3 本領発揮 

 稲呑村に向かう一同は、道中ファーストフード店のドライブスルーを挟み順調に山を上っていた。運転席ではフライドポテトをタバコのようにくわえたBBQが連続するカーブに文句をつけている。

「お、川だ。何川?」

 カーブを抜けると、一度広い道に出た。周囲には町と呼べるほどの住宅街や学校といった建物が現れ、傍には川が流れている。

「あれは稲呑川いのみがわだね」口の端についたソースを舐めとりつつ教えてくれるのはマスタードだ。

「あっ。これ稲呑川なのか」

 稲呑川というのは、撤兵たちが住んでいる地域で最も大きな河川だった。御免山から麓の田食良川市だたらがわしに流れ込み、市町を南西に横断して海に繋がっている。田食良川というのは稲呑川の別名だ。元々稲呑川は川幅が狭い割に流れが急で、何度も水害を引き起こしていた。度重なる被害を懸念した県知事の命によって田食良川ダムが造られてからはそれも治まったようだが、ダムより上流では未だ災害が続いているという。ランクルはそんな稲呑川を伝うように御免山を上っていた。街を通り過ぎ、ダムを越え、バイカーの集団に抜かれ、バイカーの集団を抜き返していると、次第に道はつぼんでゆく。左右に迫る木々もどんどん勢力を伸ばし、フロントガラスに枝葉が当たる音がする。

「撤っ兵っ君っ。大っ丈夫かいっ? 車酔っいなどしっなっいだろっうね」

 砂利の上を通る度にナゲットのセリフも跳ねる。

「大丈っ夫っすっけどっ。気持っちっよくっはっないですっ」

 返す撤兵のセリフも跳ねた。

 ほとんど獣道のような道路を走っていると、急こう配のカーブの向こうから一台のジムニーが飛び出してきた。撤兵がヒュッと喉を鳴らしたのも束の間、なんとかお互いが外側の木々に車を突っ込むことで九死に一生を得る。ここで搭乗者の心配より先に怒りが勝るのがBBQだ。

「手前死にてえのか! こンべらぼうめ!」

 BBQはそう叫ぶなり、車の外に飛び出した。撤兵はぎょっとしてシートベルトを外す。こんな山道を走るような相手だ、下手をしたらカタギではないかもしれない。憤慨するBBQを止めるべく後部座席から降りると、彼女は既にジムニーの運転席に肉迫していた。

「手前こんなところでえれぇスピード出しやがって。事故になってたらどう落とし前つける気だ!?」

「すみません……っ」窓を開けて顔を出したのは、いかにも気の弱そうな初老の男だ。「まさかこんな場所に車が来るとは思わなくって」

「いいわけたぁふてえ野郎だァ」

 今にも殴りかかりそうな勢いのBBQの腕を掴み撤兵はなだめようとするが、怒りに火のついた彼女は止まらない。

「お前はすっこんでろ!」

「よせって。相手もわざとじゃないんだからさあ」

「わぁざとじゃないからなんだってんだっ」

 なにをいっても火に油のようだ。どうしようかと困惑していると、いつの間にか車を降りていたマスタードが容赦なくBBQの頭に拳骨を落とした。蹲るBBQに彼女は一言、

「やめて」――殴る前にいってやれよ。心の中で撤兵が突っ込む。

 ひとまず暴力的な手段ではあるが、こちら側の負傷者一名で事なきを得た。撤兵とマスタードは血の気の多い運転手に代わって「すみません」と運転手に謝る。すると、後部座席から視線を感じた。見れば、座席には一人の女性が座っている。年の頃は撤兵とそう変わらないように思える。運転手の娘だろうか。撤兵が一応彼女にも軽く頭を下げると、彼女はぱっと笑顔を輝かせて後部座席から降りてくる。

「ヤバ、チョーイケメンッ」

 ――マズイ! 出てきた女の恰好は明るい茶髪の掻きあげヘアーに、流行りのモコモコしたアウター。なぜか中には白い着物を着ているが、それを除けば全体的に垢ぬけた印象を受ける女に、撤兵の防衛本能が警鐘を鳴らす。

「え、なにその反応。ウケる」

「あ、ええと……はは」

 誤魔化し笑いを浮かべる撤兵。すると助手席から鋭い声が飛んでくる。

巳妃みきっ。車戻りなさい!」

 運転手と巳妃の他にも人がいたようだ。ちょっと車内を覗き込むと巳妃の母親らしき年齢の女性が目に入る。

「ちょっとくらいいいじゃん。ねえねえ、あたし巳妃っていうんだけど、イケメン君の名前は? 教えてよ」

「あ、えっと」

「撤兵君よ」地面からBBQがいう。人の名前を勝手にばらさないでほしい。

 巳妃は車とメイド、そして自分を興味深そうに交互に眺めると、

「へぇー。撤兵たちはこれから稲呑村に行くの?」

「ウン」

 撤兵の返事を聞くと巳妃は顔中のパーツを中心に集めて嫌そうな表情をした。「やめときなー。あんなとこなんもないし、チョーダサいし、変なならわしあるし、いいとこ一つもないよ」

「すげーいいよう……」苦笑する撤兵に代わり、ようやく立ち上がったBBQがこんな質問をした。「アンタは中に着物を着ているけど、稲呑村から来たのかい?」

「あたしたちは引っ越し。てか、夜逃げ? いや、昼逃げ? 今月のはじめに山神とかいうののお嫁さんにされちゃったんだけど、あんまりにもしんどいからパパに頼んで逃げて――ヤバ」

 なにが、と聞くより早く撤兵は答えを知る。数人の足音がしたかと思うと、カーブの奥からこちらに向かって大勢の老人が走って来たのだ。手ぬぐいを顔の輪郭に沿うように巻き、もんぺを履いた老人たちは戦前の世界から出てきたようで、撤兵はすぐには現実に頭が追い付かなかった。「村のジジイ共だ」巳妃が忌々し気に呟く。

「いたぞ!」

 老人の一人が背後に叫ぶと、またぞろ数人の村人が現れる。その手には鍬やこん棒を持っている者もおり、ただならぬ気配を醸し出していた。

「おめぇら、御洗おあらさまの嫁に選ばれたというのに、外に逃げるなんてなんちゅう罰当たりな」

 先頭にいた男性はが巳妃に吐き捨てると、村人たちは一斉に「そうだそうだ」と同調した。

「頭もそんな赤くしよってからに、恥を知れ!」

「この売女が!」

 ここまでいわれては巳妃も黙っていられないらしく、彼女は武器を持った村人に臆することなく反論する。

「はぁ!? なんで勝手に嫁にされるのに喜ばなきゃいけないの? てかあたし、神様なんて信じてないし。つか、処女だし! 神様に教えてもらえなかったの? じゃあやっぱり偽物じゃん。そんなの信じて他人に迷惑かけて、あーあー馬鹿みたい!」この時点で村人は怒りに唸るが巳妃はまだ続ける。「これだからド田舎って嫌なの! パパの頼みだからついてきたけど、来るんじゃなかった。あたしは町に下りて、Wi-Fiの繋がるところでこういう撤兵みたいなイケメン捕まえて幸せに暮らすのよっ」

 何故か指をさされる撤兵。何故か静まり返る村人たち。撤兵は背中に大量の汗が浮き出るのを感じた。

「まさか、まさかお前が巳妃を誑かして」

 誰かが呟いた。そこから傷口が膿むがごとく村人の間にざわめきが広がっていく。

「こ、この人間離れした男前具合、まさか村を惑わすために人の姿に化けた禍神まがかみなんじゃないか」

「まがかみ? へ? なにそれ?」

 村人たちがなにをいっているかは分からないが、自分にとってまずいことになっているのは分かる。助けを求めて周囲を見回せば、巳妃もメイドたちも揃ってジムニーの中に逃げ込んでいた。――なんて逃げ足の速いッ。そうこうしている間にも村人たちはじりじり、じりじりと撤兵に迫る。

「なに? なに!?」

「生かしちゃおけん。捕まえろーっ」「うぉ――!」

 雄たけびと共に村人たちが襲いかかる。撤兵はあっという間にもみくちゃにされ、気づけば胴上げよろしく抱え上げられていた。

「火じゃ、火の罰を与えるんじゃーっ」

「ぎゃあああぁぁ……」

 遠ざかっていく撤兵の悲鳴に、車内の一同は耳を傾けた。それから完全に声が届かないほど村人たちが遠くに行ったのを確認すると、周囲を確認しながら外に出てきた。同じタイミングで、ナゲットもようやくランクルから降りてくる。

「なにかあったのかい? ダブルチーズバーガーを食べるのに忙しくて外をまったく気にしてなかったんだけれど」

 のんきにナゲットが聞けば、BBQが一唸りしたあと、

「んー、女難の相を遺憾なく発揮したね」

「あっぱれ」マスタードも手を叩く。

 唯一心配そうな顔をしているのは巳妃だった。

「撤兵大丈夫かなあ。うちのせいだよね?」

「いやあ。あの様子だと村に入ったら似たようなことになってたさ。あんたのせいじゃないよ」

 BBQは優しく慰める。この優しさが撤兵に向けば、今回の悲劇はなかったかもしれない。しばらく死者を悼むような気持で、その場にいた全員は村の方角を見つめていた。しかしいち早く正気に戻った巳妃の母親は、焦った様子で夫と娘を車に促す。「巳妃、あなた。ほら早く! またあの人たちが来たらどうするの」

「おお、そうか。そうだね。分かったよ。巳妃も早く乗りなさい」

「あ、待ってくださいお父さん」

 呼び止められた男性は怪訝な顔で「なにか?」と返した。

「一つ伺いたいんですが、あなた学者さんだったりしますか?」

「なぜそれを」

「いえ、あまりにステレオタイプの先生だったので」

 運転席に乗っているときはよく見えなかったが、男性は茶色のアーガイルベストにくすんだ色のワイシャツを着ていた。

「辺境の村の近くでそういう恰好をしている人は、大抵学者先生ですから」

 どこか自信気なナゲットに、男性ははにかんだ笑みを浮かべる。

「そうですよ。一年前から御洗おあらさまについて調べに来たんですが、まさか娘がならわしの犠牲になるとは思わっていなくてね。観測こそしたいですが、当事者となると話は別ですから。隙を見て逃げてきたんです」

「なるほど。史料とかも持って行ってしまうんですか?」

「いえ、ほとんどクラウドに取り込んでますし、かさばるので置いてきました。もし見たいなら、私の家に行って構いませんよ。少し前から、村から逃げるのを手伝ってくれた霊能者さんたちが住んでますが、滞在する間は使ってくれても大丈夫です。私たちはもう戻りませんから」

 霊能者、という単語を聞いたときわずかにナゲットの表情が強張った。しかしそんなことは知る由もない男の妻は、心配そうに旦那のシャツを引っ張る。

「あなた、早くしないとまた村の人が……」

「そうだな、じゃあ我々はここで。あなた方も、あの村にあまり長居することはおすすめしませんよ」

 そういい残し、学者一家は草木を轢きながら猛スピードで去っていった。マスタードとBBQは互いに視線を交わしたあと、指示を仰ぐようにナゲットを見る。

「ま、とりあえず行ってみようか。撤兵君が丸焼きになってるかもしれないし」

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