7 引継ぎ

 五人が蔵を眺めて少し経った頃、邸宅の玄関から一人の女性が出てきた。目が大きく顔は小さい典型的な美人で、フェイスラインに沿った丸いボブが良く似合っている。クリーム色のニットワンピースが女性らしい柔らかな印象を与えた。話を聞いた限り彼女が成富宝の妻なのだろう。上品なお母さん、というのが撤兵の印象だった。夫と子供がいることを考えると花盛りは過ぎているかもしれないが、ママタレントとして活躍できそうな美貌だ。撤兵は口に出したら即刻セクハラと両断されるようなことを考えつつ、出てきた女性をまじまじ見つめていた。視線に気づいた彼女は、ついでに視線の主の優れた容姿にも気がつくと「あら、カッコイイ子ね」と微笑む。すかさずナゲットが「人妻をたぶらかしたらダメだよ」と耳打ちしてくるので意図的に無視する。

「やあやあ奥さん、昨日ぶりですぅ。一晩見いひんうちに美貌に磨きがかかりましたなぁ」

「そうかしら。よくいわれるわ」

 真に秀でた容姿を持つ人間は、その客観的事実を突きつけられ続けた経験から誉め言葉に謙遜しない――というのが撤兵の持論だが、彼女の対応はその理論を裏打ちするように堂々としていた。撤兵は慣れ慣れしくも彼女に親近感を覚え、ついでに知りもしない過去の異性トラブルを想像して同情した。分かる、分かる。モテる人間は辛いっすよね。「撤兵? なに一人で頷いてるんだい?」「いや別に」

「はじめまして、成富満留みちるです。安納さん。このた人ちが、あなたのいっていた舎弟の方々?」

「舎弟だぁ?」

 ぴくりと眉を吊り上げるのはBBQだ。隣でナゲットも「王彦君?」と色のない目で聞き返している。するりと自然な動作で背中を取られた安納は、冷や汗をかきながら

「ちゃ、ちゃいますよぉ。こちらのお二方は私の知り合いで、私と同じくらい優秀な専門家ですわ。舎弟はこの……この、子安撤兵君!」

 勢いよく腕を引かれ満留の前に突き出される撤兵。

「な! 君が第二十四番目の弟子やんなっ」強く掴まれた肩が軋みを上げる。

「は!?」「話合わせぇっ。後でジュース買うたるからっ」「俺は小学生か!?」「ええから! ここで余計なこというたら一生恨むでぇ」

 バレてまずい見栄なら張らなきゃいいのに。鬼気迫る物いいに呆れながらも圧倒され、撤兵は渋々「二十四番弟子の子安撤兵です……」と不名誉な肩書を口にする。「ようやった、ええ子やええ子ッ」火起こしでもする気かと聞きたくなる勢いで背中をなでられるが全く嬉しくない。

「二十四番……昨日聞いたときは、二十番目までしかいなかった気がしますが」

「そりゃ奥さん、私のこと誰やと思てますのん。この天才霊能者、安納王彦に弟子入りしたがる人間は全世界で一秒ずつ増えてるんです。それを考えたら一日で増えた四人なんて誤差みたいなもんですよ」

 小首を傾げる満留の肩に腕を回す構図は完全に詐欺師と被害者だ。――っていうか、既婚者の肩に腕を回すってどういう神経してるんだ? 

「ま、そういうわけで、私の二十四番弟子とこの偉い先生方にれいの件は引き継ぎますんで、私らはここらで失礼させてもらいますわ」

「堪忍ね、奥さん!」見習い詐欺師も輪に加わる。「僕らも呪いやったら祓えるんですよ。でも、畑違いやから! 堪忍ね」

「専門外でしたら仕方ないことですね。わざわざご足労いただいてすみませんでした」

 眉をハの字に下げて誤る姿に、詐欺師二人は少しくらい罪悪感を覚えないものだろうか。多分覚えないのだろう。安納は白石の背中に飛び乗ると、車の中から引っ張り出した傘を差して「ほな!」と敬礼する。詐欺師から大道芸人に復職した二人組が門の角に消えた後、撤兵がぼそりと「詐欺師」と呟いた。するとその直後に激しい足音が聞こえ、スーツに泥を跳ね返しながらコンビが戻って来る。一直線に撤兵のつま先寸前まで駆け寄ってくると頭上から安納がマシンガンのごとく怒鳴り散らす。

「誰が詐欺師やこんダメ学生がァ! 俺は天才霊能者、安納王彦やとなんべんいわせば気が済むんねんっ。そのスカスカのスカした頭じゃ覚えられんかのう!? 今回はあくまで呪いとか悪霊の仕業やないから対応できんだけッ。遺想物に関しては門外漢なのッ。そら呪いやったら祓うよ!? 清めるよ!? でもちゃうんやからしょぉおーがないやないか!」

「わわ分かった、分かったから。専門外なだけで、呪いだったら対応できたんすね」

「そらもうたちどころにな!? ほな!」

 いうだけいうと満足したのか、今度こそ見栄っ張り大道芸人コンビは去ってゆく。撤兵はすっかり疲弊した表情でまた余計なことを呟こうとし、やめた。これ以上疲れたら今日一日持つ気がしなかった。

 仕事を引き継いだ三人は改めて満留に向き直る。

「ナゲット=ソースです。この度はどうも、面白そうなものを見つけていただいて嬉しい限りです」

「BBQ=スペアリブと申します」

「まあ。面白い名前なのね」

 面白いで済むか? ふざけてるだろ。よくいえば寛容、悪くいえば能天気な満留に呆れつつ、撤兵は自分も改めて「お世話になります」とお辞儀した。

「さっそく蔵を見せていただきたいんですが」

 早々に切りだすナゲットの目は輝いていて、まるで宝の山でも見つけたかのようだ。一方で満留は不安げに両手で腕をなでながら、

「車で山道を走ってこられたんです。疲れたでしょ。お茶をいれますから、まずは中で休んでください」

 と玄関を視線で促す。しかしナゲットはなおも食い下がる。「いやいや、まずは蔵を」満留も負けていない。「いえいえ、まず休憩を」「いやいやいや、まずは蔵を」

「あたしは休憩いただきたいわ」

 決着のつきそうもないやり取りを見かねてか、BBQは片手を上げる。ついで彼女が自分の方を見てきたので、話しを合わせろという指示だと察した撤兵は「俺も」と片手を上げた。部下二人に裏切られたナゲットは、餌を取り上げられた犬のような顔で不満を訴えてくるが、当の本人らは明後日の方角を眺め知らんぷり。

「そうでしょう! おいしいクッキーがあるのよ。手作りは大丈夫?」

「もちろん」

「それじゃあ中へ入りましょう。あ、荷物は?」

「撤兵が持ちますわ」

「エッ」俺か。同行者が雇い主と女の子であることを考えれば妥当な人選だが、当然のように指名されるとちょっと不本意だ。とはいえこれで一々文句をいうのも格好悪い。撤兵は黙ってリュック一つとボストンバッグ二つをトランクから取り出す。リュックは撤兵の荷物で、ボストンバッグはそれぞれ赤がBBQ、青がナゲットのものだ。ちなみに青いボストンバッグは嫌がらせかと思うほど重たい。玄関に入っていく背をこっそり睨む。「撤兵君?」「なんもしてないっす」エスパーか。

 満留に案内されたのは、玄関から廊下を曲がってすぐ左にある客間だった。

「今お茶とお菓子を持ってきますね」

「お構いなく。できれば牛乳があると嬉しいんですが」

「ちょっとだぁさま」不躾な主人をメイドが肘でつつく。「すみませんね。本当にお構いなく。雨水でも風呂水でも気にしゃあせん」

 満留が茶を汲んできてくれる間、撤兵は外観と同じく立派な客間を感嘆の思いで観察していた。床の間には水墨画の掛け軸がかけられており、隣接する障子窓は上部が装飾の施された木の板になっている。いわゆる欄間というやつだが、建築に詳しくないため撤兵には『ドラマでよく見る立派な和室のやつ』としか表現できない。漆塗りのローテーブルは、撤兵が今まで入ったどの蕎麦屋のものより重厚感がある。位置からして、障子を開ければ縁側が広がっているはずだ。それにしても、障子に穴の一つも開いていないとはなんと行儀のよい家か。祖父母の家で散々いたずらした過去を思い出し郷愁に浸っていると、撤兵は障子が数センチ開いていることに気がついた。

「ん?」

 撤兵の声につられ、ナゲットとBBQも障子に気がつく。

「おや。可愛いお嬢ちゃんじゃないか。こっちおいでまし」

 BBQがちょちょいと手招きするとおずおず小さな女の子が入ってくる。年齢は五、六歳くらいだろうか。幼いながら整った容姿は一目で満留の娘と分かる。緊張しているのか俯きがちで浮かない表情をしている。

「こんにちは。お嬢ちゃん名前は?」

「……杜千とち

「杜千ちゃんか。素敵な名前だねぇ。あたしはBBQってんだ。仲良くしとくれ」

「バベちゃん?」「そう、バベちゃん」

「それで、こっちのお兄ちゃんは撤兵」

 紹介を受けた撤兵はひとまず最も評判のいいコマンド『ニコッと笑い』を実行する。すると無垢な子供はたちまち頬を赤らめてBBQの胸に逃げ込んだ。

「あんたこんな幼子まで引っかける気かい? 罪な男だねぇ」

「俺が悪いのかな。てか、流石に犯罪だろ」

「だって見てごらんよ。こんなに照れちまって……ん?」

「なに?」

 BBQは突然軽口をやめ、杜千の肩を叩きだした。「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん?」

「その子なんだか様子がおかしいね」

 肩越しに杜千を覗き込みナゲットがいう。杜千の体は小刻みに震えてた。――泣かせた!? 女性を泣かせた経験はそこそこあるが、こんな幼い女の子を泣かせるのはマズイ。撤兵が戦慄する前でBBQは杜千の体をひっくり返した。その顔は真っ青で血の気がなく、小さく空いた口からは苦しそうな呼吸が漏れている。

「ウワ、撤兵君。君一体なにしたの」

「なんもしてないっすよ!」

 ひとまず母親を呼ばねば。立ち上がる撤兵の傍で、ナゲットは杜千をじっと見つめていた。

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