6 習うならわし

 一行が外に出ると、庭の入り口には複数人の村人が集まっていた。どの顔も先ほど広場で見た覚えがあり、撤兵は目の前にあるナゲットの背中に身を隠す。

「皆さん大丈夫です」

 先手を打ったのは灯籠蜜だ。

「彼らは花嫁の異変を探る手伝いをさせるために遠方から呼び寄せた、いわば弟子のようなものです。村に危害を加えるようなことはありませんから、どうぞ安心してください」

 灯籠蜜がそう話す間、安納はナゲットの口元をセンスで隠している。弟子という単語に噛みつくと思われたのだろうが、どこまで信用がないんだろうか。村人は二人の様子を不審がることはなかったが、余所者に対する不信感は拭えていない様子だ。遺想屋を端から端までめ上げるように観察すると、

「こんな大切な時期に、弟子とはいえ余所者を入れるなんて……。先生、わしらは先生を尊敬してますが、もうちぃとばかし気を遣っていただきたいというのが本音です」

 嫌そうにこぼす。田舎は閉鎖的とはよくいうが、こうして自分が拒絶されるとそれがよく分かる。撤兵はまた鍬だのこん棒だの持ち出されたらたまらないと思う一方、いっそ追い出してくれればとも思った。

「ええ。あたくしもそこまで気が回らないほど馬鹿じゃありません」そういうと灯籠蜜は不隣にいたBBQの腰をぐいっと引き寄せた。それから戸惑うBBQを横目に、「この子はあたくしが花嫁候補として呼び寄せた娘です」

「はあ!?」

 これには村人だけでなく全員が声を上げた。一番驚いたのは突然花嫁候補に挙げられたBBQだろう。彼女は噛みつかんばかりの勢いで灯籠蜜の耳元口を寄せると「聞いてないよッ」と、小声で怒鳴るという器用な真似をしてみせる。しかし当の灯籠蜜は彼女の抗議を意図的に無視して更に続ける。

「村長が選んだ花嫁がいなくなった以上、もはや代わりを選ぶには消去法しかありません。この子はこの通り見た目も悪くありませんし、とても従順で」着物に隠れて膝の裏を蹴る娘のどこが従順なのだろうか、撤兵には分からない。「花嫁として十分勤めを果たせるでしょう」

「いやしかしですねぇ先生。外の者を花嫁にするのはあまり……」

「おや? 巳妃も今年のはじめに村に来た余所者でしたよ。大切なのは花嫁としての器量です。ごらんなさい、この秋で染めたような美しい髪を。そしてこの服装を。彼女は給仕として家事を日ごろからこなしているのが分かりますね。ぴったりでしょう」

「ふぅむ。まあいわれてみれば」

 村人たちは灯籠蜜のいい分に納得してきているようだ。一方、ジロジロと不躾な視線を浴びせられるBBQは今にも血管が切れそうで、

「こんのひょうたくれども……ッ」と歯ぎしりしている。

「少々尻が足らんが、これならまあ」

 一人の老人がそういうと、他の村人も渋々といった感じではあるが次々に頷いた。

 暴言を吐こうとするBBQの口を塞ぎながら灯籠蜜は微笑む。「皆さんの理解が得られて良かった。今日はこの後の時間を使って、この子に村のことを教えて、明日の朝一番で村長には相談に行こうと思っています」

「おや、まだ村長には話しとらんのですか」

「ええ。まずはここに住んでらっしゃる皆さまの意見を聞きたいと思いましてね」

「なるほどなるほど。いやあやっぱり先生はすごいお方だ。わしらのことをちゃんと考えてくださっている」

 先刻までとは一変して、村人たちは穏やかな表情をしていた。和やかな雰囲気の中村人は元来た道を帰ってゆく。

「ちょいとアンタ。さっきのはどういうことだい!」

 解放されるや否や、BBQは灯籠蜜に掴みかかる。それを鬱陶しそうに振り払う灯籠蜜からは、村人に向けていた優し気な微笑みは消えていた。

「あたくしはあなた方を助けてさしあげてるんですよ。下調べもなしにずかずかと村に入ってきておいてなんですか。まったくこれだから遺想屋は。諸々の説明は家でしますから、今は大人しくついてきてください」

 時刻は既に午後五時を回り、間もなく陽が落ちきるだろう。気温も随分下がってきており、ここでいい合いをするのは合理的ではないことは明らかだった。遺想屋たちはひとまず灯籠蜜に従うことを決めた。BBQはまだ文句をいいたい様子だったが、ナゲットにいさめられると口を閉じた。緩やかな坂を下りていると、村の家々にぽつぽつ灯りが付き始める。まさか行灯なんてことはないよな、と撤兵は笑い飛ばせない冗談を考え苦笑する。

 灯籠蜜の滞在先は、村の一番手前にある平屋だった。小石が転がっているだけの庭には、四人が乗って来たランドクルーザーが停められている。ここに来るまでにも車が停まっているのを見たが、どれも錆びた軽トラックやボロボロの軽自動車だったので、ピカピカに磨かれたランクルは浮いていた。木板もっぱんとトタンを貼って作ったような簡素な平屋からは明かりが漏れていて、食欲を刺激する匂いが漂ってくる。前後の出来事を無視すれば、里帰りを彷彿とさせるとてもノスタルジックなシチュエーションだ。玄関を開けて中に入ると、奥から軽やかな足音共に割烹着姿のおばあちゃん――ではなく白石が出てくる。

「兄貴、先生方ぁ! 今日は豚汁とハンバーグでっせぇっ」

 しゃもじ片手に白石は高らかに献立を伝えるが、特に喜ぶ素振りもなく灯籠蜜はその横をすり抜ける。

「あたくしのはおろし醤油でお願いしますよ」いや、結構喜んでるか?

 あばら家と呼ばれるのをギリギリ回避している平屋の廊下は一歩ごとに軋みを上げた。豆電球では廊下の隅まで照らせず、いかにもなにか出そうな不気味さがあったが、狭い家だ。数歩進めばすぐに居間に繋がる戸があった。全員が居間に収まると、急に白石がもじもじし始める。

「ご飯にします? お風呂にします? それとも、僕にしはります!?」

「食事にしてください」「ご飯で頼むよ」

 眉一つ動かない面々。答えはしなかったが、撤兵の答えももちろんご飯だ。惜しくも選ばれなかった白石は口を尖らせて消えていく。「僕」を選ぶやつがいると本気で思っていたのだろうか。おちゃらけた白石だったが、意外なことに料理の腕は良かった。運ばれてきたハンバーグは肉汁たっぷりの食べ盛り大喜びの逸品で、豚汁も野菜と豚肉の旨味が詰まっていて何杯でも行けそうだ。一心不乱に掻きこむ撤兵を、白石は「作り甲斐あるわぁ」と細い目を更に細める。

 口火を切ったのは安納だった。彼は大皿から取ったハンバーグを米の上に移動させながらナゲットに尋ねる。

「村長さんのとこでのお話を踏まえると、今後は灯籠蜜大先生とナゲ――桧垣先生はご一緒に遺想物の調査をするってことでええですか?」

 聞かれたナゲットは落ち着かせるように豚汁を一口すする。

「質問に答える前に一ついいかい」

「はい?」

 それからわざわざ安納の隣に移動するとおもむろに手を伸ばし――力いっぱい耳を引っ張った。

「なんで! ボクが! 先生で! この霊能者さんが! 大! 先生! なのかな!」

「すんまへんすんまへん! 耳千切れる、千切れてまいますぅッ」居間の隅の隅まで逃げ、安納は耳を押さえて涙目で訴える。「せ、せやかてしゃあないですやん。僕ら桧垣はんととご贔屓にさせてもらってますけど、本職は霊能者ですさかい。霊能者界隈でトップオブトップと謳われる灯籠蜜はんを大先生とお呼びするんは当然ですやん」

「トップオブトップぅ?」

 あからさまに怪訝な声色で聞き返すナゲット。その視線は行儀よく座る灯籠蜜に注がれていた。視線に気づいた灯籠蜜はティッシュで口元を拭う。

「そういってくれる方が多いだけで、あたくしが名乗ったわけじゃありませんわ」

「どうだかねっ。いいかい撤兵君。霊能者っていうのは、基本的に唯我独尊私が一番偉いって思ってる連中のなる職業だからね。覚えておくんだよ」

 俺を巻き込むなよ。撤兵は知らないふりをしてハンバーグを頬張る。

「あたしがどういわれているなんて、どうでもいいことです。それよりも安納さん」

「はい?」

 灯籠蜜は席に戻って来た安納の後ろに回ると、さっきナゲットが引っ張ったのとは逆の耳を思い切り引っ張った。

「あたくしは! 遺想物の! 調査なんて! 死んでも! 致しません!」

「すんまへんすんまへんっ。口が滑りましたーッ」

 再び居間の隅に逃げ、安納は両耳を押さえて丸まる。一方灯籠蜜は気が済んだのか席に帰ると食事を再開する。一連の流れを見ていた撤兵は、似た者同士なのかな、と考えながら白石に豚汁のお代わりを求めた。

「それで、呪物の話ですが、」

 しばらくすると、すました顔で灯籠蜜が切り出す。

「呪物の話なんかしていただかなくて結構ですよ。遺想物の話をしてもらえれば」

 飄々と返すのはいうまでもなくナゲットだ。メイド二人は関わりたくないのか、一言も話さず食事に専念している。

「……呪物が、どこにあるか、なんであるかはまだ分かっていません。しかし桧垣先生は村長の前で『不思議なお守りがあると聞いた』とおっしゃいました。一体どこの情報ですか。こちらの情報を渡す前にそれを教えていただきたいんですが」

「メールが来たんですよ。稲呑村に人の気を狂わせるお守りがあるって、匿名のね」

「匿名ですか。なるほど。あなた方はそれを鵜呑みにしてのこのこいらしたと」

「ええ。遺想学は広く開かれた学問ですから。遺想物を蒐集する私にもその精神は根付いています。匿名であることを理由に調査を拒否するなんて度量の狭い真似はしませんよ」

 頬を爪楊枝で突かれているようなトゲのある空気が居間に充満している。視界の隅では豚汁のお代わりを持った白石が居間に入れず様子を窺っているのが見えた。

「そうですか。ただ現状、異変の根源がお守りであるという情報は出ていませんから、デマを掴まされたのかもしれません」

「村人が隠しているという線は?」

「ありません、ともいえないですが、可能性は限りなく低いかと。ただこの村でのならわしが関わっていることはたしかです」

「なるほど。ところで、私たちがここに来た経緯はお話したんですから、灯籠蜜先生の経緯も教えてもらえませんか? なにかの役に立つかもしれませんし」

 灯籠蜜はぽっと出の他人に、というよりはナゲットに自分の話をするのは嫌そうだったが、拒否する理由が思いつかないのか数拍置いたのちに話し出す。

「私は霊能者として全国各地に根差した民間信仰を追っているんです。そも禍神と善神の違いを見極めるための標準化された物差しなんざ存在しません。だから今の人々が祀られている神を善かまがか判断する材料は歴史にしかない。善神といわれてきたから善神。禍神といわれてきたから禍神。ただそれだけです。では神を祀り始めた時代の人々はどう見分けていたかといえば、それは人間の感性に他ならない」

「つまりいもしないものにありもしないものを投影していたって話ですね」

 馬鹿にした口調で横やりを入れるナゲットに灯籠蜜は眉をひそめる。

「相変わらず遺想屋は自分の考えを真実と信じて、他人の価値観を見下す悪癖があるようだ。まあいい。悪心を善神と信じている人々の村では、因習が起きやすいことはあなた方にも想像がつきますね。そして因習によって報われない死を遂げた者たちが、今度は妖や悪霊になる――こちらに関しては、あなた方は否定するでしょうが。私はその因果を断ち切るために全国を回っています。これであたくしがここにいる理由はお分かりでしょう」

「ウンウン。十分です」

 どこか楽しそうなナゲット。恐らく『やはり霊能者は取るに足らない愚かな連中だ』とかなんとか考えているのだろう。撤兵はナゲットが笑っているときは大体人を馬鹿にしているときだと学んでいた。

「ではそろそろ本題に入っていただけますか」

 灯籠蜜は不愉快そうな表情を隠しもしなくなったが誰も責める者はいない。むしろ撤兵は心の中で負けるなと応援していた。

「この村が、いやこの山に住む者が信仰しているのは御洗おあらさまという龍神と、それを守る赤赤坊しゃくしゃくぼうという天狗です。気性の荒い神々が治めるこの山に入るときは、『御免ごめん』と謝意を唱えなければならず、これがこの山が御免山ごめんやまといわれる所以です。そしてこの村には龍神のために作られた二つの因習があります。一つは花送はなおくりと呼ばれる女子が行う儀式、もう一つは身隠みかくしと呼ばれる男子が行う儀式です。花送りとは、御洗い様に嫁を捧げることで荒ぶる神を鎮めようとするならわしで、未開通の女子が選ばれるそうです。花送りに選ばれた少女は、村の最北にある閨で一カ月間過ごし、この間外との関りは断絶されます。期間は十二月一日から一月一日までですから、今年の花送りはまだ十日ほど残っています。一方で身隠しは、十六才になった男子に荒れる川を渡らせるならわしです。このならわしは世界各地で見られる度胸試しの意味を含んだ成人の儀と、もう一つ、村の中から御洗い様を守る天狗を生み出すという二つの目的があります。正確にはその年の一月一日から十二月三十一日までの間に十六才になる少年は、前年のはじめから山を守るための修行を行い、誕生日を迎える年の六月、雨によって氾濫した稲呑川いのみがわの川渡りに挑むことになります。御洗い様に認められた者は川に呑まれて赤赤坊となり、生き残った者は村を守る者として役目を果たすことを求められるというわけです」

 話半分に説明を聞いていた撤兵は、途中から背筋がゾクゾクして仕方がなかった。花送りはまだいいとしても、身隠しというならわしはまるで死人を生むために行われているようではないか。

「そんなの許されるの?」

 聞くことに専念しようとしていたのに、思わず聞いてしまった。

「君みたいな現代っ子には分からんやろけど、結構あるんよ。こればっかりはしゃあないねん」どこか慰めるように安納は頷く。

「マジか……」十六才なんて、まだまだ子供じゃないか。それを氾濫した川に流すなんて、虐待どころか殺人だ。撤兵は食欲が急に減退していくのを感じる。

 ショックを受ける撤兵とは反対に、ナゲットは慣れているのか意気揚々と推理を始める。

「なら思われ物はそのなわしの参加者のどちらかが作ったんだね。ただ身隠しの場合は持ち物は死体ごと流されるだろうから、花送りの少女の持ち物である可能性が高いんじゃないかな。どうです? 灯籠蜜大先生」

 話を振られた灯籠蜜はツンと上を向いて答える。「そのくらいあたくしにも検討がついてます。ただ、花送りの花嫁が使う閨は、花嫁以外の何人も立ち入り禁止。あたくしも調査のために入れてほしいと頼みましたがダメでした。なので実際になにがあるか、もしくはなにもないのか、中の様子はあたくしにもさっぱり分かりません。そこで南天さん、あなたの出番です。花嫁にはあたくしが仕立てあげますから、あなたは中を調べてきてください」

「調査自体は構わないけど、あたしは年末までこんなとこにいるのなんて御免だよ」

「そこは問題が解決し次第、巳妃と同様に逃がして差し上げるから安心なさい。」

「できんのかい?」

「あたくしを誰だと思っていらっしゃる」

 心外そうに灯籠蜜がいえば、間髪入れずに安納&白石が「稀代の大々大天才霊能者・灯籠蜜愛丸大先生ぇー!」と合の手を入れる。安納は唯我独尊を地で行くタイプかと思っていたが、上に弱く下には驕るタイプらしい。この評価が上方修正であるか下方修正であるかはさておき、ひとまずの方針は固まったようだ。撤兵は自分に無茶な役が与えられなかったことに安堵しながら、空になったご飯茶碗を白石に掲げた。

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