2 どんぐり嫌い 


 剛崎号の活躍は予想以上に凄まじかった。待ち受ける女子学生たちが声をかける間もなく廊下を走り抜ける姿はさながら韋駄天のようで、撤兵は自分が乗っているのはもしかして神の背なのではないかと馬鹿な錯覚を覚えるほどだ。建物を出てからはもう彼の独壇場で、二人はあっという間に最寄りのコンビニへと辿りついた。

「お前すごいなっ」

 喜色をにじませ撤兵が称賛すると、剛崎は肩で息をしながらサムズアップ。「ぜぇっ。ぜ、おうよ。はぁっ」

「はぁ、はあ。それで? はあ。お前を迎えに来たっていう美少女は一体どこにいるんだ?」

「美少女とはいってないけどな。ええと……あ、あれだ」

 入り口から離れた、喫煙所の傍に停まったランクルを指さす撤兵。いかにもアウトドア向きのごつい車体に、剛崎は一瞬騙されたような顔をしたが、気を取り直すと最後の力を振り絞って車まで駆けた。背中の撤兵がスモークの濃い運転席の窓を叩くと、運転手は一拍置いたのち窓を開けてくれる。乗っていたのはBBQだった。

「おやまあ。他人様を足にするなんて、随分偉くなったもんじゃないか」

 ラジオ巻きにした赤髪にいつものメイド服を着た彼女は、開口一番そういって鼻を鳴らす。

「メイドさん!?」そんな彼女の姿を視界に入れた瞬間、剛崎は撤兵を床に振り下ろし叫んだ。「イッテー!」

 BBQは突然大声を出されたことに驚きつつも、「そうよ。メイドさん」とピースサインを作る。

「おいおい、おいおいおい! 撤兵っ」「なんだよ」「お前、俺にそんなこと一言もいったことないじゃんかよぉ」「なにが」「こんな可愛いメイドさんと知り合いなんて教えてくれなかったじゃんかよ」

「可愛いって……」

 アスファルトに打った尻をさすりながら、撤兵は改めてBBQの容姿を観察する。紙はつやつや、睫毛は人よりちょっと豊かで、パーツの位置も悪くない。たしかに容姿は整っているが、このメイドには大きな欠陥がある。

「可愛いかもしんないけど、こいつめちゃくちゃキレやすいんだよ。口も悪いし」

「余計なことおいいよ」

 瞬間激痛を訴える眉間。指の関節で眉間を突くなんて、一体どういう生活してたら思いつくのだ、そんな攻撃!

「い、今の見たろ? これでも可愛いと思う?」

「思う」

「薄情者ッ」

 迷いのない剛崎の返事に先刻の逃亡劇で稼いだ好感度が一気に霧散していく。撤兵は剛崎の肩をぐいぐい押すと帰りを促した。

「サンキューだった、剛崎よ。お前も忙しいだろ。もう帰れよ」

「全然忙しくないぞ」持ち前の体幹の強さで車窓の前に居座りながら剛崎は答える。「こののSNS教えてもらうまで忙しくない」

「そんなことばっかしてるからモテないんだよ」

「俺がモテないのは半分お前のせいだぞっ」

「いいからかーえーれーよー」

 撤兵は全力で体を押して車窓の前から剛崎をどかす。

「バイトなの知ってるんだからなーっ。早く帰れーっ」

「ああん俺のメイドさんが……」

「お前のじゃないから!」

 身内同士の乳繰り合いなど見たくもない。ぐいぐい繰り返し、なんとか剛崎を車から引きはがすことに成功する。名残惜しそうに「メイドさぁんー」と呼ぶと、可愛いといわれて調子に乗ったBBQが窓から顔を出し投げキッスを送った。「余計なことすんなっ」

「お前なあ、モテない男に変なことすると後が怖いぞ」

 剛崎を帰し車に戻った撤兵は、開いた窓越しにBBQに向かって指を突きつける。しかし当の本人はコロコロ笑うだけで全く反省の様子を見せない。これ以上はいっても無駄だと判断し、撤兵は後部座席に乗り込もうとドアに手をかける。すると案の定、中には三人分のシートを大胆に使い寝転がっているナゲットがいた。今日はこの後に遠出すると聞いていたので、彼がいるのは想定の範囲内だったのだが、センスを汚泥に埋めたようなデザインのセーターを彼が着ていることは想定外だった。犬に追いかけ回される羊と、間抜け面の太陽の柄が編み込まれたセーターに身を包んだナゲットは、撤兵のために席を開けることもなくランタンの火を眺めている。

「君の寿命ってさぁー。女難の相が出ているくせに随分長いよねぇ」

 どうやら中のろうそくは自分から抜き取ったものらしい。撤兵は席を侵略する足をどかしながら眉をひそめる。

「それ見んのやめてくれませんかね。ていうかずっと気になってたんだけど、ろうそくの長さってそのまま寿命なの? だったら自分の余命が見えるのはすげー嫌なんすけど」

 死神しにがみとかいう遺想物のせいで、自分の魂はろうそくの形で以て外に出されてしまった。おまけに炎に溶かされてジリジリ短くなっていくろうそくを見せられるのは決して気持ちが良いものではない。その速度が目視できないほど遅かったとしてもだ。意図的にランタンを見ないようにする撤兵に、ナゲットは指で丸マークを作る。

「ダメ学生のくせにいい着眼点だね。君のいっていることは一部合っているけど、、長さだけで判断するのは早計だよ。命を消費する速度って皆違うし、等速じゃないから。これを見て自分の命が短いだの長いだの嘆く暇があるなら、資格勉強の一つでもした方がよっぽど賢い。まあ君はそんな時間あっても勉強なんかしないんだろうけど」

「…………ハイ」相も変わらず余計な一言を加えてくる男だ。しかし図星なのでなにもいい返せないので、撤兵は早々に話題を変えることにする。「で? 今回はどんな遺想物すか?」

「…………」

「ん? ナゲットさん?」

 不意の沈黙に撤兵は困惑した。普段の彼ならば、遺想物の話を振った途端に目を輝かせ、向こう三十分はしゃべり続けるというのにどうしたのだろう。もう一度「今回の遺想物は?」と聞きなおすと、彼はぶすくれた声色で

「ばーべきゅー説明してー」

 ――なんだなんだ? 拗ねた態度のナゲットに、撤兵はいよいよ戸惑った。口をへの字に曲げる主人の代わりにBBQが説明を始める。

「根近市よりもっと東の方に、御免山ごめんやまってあるだろ。そこに稲呑村いのみむらっていう因習村いんしゅうむらがあってね、そこで面白いお守りが見つかったそうなんだよ」

「因習村って?」日光江戸村とか、ドイツ村とか、そういうのだろうか。

「古くから伝わるろくでもないならわしのある村さ」

 ちょっと考えてから撤兵はいう。「村八分とか?」

「違うねぇ」

「もっとろくでもない村だよ。だから文明から捨てられるんだ」

 代打を任せておきながら口を挟むのはナゲットだ。普段からデリカシーに欠ける発言をする男だが、今日は質が違う気がした。

「なんかあったんすか? ナゲットさん」

 さすがに気になって尋ねてみると、ナゲットは決壊したようにまくしたてる。

「僕はね、都合が悪くなると神だのなんだのいいだす輩が嫌いなんだよ。大体そういうやつらの頼る神ってのは、どこの宗派にも拠らないふわっとした抽象概念のことを指してるんだ。身障者に神様からのプレゼントだの試練だのいいだす輩なんてのは、大抵が典型的な無宗教者だからね。それに真面目に信仰している宗教があったとしたってそれも胡乱なものだ。だってさ君は知っているかい。知らないだろうから教えてあげるけど、神道の起こりなんて、わあー自然が豊かだなー神秘的だーきっと神様がおわすんだーなんて、フィーリングに委ねたなんの論拠もない湯気みたいなものだよ。人の営みは色々な物を生み出すから基本的に好きだけれど、あんなもの百害あって一利なし。僕からいわせりゃ詐欺みたいなものだね!」

 あまりに乱暴なものいいに、撤兵は思わず頬を引きつらせた。「ひっでぇいいよう……」

「別にいいじゃん。それで救われるなら。ハンデを背負った人にギフトとかいうのは非常識だと思うし、神様だって俺も別に信じてないけど、受験の時はお守り買いに神社いったぜ。本物でも偽物でもいいから、縋れるってのが大事なんじゃないんすか?」

「あれ。撤兵君が珍しくしっかりしてるわ」

 助手席でマスタードが感嘆の声を上げるが、ナゲットはお気に召さないらしい。

「どこが? 結局は精神の拠り所に、自分が都合よく作り出した虚無を選んでるだけじゃないか。がっかりだよ撤兵君。君はもう少し人間らしい軽薄さを持った男だと思っていたんだがね。まさかあんな詐欺商法を擁護するなんてねっ」

「悪いね撤兵君。だぁさま機嫌悪いの」

放っておくと一生宗教家の悪口をいい連ねそうな様子のナゲットに割り込み、マスタードが謝罪してくる。とはいえ撤兵も、無関係の誰かがけなされたところで心痛を覚えるほど誠実ではないので特に気にする風もない。ただ疑問はあった。「なんで?」

「これから向かう稲呑村には今、霊能者がいるっていうのよ。遺想屋いそうやと霊能者はとんでもなく仲が悪いの」

「霊能者って、あの安納あんのうさんとか? なんで仲悪いの――あ、ウザいからか」マシンガンのごとく撃ちだされる関西弁を思い出し、撤兵は妙に納得する。

「違うわよ。いや違くもないんだけれど。あのね、霊能者は基本的に呪いや霊の存在といった超自然的な力の存在を前提としている一方で、遺想屋は超自然的な力の根源を人の精神性に見出しているのよ。だからお互いがお互いを胡散臭いって鼻つまみあってるのさ」

「ふぅん……」頷きながらも撤兵はいまいち腑に落ちない。「でも、初めて会ったときに、ナゲットさんもBBQたちも呪いとか怨霊とかいってたじゃないっすか」

 痛いところを突いてしまったようで、ナゲットは不機嫌そうにいい返してくる。

「しょうがないだろ。悔しいがな、遺想と呪いじゃ圧倒的に呪いの方が知名度が高い上に、大抵の人間はこの二つの区別がつかない。ド素人に分かりやすく説明しようという手心だよ」

「よく分かんないっすけど、ま、団栗の背比べってやつかぁいでででで!」

 心臓を嬲られる痛みにナゲットを振り返れば、彼はこちらを睨みながらろうそくの火を息で煽っている。

「だぁれがどんぐりの背比べだい。君みたいなダメダメダメ極めつけにもう一個ダメ学生には分からないだろうけどね! 遺想学というのは高尚な学問なんだよ。実体のない思念の存在を前提とする霊能者みたいなのと一緒にされたらたまらないねッ」

「遺想だって思念と一緒じゃんかよ!」

「ふーっふーっ!」

「イッテェっ」

 なんて幼稚な男なんだッ。激痛に悶えながら撤兵はナゲットの足回りを叩く。

「同族嫌悪」とマスタード。

「マスタードも今悪口いった!」「責任転嫁とは情けない。ふーッ」

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