9 花送り

 昼食の場にBBQはいなかった。寝室から騒ぐ声が聞こえる中灯籠蜜だけが居間に入ってくると、撤兵を見るなり一瞬動きを固めた。

「ん? 撤兵君、あなた稲呑川に行ったでしょう」

「なんで分かるんすか?」

 おにぎりを頬張り聞き返せば灯籠蜜は仕方投げにため息をつく。

「あそこには良くない気が充満しているんです。中てられた人間は見ればすぐに分かる。無暗に行ってはいけませんよ」

「はぃーっす」

 良くない気というのは、ナゲットがいうところの遺想だろうか。どちらにも精通していない撤兵にはいまいち彼の忠告は響かないが、あの川は単純に危険な場所なので行くのは控えた方がいいだろうとは思った。

 昼食が終わると、BBQの方の用意も割ったらしく、男たちは寝室に通された。一緒に準備をしていたらしいマスタードが珍しくコロコロ笑いながら写真を撮っている被写体はもちろんBBQで、彼女は髪を結い上げられ、白無垢を着付けてもらっていた。元が良いのでその姿は中々美しいのだが、撤兵は彼女の姿に違和感を覚えた。一人小首を傾げていると、横から灯籠蜜が違和感の正体を教えてくれる。

「着物が左前だからおかしく見えるのではないですか」

「ああ。そういうことすか」

「桧垣先生から聞いたでしょうが、大昔の花嫁は殺されていました。その名残で、今も死に装束と同じく着物を左前に着せるんですよ」

 そう聞くと縁起が悪いが、BBQの怒りと虚無を混ぜたような表情を見ていると思わず笑ってしまう。この後は村の最北にあるという閨に彼女を送るらしく、撤兵たちもそれについて行くこととなった。

 閨は平屋を出てすぐ左に伸びる道を通り、広場を経由して更に北に進んだ場所にあった。手前に杭を尖らせた柵が最奥に位置する崖を除いて巡らされており、向かって左には森が、右手には黄みがかった岩肌が壁の様にそびえている。中央には小さいが屋根を始めとして造りのしっかりとした小屋が建てられており、撤兵の目でもそこが閨なのだと分かった。

「男はここまでじゃ」

 柵の手前で老婆の一人がいった。

「灯籠蜜先生には申し訳ありませんが、先生であっても柵の向こうには入れられません」

「分かっていますよ」

 それからBBQは老婆二人に挟まれ、閨に歩いていく。戸の手前で老婆も立ち止まり、彼女は一人閨の中へと入っていった。これで花送りの儀式はひとまず終わりらしい。本当はお清めだのお披露目だのと細かい過程を踏むというが、今回は代役ということで、村長の元で身を清めるだけに留まったと灯籠蜜が教えてくれた。

「……大丈夫かな」小屋を見つめてこぼす撤兵。 

「大丈夫よ。最悪の場合、村のことなんか知ったこっちゃないって逃げてくるわ」

「ま、そっか」

「それじゃあ僕らは帰ろうか」

 ナゲットの言葉でマスタードと撤兵は閨に背を向けた。しかし灯籠蜜は策の前から動かない。不思議に思っていると、

「私はここで様子を見ています。なに、夜になったら戻りますよ」

 とのことだった。説得する理由はないので、そうしてくれるならありがたいと三人は見張りを灯籠蜜に任せて、自分たちは平屋に帰ることにする。「薄情ですね」とは灯籠蜜の言葉だ。

 帰り道、撤兵が歩いているとナゲットが隣に並んできた。

「撤兵君、撤兵君。君ね、夜になったらトレイの窓から家を抜け出して、BBQの様子を見に行きなさい」

「ええ!? 面倒くさい!」

 思いっきり顔をしかめるが、ナゲットは知ったこっちゃないと話を続ける。

「森を抜けて川の方から回り込むんだよ。灯籠蜜先生はなにかいってたけど、霧散してる状態の遺想なんか人体になーんの影響もないから大丈夫。それに君は無駄に足も長いから、あの程度の柵なら乗り越えられるだろ。いいかい、絶対にあの先生に見つかるなよ。こっそり行くんだ」

 ナゲットはそれから聞き耳を立てている霊能者二人に向き直り、

「君たちも、生きてこの山を下りたいなら、今の話は聞かなかったことにしなさい」

 短く命じた。「はいっ」

 結局面倒な役をやらされるのか。撤兵は一気に重たくなった肩を回した。ただでさえ昼でも怖かったというのに、日が暮れた後の森に行かなくてはならないなんて憂鬱だ。

「あ、そういえばナゲットさん。あの森ってクマとかいないっすよね」

「……いないんじゃない? まあ死んでもほら、どうにかしてあげるから」

 それは死神を使ってということだろうか。なんにせよ死なないように助けてくれることはないらしい。自分の命が軽く扱われている事実に、撤兵はほんの少しだけ泣きそうになった。

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