第4話完 赫怒の雷鳴

 泣きながら撤兵が村に戻ると、広場の方角から喧騒が聞こえた。なにか起きたのかと向かってみれば、そこには蹲る花嫁姿のBBQとそれを守るように立ちはだかる灯籠蜜の姿があった。周りを囲む村人たちの手には松明や桑など物騒な道具が握られており、撤兵は咄嗟に輪の中へ突っ込んだ。普段の撤兵ならば、武装した村人を見て呆然と立ち尽くすか物陰に隠れただろうが、そのときだけは彼の中に義憤が生まれていた。

「なにしてるんですか!」

 怒りの形相で乱入してきた撤兵に、村人は勝るとも劣らない怒気を孕んだ声色で「こいつらは村を惑わす禍神なんじゃ!」と喚いた。

「ま、禍神禍神って、あんたらなあッ」

 散々自分たちで恨みを買うような真似をしてきたくせに、悪いことはすべて他人のせいにするとは、どれだけ恥知らずな連中なのだろうか。撤兵が怒鳴り返そうとすると、村人の一人が前に進み出てきて灯籠蜜を指さす。その顔には見覚えがあった。家の裏で話していたときに灯籠蜜を呼びに来た村人だ。

「さっきおらは先生が話してるの聞いたんだ。そこの男と花嫁は昨晩逢瀬をしたんじゃと! これは体を重ねたということに違いない」

「してねーよっ」撤兵が食ってかかるも村人は聞く耳を持たない。

「穢れた女なんぞ、花嫁にするわけにはいかん。それに御洗い様のために用意した閨で他の男とまぐわうなど、こんな罰当たりは生かしてはおけん。そういったのに、先生は、先生はその娘を庇いおった。結――局、先生は余所者じゃ。御洗い様を敬うおらたちの信心を踏みにじった!」

 松明を掲げる村人たちの目は爛々としていて、同じ人間とは思えないほどの狂気を感じた。ここまで来れば、もう灯籠蜜の説得も意味をなさないだろう。

「お前たちのような者は生かしておけん。殺して、稲呑川に流して、御洗い様に穢れを洗い流してもらうんじゃあ――ッ。赤赤坊様の怒りを知れえぇッ」

 村人は雄たけびを上げて各々持った凶器を振り上げる。

――やべえッ。

 助けになんか入るんじゃなかったっ。撤兵が自分の蛮勇を悔いた直後、けたたましいクラクションと共に一台の車が広場に突っ込んできた。蜘蛛の子を散らしたように逃げまどう村人たち。すると運転席の窓が開き、中からマスタードが顔を出す。どうやらまだ天は自分たちを見捨てていないらしい。

「早く!」

 叫ぶマスタードに促され、三人はランクルに乗り込んだ。しかし体勢を立て直した村人たちが車に群がり出発ができない。一行が往生していると、彼らはさながらゾンビのごとくなにかを喚き散らしながら鍬やこん棒で車体を打ち付け始めた。

「嫌な人たちね……っ」

 もう一度クラクションを鳴らすが怯む気配はない。もはや数人轢いてでも――とマスタードがブレーキから足を離そうとした、まさにそのときだった。轟音と共に空が光った。驚いて村人たちは空を見上げる。これ好機とマスタードはアクセルを踏みつけ、一気に村の出口まで駆け下りた。

 村には数台だが車があったので追手が心配だったが、七人を追ってくる者はなかった。まさに九死に一生を得た一同は、すし詰め状態の車内で安堵の息をついた。

「し、死ぬかと思った……」

 撤兵は後部座席の足元で脱力した。隣ではBBQが着物を帯を緩めながら大きなため息を吐いている。

「悪かったね、皆」

「構わないよ」いの一番に答えたのはナゲットだ。「目的の物は獲れた。それに皆無事のようだしね」

 一方で怒りが収まらないのが灯籠蜜だ。彼は白石と安納の膝に乗り上げた体勢のまま「全然良くないっ」と叫ぶ。

「あなたちのせいで計画がぱぁだ! 御洗い様の正体を掴むこともできなかった上に、これじゃあもうあの村には戻れない。一体どうしてくれるんです!?」

「あっはっはっはっは」いけ好かない相手が取り乱しているのが楽しいのかナゲットは声を上げて笑う。「いいじゃないですか。彼らは彼らでよろしくやるでしょう。それよりも、この思われ物を回収できたことが――あれ?」

 ナゲットは意気揚々とポケットに手を突っ込み、頬を引きつらせた。「嘘、ない」それから服をパンパン叩いてお守りを探すがどこにもなく、どうやらどこかで失くしたようだ。ナゲットの顔面に一気に焦りの色が広がる。

「えっ嘘だろう! 落とした!? どこで!? 馬鹿な、マスタード、今すぐ村に戻りなさいっ」

「無茶おいいよ」

「頼む、後生だっ」

「行きたいなら一人で行っとくれよ」

「むむむむむ、なんてことだ……。この僕がこんなポカをするなんて……」

 爪を噛むナゲットを見て、多少は灯籠蜜の溜飲も下がったらしい。彼はにやにやと意地悪くナゲットを眺めてから撤兵に視線を移す。

「そういえば子安君。あなた瘴気が消えてますね。身を清めましたか?」

「いや、清めてないすけど……。あ、最後にマサキに会ったからですかね」

「普通は遭遇する度に濃くなるはずなんですが。もしかして彼らを喜ばせる言葉でもかけたんですかね」

「あー。かっこつけたかもしんないっす、ハイ」

 最後に振り絞った言葉が、彼らに届いたなら嬉しいと思う。撤兵はちょっとはにかんでマサキの姿を思い出した。同時に御洗い様の正体についても思い出したが、それはなんだかいってはいけない気がした――が、すぐに口がもぞもぞして自分一人で抱えておくのに耐えられなくなった。「あのさ」

「マサキに会ったとき、あいつ、御洗い様なんぞとっくにおらんっていってたんだよ。これ、どういう意味かな」

 撤兵の問いに答えられる者はいなかった。しばしの沈黙の後、ナゲットは灯籠蜜にこう持ち掛ける。

「……灯籠蜜先生。この後うちに寄って行きませんか。遺想学会に報告をするにあたり、今回ばかりは、あなたのお話が必要になるかもしれない」

「ええ。あたくしも同じ提案をしようと思っていたところです」

 雷鳴を皮切りに振りだした雨は、山を下るうちに信じられない豪雨になってきた。麓辺りまで下りるといよいよ前が見えないほどになり、マスタードがラジオをつけた。悪天候のせいで随分ノイズが酷いが、聞き取れただけでも周辺地域が大変なことになっているのが分かった。

――現在、稲呑村周辺には大雨警報が出ており、また土石りゅザ――ガガッ――

「うへえー。僕らあそこにおったらまずいことなってたなあ、兄貴」

「せやなあ」

 運が良かったわ、と扇子を仰ぐ安納。その足元で突然撤兵が悲鳴を上げた。彼はBBQから返してもらったスマートホンの画面に釘付けになっており、衆目を集めたのに気がつくと撤兵は皆に見えるよう画面を外に向けた。そこには稲呑村周辺を上空から撮ったライブ中継が流れていて、氾濫した川の茶色い水が村に流れ込んでいる。真顔で画面を見つめる一同に、撤兵は震える声で

「こ、これ、誰が撮ってるんですかね……?」

 カメラが映すシーンは変わらず、定点で撮影されているのが分かる。この近さで、この映像が撮れる位置は、恐らく閨の上にあった崖くらいだろう。しかしこの雨の中、あんな場所でわざわざ撮影をしようと思う者がいるだろうか。

 黙り込む七人。その間にも水害は広がり、靴や桑が水面に浮いている。

「あ――!?」

 ひと際大きな雷と共に画面が一瞬暗転した。すぐに回復した映像を見て、画面を見ていた六人は絶句する。

 緩んだ地盤が崩れ、稲呑村が土石流に呑まれる瞬間が映像には映っていた。

「ねえやっぱり画角おかしいって!」

 映像では手前から奥に向かって土石流が流れていった。つまりこのカメラは土石流の起点に置かれていなくては理屈が通らない。しかし、土石流の起点に置かれたカメラが何故土と水に飲まれる稲呑村を撮れる?

「ナゲットさん。ゆ、幽霊なんて嘘っすよね? 悪霊なんかいないっていってましたもんね?」

 助手席に身を乗り出し撤兵は尋ねる。笑い飛ばしてくれ、ドローンなりなんなり、いくらでもこの映像を撮る方法はあると、ダメ学生はそんなことも分からないのかと、笑い飛ばしてくれ。撤兵は切に願ったが、そんな祈りもむなしくナゲットはぼそりと、

「……こればっかりは、僕にも分からないな」

 身隠し。罪のない少年の命を信仰の下に奪い続けてきた因習。龍の如く荒れる川に少年を捧げ続けた村が、土石流に呑まれた。穢れを洗うという彼の神が、悪しきならわしに命を浪費し続けた罪を流してくれたのだろうか。それとも無為な因習に神の名を振りかざした村人に、山神を守る赤赤坊が罰を下したのだろうか。

 いや、違う。

――御洗い様なんぞ、とっくにおらん。

 マサキの言葉が蘇る。これは御洗い様の穢れ流しなんかじゃない。神を守る天狗に祀り上げられた死者が、神のために罰など下すはずがない。これは、これは、

赤赤坊しゃくしゃくぼうの呪いだ」

 灯籠蜜の言葉を、ナゲットが笑うことはなかった。

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