7 要らんこと

 次の日の朝、撤兵は特徴的な通知音に気づいて目を覚ました。手探りでスマートホンを取り画面を確認すると、SNSをフォローされた旨と一件のダイレクトメッセージの通知が来ている。どちらも操作を行った相手の名前は『@MK_cha04』となっていて、アイコンから女性であることは分かるのだが、どこの誰であるかまではさっぱり分からない。ひとまずメッセージを開いてみると、

――昨日は災難だったね。大丈夫だった?

「……巳妃かっ」

 スマホを放り出し撤兵は天井を仰ぐ。自分に思いを寄せる女子たちにSNSのアカウントを特定された経験は数知れないが、毎度彼女らのアカウント特定能力には驚かされる。一度ため息をついてからスマホを拾うと、短く「大丈夫」と返してアプリを閉じる。まだ時刻は朝の八時過ぎで、台所から物音がすることを鑑みても朝食には時間がある。二度寝でもしようかと思っていると、周りの布団が全員分片付けられていることに気がついた。昨晩は居間の向かい側にある広めの部屋に川の字に布団を敷いて寝たのだが、いつの間に皆起きたのだろうか。自分だけぐーすか寝ていると思うと妙に居心地が悪く、二度寝は諦めて布団を畳むことにした。「寝坊助さん」と廊下にいたマスタードに笑われながら洗面所に行き、顔を洗って歯を磨き終わる頃には朝食の準備も終わっていた。

「お残しは許しまへんでー」

 今日の食事当番は安納のようだ。昨日の白石と同様に割烹着を着ている。二人共妙に似合っているのが若干腹立たしいが、食事を出してもらえるのはありがたい。今朝の献立は納豆と白米、豆腐の味噌汁に白菜の漬物だ。居間に入るとナゲットがごくごく牛乳を呷っている。「朝からよく飲みますね」「おいしいよ」

「灯籠蜜先生は今日はどちらに?」

 朝食が始まると、早々にナゲットが聞いた。灯籠蜜は納豆を混ぜながら答える。彼はまだ朝だというのに寝ぐせの一つもなく化粧もばっちりだ。寝ぐせがついているような人間はこの場に撤兵しかいないが、寝ぼけているのか本人は気づいていないらしい。

「食事を終え次第、花嫁の件について村長と話してきます。南天さんにもついてきていただきます」

「分かったよ」

「他の人らは少なくともあたくしが帰るまでは家の中にいてください。特に撤兵君は絶対に一人でふらふらしないように」

「え、俺っすか」ナゲットより先に釘を刺されると思っていなかった撤兵は心外そうにいう。

「過ぎたるはなお及ばざるがごとしというように、あなたの容姿はこの村にとって毒ですから」

 酷いいわれようだ。しかし昨日のこともあるので、撤兵は素直に「はーい」と返事をして漬物を頬張った。まあ行きたい場所があるわけではないし、家にいても特に不便はないので構わなかった。

「安納さん、白石さん。お二人は彼らをよく見張っていてくださいね。特にこちらの桧垣先生はなにをするかわかりません」

 二杯目の牛乳を呷るナゲットを横目に睨みながら灯籠蜜は命じる。重々しい表情で頷く二人。

「僕ってそんなに信用ないかい?」

 きょとんとした顔で尋ねるナゲットに誰も答えないまま、朝食は終了した。

 その後、灯籠蜜が話していた通り彼とBBQは村長の元へと出かけていった。くだんのナゲットは、どうやら昨日会った巳妃の父親がこの家に住んでいた民俗学者で、村についての資料を置いていったらしく、その資料を見にマスタードを連れて台所の隣の部屋にこもった。安納は週に一度来るという食品の移動販売車の元へ出かけて行き、やることのない撤兵は居間に置かれていたブラウン管をつけた。無理やり地デジに対応させているらしく、観られるには観られるのだが、壊れているのか画面の三分の一ほどが映らない。ニュース――らしき番組――を観ながらぼーっとしていると、朝食の片づけを終えた隣に白石が座ってくる。

「やぁーこの時季の洗い物は辛いわあ」右手にはみかんが二つ握られており、一つが撤兵に差し出される。「食べる? にしても撤兵君も災難やなー。イケメンてだけで火あぶりやもんなあ」

 受け取ったみかんを剥きながら撤兵は苦笑した。「そっすねえ」

「ていうか、そうだ。白石さん知ってました? ナゲットって名前は偽名だったらしいんすよ」

「そら知っとるよ。え、自分本名や思うてたん?」

 撤兵としては割と衝撃の事実だったのだが、白石は当たり前のように頷く。しかしよく考えれば、偽名であることは丸わかりだ。実際、撤兵も名前を聞いた当初は絶対に偽名だと思っていたし、最近までそう信じていたが、あんな風にあっけらかんと本名を聞かされると、それはそれで衝撃だった。

「いや違うけど、違いますけどぉ、なんか聞いちゃいけないのかなーと」いいながらみかんを一房口に放り込む。甘さはほとんどなく酸っぱかった。

 期待外れの酸味に顔をしかめていると、丁度玄関の方で物音がした。どうやら安納が帰って来たようだ。「帰ったでー」と廊下から声が聞こえ、そのまま一度足音は台所の方に消える。しかしすぐにこちらへ帰ってくると、鼻っ面を赤くした安納が居間に入ってくる。

「おかえんなさい兄貴ー」

「おう、ただいま。いやー、さっきの話聞こえてたで。まあ坊ちゃんの気持ちは分からんでもないわ」

 ちゃぶ台を挟んで二人と反対の位置に座り、安納は白石のみかんをつまみ始める。

「いきなりあからさまな偽名を教えられたら、誰だって触れたらあかんのかと思うわな。ただあの人らに限ってはそんなことないと思うで。というのもな、あの人らはな、死神ってあるやろ。あれを使ってもう何度も身体をかえてんねん」

「身体を?」

 また突拍子もない話だ。しかし地域の最新ニュースよりは面白いかもしれない。撤兵は安納の方に向き直る。

「どういうことっすか?」

「ろうそくは魂、身体は器って考えれば君にも分かるかな。例えば死神の力を使って、君の身体からろうそくを抜くとするやろ。ほんで、別の人から抜いたろうそくを君の体に戻す。そうすると、君の体はその別の誰かのもんになるんや」

「え? その場合、俺はどうなるの?」

「他の誰かの身体にろうそくを入れれば、その身体が君のもんになる。どこにも入れなかったら……まあ死にはせんけど生きもせんな」

 体が入れ替わる創作物は世に数多あるが、それと同じようなことだろうか。

「じゃあナゲットさんたちは、他の誰かと勝手に身体を入れ替えて生きてるってこと?」

「いやいやちゃうよ。さすがにそんなことせぇへん。あの人たちが使ってるのは、もっぱらろうが溶けきったり、火が消えたりした体」

 笑いながら安納は否定するが、炎を魂、ろうを寿命とするなら、ろうがなくなったり火が消えた状態というのはつまり、

「それって死んでるってことなんじゃ?」

「…………」安納の笑みが固まる。

「兄貴、いうたらマズイんやないか!?」と白石。しかし安納はすぐにケラケラ笑いだすと、

「マズイことあらへんやろー。別にあん人らが殺してるわけでもないしー。じゃあ変なこと教えたお詫びにええこと教えたる」

 それから安納は撤兵の耳元に扇子で隠した口を寄せ、

「死神使えばなあ、女の子と入れ替わることもできるんやで」

「なっ!?」一気に活性化する撤兵の脳。頭の中に次々浮かぶ妄想を記すのは、年ごろの大学生にとってあまりに酷だろう。

「今度先生に頼んでみぃや。めんこい女の子の身体に入ってあれこれや……少年の夢やんなあ!」

「おっ俺そんな趣味ねえから!」

 にやにやする安納の頭を押し返し、撤兵は赤くなって叫ぶ。

「そそそ、そもそも? そもそも俺、入れ替わらなくても頼めばやらせてもらえるしっ?」

「イヤー下品やわあ!」「羨ましい限りやなあ兄貴ぃっ」

 小学生男児のごとく三人がふざけ合っていると、資料を読み終えたナゲットが居間にやって来た。

「仲がいいね、君たち。偏差値が同じくらいなのかな」

 さらっと失礼なことをのたまいつつ、彼は右手に提げた一冊のノートを持ち上げる。

「花送りについて面白いことが分かったよ。昨日灯籠蜜先生はいわなかったけれど、こっちの方も随分血なまぐさいならわしじゃないか」

「血生臭い?」

「ああ。今でこそ花送りの期間は一カ月間と短い嫁入りだが、大昔は花嫁を殺して閨に入れていたらしいよ。時代と共に人身御供が淘汰されると、それからは十年単位、五年単位、一年単位と段々期間が短くなってきている。そしてその間はやはり外に出ることは許されていない。ただねえ、どうやらこの村にはならわしに参加する子供に、親がお守りを渡す習慣があるようなんだよ。そう、お守りだ。先生はデマを掴まされたのだなんだの仰っていたが、うふふふ。これなら花送りの花嫁にも十分遺想物を作ることはできる。それに村長の話を信じるなら、気が触れるのは花嫁だけだ。そう考えると十分に――いやむしろ、花送りに選ばれた少女が遺想物を作ったと考えるのが妥当だね。うふふふふ、どういう意図で灯籠蜜先生が僕らにこのことを教えなかったのか知らないけれど、あの先生も随分いい性格してらっしゃる」

 底意地の悪いにやけ顔でまくし立てるナゲット。そこに白石が邪気のない態度で答えを示す。

「単純な意地悪やと思いますよ。僕と兄貴は知ってましたし」

 静まり返る室内。気まずい沈黙がふわりと四人の上に落ちてくる。「…………」

「いらんこというなボケぇ!」

「あ痛ーッ」

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