入っており、顔にはメイクが施されている。メイクといっても美しく飾るためのものではなく、魔除けの意味合いを持つような模様を入れるメイクだ。それがどんな意味合いを持つのかは撤兵には分からなかったが、目の下と半筋に赤く紅を差してある。それと同じくらい印象的だったのが、向かって右側のこめかみあたりから垂らしてある紙垂しでに似たアクセサリーだ。パーツパーツは目を引くが、全体的に落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 こちらを観察する灯籠蜜がおもむろに口を開く。しかし彼がなにかいうより先に聞き覚えのある声が飛んでくる

「撤兵くーん。無事かーい」

 まったく心配していなそうな能天気な声だ。だが命の危機を脱した今ではそんな声でも恋しい。撤兵は声の主を振り返ると、

「遅いっすよぉ!」餌を忘れられた子犬のように叫ぶ。

 案の定、こちらに向かって歩いてい来るのはナゲットだった。いつも通りの歩幅、いつも通りの薄情な笑顔を浮かべてのったらのったら歩いてくる。その後ろにはお馴染みのメイド二人の姿があり、主人と同じくお散歩気分でのんびり歩いている。

「いやあ、まさか君の女難の相があんなに早く回収されるとはね。最短記録更新じゃないかい?」

「ンな冗談は今いらないっすから」

 一瞬この男を恋しいと思ってしまったことが悔やまれる。牙を剥く撤兵をしり目にナゲットは灯籠蜜に興味を示した。

「ところでこの方は誰だい?」

「村人に火あぶりにされかけたところ助けてくれた人っすよ」

 灯籠蜜は居住まいを正すとナゲットに会釈をした。

「霊能者の灯籠蜜愛丸なるまると申します」

 霊能者。その単語を聞いた途端、ナゲットの笑顔が固まる音がしたのを撤兵は聞いた。彼は固まった笑顔を張り付けたままこちらも居住まいを正し、

遺想物蒐集家いそうぶつコレクターの、桧垣慧ひがきえにち日です。こちらは用心棒の夏仁かに南天なんてん

 『遺想物蒐集家の』をわざと強調しているのは明らかだったが、撤兵にはそれより気になる点がある。

「え? ナゲットとマスタードとBBQじゃないの?」

 散々名乗っていたではないか。きょとんとする撤兵を三人は矢継ぎ早に斬る。

「なにを馬鹿いってるんだい撤兵君。そんなおかしな名前があるわけないだろう。寝言は寝ていいなさい」「そうよ、このダメ学生」「いやねえ」

 ――何故俺が責められる!? 撤兵は物申したい気持ちでいっぱいだったが、そんな隙もなくナゲットと灯籠蜜が額を突き合わせる。

「この度は遺想物蒐集家の! 使い走りの撤兵君を助けてもらって、どうもありがとう」

「いいえぇ。お礼なんて結構です。あたくしは霊能者として! 当然のことをしたまでです」

 静かに火花を散らし合う二人。そこに油を注ぐかのごとく闖入者ちんにゅうしゃが現れる。いち早くその存在に気がついた撤兵は彼らを指さすと元気にその名を呼んだ。

「天才お笑い伝道師!」

「ちゃうわボケッ。天才霊能者や!」

 火打石でも打つような活気でやって来た安納は、もろ手を振って愛想を振りまき始める。

「皆さんお揃いでどうもーッ。やぁやぁやぁ、ナゲットはんさっきはどうもぉ。車はちゃあんと停めときましたさかい、安心したってくださいねぇ。それに灯籠蜜先生もこんなところで――灯籠蜜先生!?」灯籠蜜の姿を認めた途端、安納の声が詰まる。「な、なぁんでこないなとこにおわしますのん? 巳妃ちゃん逃がすために村の人たち誤魔化してたはずじゃあ」

 顔色の悪い安納に対して灯籠蜜は済ました顔で答える。

「ええ。そろそろいいかと思っていたら、集会所から悲鳴が聞こえてきたものですから。気になってきてみたら、この遺想物蒐集家のお弟子さんが火あぶりにされかけていたんで、助けてさしあげたんです。ねぇ遺想物蒐集家の桧垣先生」

「そうだよ王彦君。この霊能者の灯籠蜜先生が頼んでもないのにうちの撤兵君を助けてくれたんだ」

「は、はぁ。さいでっか」

 ううむ、板挟みというやつか。一部始終を見ていた撤兵は、三人の関係をそう判断した。大方、安納王彦はナゲットと灯籠蜜両者の知り合い――ていうかパシリ? ――で、相性が悪いことを知っていたのだろう。加えてこの雰囲気から察するに、両者から嫌がらせを受けるのは安納なのだろう。灯籠蜜の方はどうだか知らないが、ナゲットの嫌がらせは質が悪い。安納が青くなるのも当然だ。

「ま、まあ、まあまあ。まあまあまあ」引きつった表情筋を無理やり戻し、安納は両手を叩く。「ひとまずナゲット――ぃでででで! え、なんですのん? 桧垣慧日? ああ、はい。さいでっか。ひとまず桧垣先生たちは、一回村長はんとこに挨拶に行きましょ。こん村滞在するならいずれ必要なことですから」

「あたくしも同行しますよ」

「えっ」

 右手を挙げる灯籠蜜に再び安納の口角が引きつる。すると灯籠蜜は涼やかな目で彼をじっと見つめた。

「なにか問題が? 先にこの村に来たのはあたくしです。なにも知らない遺想屋さんの面倒を見るのは当然でしょう」

「そのとーりっ」

 悲鳴のようにいって安納は「ほな行きましょ!」と前を歩き出す。首筋を見ると冷や汗が滝のように流れていた。この人でも苦労するんだなあ、なんて考えながら、撤兵は後に続いた。

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