第4話 雪ぐ者
「ねえ撤兵? 再来週の日曜日は空いてる?」
「子安先輩っ。あ、あの、来週の日曜日……良かったらご飯行きませんか!?」
「あっ。子安じゃん! 丁度良かった。今週の日曜に焼き肉行かね?」
「寂しい冬を過ごす後輩の相手してやるのも先輩の役目だよね。よし撤兵、四日後の日曜は朝まで宅飲みだ!」
十二月に入ってから始まったカウントダウンは、いつの間にか残り四日まで進んでいた。日曜、日曜、日曜、ノイローゼになるほど予定を尋ねられたその日は、世間でいうところのクリスマスイブだった。冬休み前最後の講義を受け終わった撤兵は、ラストチャンスとばかりに予定を聞いてくる女子たちにすっかり精神を削られていた。突っ伏した講義机には、女子から回って来たメモがこんもりと盛られており、隣に座る友人が恨めしそうな顔でそれを睨んでいる。その友人とは高校以来の付き合いで、彼自身は野球部上がりのバンドマンなのだが、その悔しそうな表情といったら、高校三年生最後の県大会制覇をあと一歩で逃したときのものと遜色ない。彼の中では撤兵が数多の女子からクリスマスの誘いを受けることとサヨナラ負けは同等の雪辱らしい。
「撤兵よぉ、俺はお前が恨めしい。今ならお前を呪い殺せそうだ」
「なんでだ」聞き返しながら、呪いの念を送ってくる友人の両手を叩く。友人は痛くもない手首をさすりながら意味が分からないといった口調で嘆いた。
「なんで美白クリームも知らないお前がモテて、スキンケアに月一万円かけてる俺がモテないんだ!?」
「……お前はいいやつだよ、
剛崎
「お前には悪いけど、モテるのってすごい大変なんだぞ。下手すりゃ目の前で殴り合いが始まるんだから」
撤兵がため息交じりにいえば、剛崎は間髪入れず
「お前には悪いけど、モテないってすごい惨めだぞ。下手すりゃ友達に殴りかかりたくなるんだから」
と返してくる。これまで彼が受けた被害を知っててなおいい返してくるところは、撤兵としても嫌いじゃなかった。「あ、そうだ」
「お前も知っての通り、俺はクリスマスイブからクリスマスが終わるまでの二日間、絶対に外に出ないからな。寂しいからってイルミネーションとか誘われても行けねーよ」
「一回誘って痛い目見たからな。二度と誘わねえから安心しろ!」なにを思い出したのか、最後は吐き捨てられた。
こうして話していると、つくづく剛崎は性根の優しい人間なのだと実感する。撤兵にはコミュニケーションを取る同級生は沢山いるが、その実友人は少なかった。嫉妬ややっかみ、彼女が撤兵に惚れてしまったことが原因の一方的な絶縁など、多種多様な破綻を繰り返すうちに、友人はどんどん減ってしまっている。そんな彼がこうして関係を続けていられるのは中々レアなケースだった。恥ずかしいので絶対に口には出さないが、剛崎には感謝していた。
「あのときも楽しかったっちゃ楽しかったけどね、俺は。具体的にいうと、俺が逆ナンしてきた女に連れ去られそうになったとき、パニクったお前が『人の彼氏取るんじゃないわよ!』って叫んで、そのまま俺をおぶって走り出したとことか」
「忘れろよー。忘れ去りたい過去なんだよ。結局その後もお前逆ナンされまくるし、あの日はマジでメンタルやられた」
「――相変わらずのモテ具合だな、子安君」
不意に光が遮られたと思うと、後ろから声が降って来た。振り向けばさっきまで講義をしていた女性教授がにやけながらこちらを見下ろしていた。
「
「聞いてるもなにも、女子学生たちが石打の刑よろしく君の席めがけてメモを投げこんでるのはずっと見えていたからね。笑いをこらえるのに必死だったよ」
「いや止めてくださいよ……」
守智教授は
「守智ちゃん先生はまさか俺のこと誘わないっすよね?」
半笑いでいえば守智教授はけらけら笑った。
「冗談はよしてくれ。私はナヨッちい男は好みじゃないんだ」
「じゃあ俺は!?」
「さて、君たちはそろそろ帰った方がいいぞ」
学生の声を意図的に無視し、教授は講義室を見回す。
「教室の学生もだいぶ減ったし、この後この講義室を使う者はいないはずだ。廊下には女子学生が並んでいたし、早くしないといよいよ隠れみのがなくなるぞ」
「あれッ」
いわれて見てみれば、彼女のいう通り教室にはほとんど人がいなかった。残った数人は講義中に眠りこけたまま起こしてもらえなかったであろう者が一人と、残りの数人はこちらの様子をちらちら窺っている女子たちだった。――しまった! 迂闊だった! クソ、何年イケメンをやっているんだ、自分は。20年だぞ。なぜこんなポカをやらかしてしまうのだ。頭を抱えて自分を責める撤兵を、教授と剛崎は白けた態度で眺めていた。
「クッソ……。ジコチューシンノムシってこのことか」
「
「どうしよう……。絶対に腕とか身体引っ張ってくるんだよ、あいつら。構外に出るころには上裸になってるかもしれない……」
上裸で満身創痍のイケメンを想像したのか、守智と剛崎は口角を緩めた。すかさず撤兵が睨みつける。「今笑ったな?」
「笑ってない。笑ってない。ねえ守智ちゃん先生」
「ウンウン。そんなことより今はどうやって無事に外に出るかだろう。剛崎君におんぶでもしてもらったらいいんじゃないかい? 逆ナンから逃げられるくらいには彼の足腰は強いみたいだし」
「ははっ。なんで俺なんすか。絵面オモシロすぎっしょそれ。なあ撤兵――撤兵? なんだ? そんな食い入るように俺を見て」
「その案、いいかもしれない」
小学生の頃からショートとしてコートを駆けてきた剛崎の俊足は伊達じゃない。彼ならば、女子の魔窟と化した構内を逃げ切ってくれるかもしれない、いや彼ならばできる。撤兵は恥も外聞もかなぐり捨て、剛崎に勢いよく手を合わせた。
「頼む、俺をおぶってくれ!」
「ヤッだよ! なんで一度ならず二度までも男なんかおぶんなきゃいけないんだよ!」
悲鳴にも似た声で剛崎は拒否する。しかし撤兵もここで引き下がるわけにはいかなかった。
「頼む、すぐそこのコンビニまででいいから! そこに迎えが来てるんだ」
「迎え? そういや大分遠くに引っ越したっていってたもんな……。もし送ったら、なんか奢ってくれんのか?」
「それは嫌だ」
「なんでだよ! コンビニだぞ、身銭切れよ」
真っ当な内容を喚く剛崎に、撤兵は悪魔のセリフを囁く。
「ココだけの話、迎えは女の子」
「任せろ、俺が無事にコンビニまで送り届けてやる」
「行けッ剛崎号!」
持ち前の運動神経を発揮し剛崎の背に飛び乗る撤兵。それをなんなく受け止める背中といったら、広い・大きい・たくましい。一家に一台剛崎章大、持つべきものは元野球部の友人。イノシシのごとき獰猛な走りで駆けだす剛崎の姿は、撤兵から見れば救世主、撤兵を待っていた女子学生からしたら大戦犯なのであった。
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