10 あだ花送り
灯籠蜜はあれでBBQを心配しているのか、夜が更けても帰って来ず白石が夕食を運びに行っていた。撤兵としてはありがたさよりも、彼の目を欺いて閨に入らなくてはいけないことを懸念していたが、靴を玄関から回収したりと出発に当たり注意が要らないのは楽だった。皆が布団に入った後、撤兵は任された任務を果たすべく布団から這い出た。寝室を出る直前に、
「気をつけなよ」
とナゲットが声をかけてきた。相変わらず眠らないらしい。
ジャケットと靴を先に放り投げ、トイレの小窓を無理やり潜り抜けて外に出る。昼間とは比べ物にならないほど暗く、そして寒い。積もってこそいないが、ちらほら雪が舞っているのが視界に入った。大急ぎでジャケットと靴を履き、利かない夜目を利かせて人跡を見つける。三分ほど無灯火のまま人跡を歩いたのち、人の気配がないことを確認してからスマホのライト昨日をオンにした。夜の闇は深く、足元くらいしか照らせなかったが十分だ。次第に川の音が近づき、撤兵はさっきよりも増して足元に気をつける。この時間に川に落ちては誰も助けてくれないだろう。昼間に会った少年だって今は寝ているだろうし――
「――お前、また来たのか」
「うっぉおおっ!?」
雄たけびじみた悲鳴を上げて撤兵はその場に尻もちをつく。反射的に声のした方へライトを向けると件の少年が闇の中から浮かび上がった。
「なななななにしてんの、こんな時間に!?」
バクバクする心臓を押さえて聞けば少年は呆れた様子で返す。
「こっちのセリフだ。こんな時間になにしてんだ。危ねぇっていったの忘れたんか」
そこでようやく撤兵は自分がまずい状況に立たされていることに気がつく。花送り真っ最中の閨に忍び込もうとしていたことが村人に知られたら、今度こそ火あぶりにされかねない。彼は老人たちと違ってそんなことはしなそうに思えるが、どこから情報が洩れるかなんて分からない。
「いやあその、別に、こう……俺はちょっと、その……なんていうか、よ、夜の散歩?」
「……お前は嘘つくのが下手だな。閨に行くんだろ」
「なんでバレてるんだッ」即座に嘘を見破られ、撤兵は慌てて弁解を始める。「いや、いや、俺は別に行きたいんじゃないんだよ。ただ命令されてさあっ」
「ふぅん。あの女、お前のこれか?」
これ、と小指を立てられ、一気に撤兵はげんなりした。仕草が古い上に心外だ。
「違う違う。ただのバイト仲間みたいなもんだよ。見てたなら知ってるか、黄緑の派手な髪した男の人がいたろ? あの人が俺たちの上司ってか、雇い主っていうか、そういう人なの。で、その人に様子見てきてやれっていわれたから、こんな時間に布団を抜け出してきたってわけ。あ、そうだ。もう目的もバレちゃったことだし、抜け道とか知ってたら教えてくれよ」
ダメ元で頼んだだけだったのだが、意外にも少年は首を縦に振った。「いいぞ」
「俺も行こうと思ってたんだ。一緒に来るか」
「えっ! なんだ仲間かよー」
「まあな」
もしかしたら村の少年たちにとって、閨に忍び込むというのは肝試し的意味を持ったイベントなのかもしれない。「そっかそっか。じゃあ頼むわ」
「分かった。ただし灯りは消していけよ」
「オッケー」
二つ返事で撤兵はライト機能を切る。電灯がないのは心細いが、暗い森も二人ならば余裕だろう――というのは、完全に撤兵の思い違いだった。真っ暗な道を進むとすぐに方向感覚が失われ始め、木々の姿も掴めなくなっていった。はぐれては困ると少年の手を掴ませてもらうと、外気にさらされていたせいか水でも触ったように冷たい。しゃわしゃわ、しゃわしゃわと流れ続ける川の音を聴きながら、二人は闇の中を歩いていく。段々と時間の感覚も薄れてゆき、まるで永遠のようだ、と撤兵が考え始めた頃、ようやく二人は閨に着いた。木々の陰から逃れ、ようやく撤兵の夜目も利いてくる。入り口の方角を見遣ると灯籠蜜らしき人影があった。二人は人影に注意しながら柵を乗り越え、速足で閨の裏に隠れる。
「ここは本来、御洗い様が入ってくるための扉だ」
そういって少年は壁の一部に触れた。
「へえー。入ったら罰当たりそう」
「都会モンのくせに罰を気にするのか。臆病だな」
「都会とか田舎とか関係ないっしょ」
こそこそいい合い、少年は扉を小さくノックした。すると中から衣擦れの音がして、扉がわずかに開けられる。
「遅いよ、撤兵」
BBQが先に認めたのは撤兵の姿だった。隙間から中を覗くと、一セットの布団と、そのすぐ傍にぼんやり灯されたろうそくの火が見える。撤兵の頭に嫌な考えがよぎった。
「そのろうそくっててまさか死神を使ったやつじゃ……」
「馬鹿をおいいよ。これはただのろうそくさ。そんなのはいいから、人の目につく前にお入り」
BBQに促され、撤兵と少年は閨の中に入った。閨の灯りはろうそく一本と心もとなく、炎が照らすのはせいぜい三人の胸の辺りまでだ。状況も相まって、撤兵は共にろうそくを囲む二人が人間なのか不安になった。
「酸素とか大丈夫なの?」
「木造だからか、結構隙間あるのよ。それより寒さの方が堪えるね。ところでそっちの子は誰だい?」
そっち、というのはいわずもがな少年のことだろう。撤兵が彼を紹介するより先に本人が口を開く。
「俺はマサキ。この村のもんだ。花送りの時期になると、心配でこっそり花嫁の様子を見に来てる」
「へえー」
「へえーって、あんたの友達じゃないのかい?」
感嘆の声を上げる撤兵にBBQが呆れた返事を返す。すると撤兵は困ったように頬を掻いた。
「いや友達ってか、川に落ちかけた俺を助けてくれたり、今夜もここまで連れてきてくれたってだけだし」
「おやまあ優しい子だね。そして撤兵はお間抜けね。それで、マサキは他の花嫁と同じように、あたしのことも見に来てくれたのかい?」
「そうだ。でも必要なかったな」
俯きがちに答えるマサキに、BBQは優しい声色で「いいや、嬉しいよ」と労わりの言葉をかける。
「撤兵君が来てくれるより数倍嬉しいよ」「おい」「冗談よ」
雑談を交えて場の空気が和んでくると、BBQはいよいよ本題に入った。
「そういえば例の思われ物の件だけど」と切り出し、閨を見渡す。「目が利くうちに見たんだけれど、中にはなんもなかったよ。後から無理やりくっつけたみたいなトイレがあるだけだ。建物自体に遺想が宿ってるのかと思ったけど、だぁさまがなにもいっていないなら違うんだろうね」
「そっかー。そもそも花嫁の気が狂うのって最近だっけ? なら物がなきゃおかしいんだろうけど、どういうことなんだろうなあ」
BBQと撤兵は思案顔で顎をなでる。
「あ、そうそう。ナゲットさんから聞いた? 遺想物、やっぱりお守りっぽいってよ」
「そうなのかい? 灯籠蜜先生はデマかもとかなんとかいっていたけれど」
「なんかそれ意地悪だったんだってさ。昔から花送りに出る花嫁は、親からお守りをもらう習慣があったらしくて、遺想物の正体はそれなんじゃないかって話だったんだよ。でももしそれが本当なら、お守りはここにあるはずだから違ったんだな」
調査は振出しに戻ってしまったようだ。撤兵が投げやりにあぐらをかくと、それまで話を聞いていたマサキがおもむろにポケットからなにかを取り出す。
「もしかしてそのお守りって、これかもしれない」
そういって彼がろうそくの元に差し出したのは、白地に黒と赤の糸で刺繍が施されたお守りだった。所々ほつれていて、随分年季を感じさせる。
「これはお前らの前の花嫁から預かった物だ。元々はここにあったんだけど、気味が悪いってんで俺が預かった」
「前の……っていうと、あの逃げちまった巳妃って子かい?」
マサキは頷いた。「そうだ。村の外から来た子を嫁にするなんて、本当にここの村の連中は恥知らずだと思う。逃げるのも当然だ」
「なるほどね……」
BBQは何度か頷くと、突然マサキにこんな質問をした。
「あんたはこの村が嫌いかい?」
これにもマサキは頷いた。
「もちろんだ。逆にお前は嫌じゃないのか。こんな風に無理やり花嫁の代わりにされて、村人が憎くないのか?」
「そりゃあ嫌いだよ。アンタのいう通り、こうして巻き込まれているしねえ。神様てぇのは幸せになりたいから信仰するんだろ? 少なくとも不幸になりたくないから信仰するもんだとあたしは思ってる。だったら信仰のために不幸を生んじゃ本末転倒だ。しかもその行いを疑いもしてない。さっさと出ていきたいってのが本音だね」
言葉にこそしないが、撤兵もBBQと同じ気持ちだった。ましてやマサキが村を嫌う気持ちはそんなものではないだろう。友達が流されたというのは冗談だったが、マサキもあの急流を渡る儀式に参加させられたのだ。落ち着いた状態の川で救急隊もいたとはいえ、ならわしだからと溺れるかもしれないリスクを背負わされたのだ。自分がこの村の住人だったら絶対に近い将来村を出て行くだろう。
「ときにマサキ。そのお守り、ちょっと借りてもいいかい?」
「ああ」
撤兵が内心憤っているうちにそんなやり取りが交わされ、マサキがBBQの手にお守りを置いた直後、彼女は「ウっ」とうめき声を上げてその場に蹲った。
「BBQ!?」
撤兵は驚いて彼女の身体を支えようとするが、物凄い力で振り払われてしまう。床板を掻き悶絶する姿はまるで悪霊に取り憑かれているようだ。撤兵は混乱に陥りかけながらも、BBQに異変を起こした原因がお守りではないかと気づくとすぐに彼女の手を取った。
「BBQッ。手ぇ離せ、手。手っ」
「うっぅうう、あぁあ――っ」
完全にパニックになったBBQはお守りを固く握りこんで離そうとしない。力づくで取り上げようと指を掴むが、こちらが躍起になればなるほど彼女はまたお守りを握る手に力を込めた。
「離せって!」
「代われ、撤兵」
そこでようやく茫然自失状態から回復したマサキが二人の間に割って入る。するとBBQの方も体力に限界が来たのか、握りこむ力が弱まりなんとかお守りを取り上げることがきでた。やはり原因はお守りだったらしく、呼吸こそ荒いが体調はすぐに落ち着いた。
「っはあ、ぁ、はあ……ッ。今のは……っ」
「大丈夫か? BBQ。 気が狂ってないか!?」
冷静になるととんでもないいい回しだが、表現に気を遣っている余裕はなかった。聞かれた本人は苦笑いしながら「多少狂ったかもね」と冗句を返した。脂汗の浮かんだ額を前髪ごとがしがし掻き、
「ああ気分の悪い。脳みそを火かき棒で掻き回されてるみたいだったよ」
と感想をこぼす。
「悪い。お守りを渡さなければ良かった」マサキが申し訳なげに謝ったが、彼の責任ではない。
「アンタのせいじゃないさ。それにしても、アンタが持っていても平気なのにあたしが持ったらすぐに異変が起きた。その遺想物はもしかしたら、女にしか効かないのかもね」
苦々し気にお守りを睨むBBQ。花送りは女性限定のならわしなので、そこも関係しているのだろうか。ともかく、詳しいことはナゲットに任せようと、撤兵はマサキにお守りをもらえないか打診した。
「そのお守りってもらえたりしないかな? 色々調べたいって人がいるんだ」
「いいよ」
短く返し、マサキは撤兵にお守りを渡した。一瞬身構えたが、自分が持ったところで特に変化は起きず、やはりこの思われ物は女性のみに効果を発揮しそうだと再確認する。
「それじゃ、長居してもアレだし、俺たちは帰るよ」
「そうかい。気をつけてお帰りよ」
「そっちもな。変なことあったら、入り口のとこに灯籠蜜さんがいるから声かけなよ」
そう告げて撤兵はマサキと共に入って来た戸からまた外に出た。それから柵を超えて森に入ったところで、閨にスマホを落としてきたことに気がついた。
「ごめん、一瞬で取ってくるから」
マサキに手を合わせ、撤兵は一人閨に戻る。BBQはさっそく自分のスマホを見つけたらしく、勝手に画面を操作して動画を見ていた。
「アッ。Wi-Fiも繋がってないのに、容量食うことすんなっ」
急いで取り上げようとすると、それより早くスマホを懐に隠されてしまう。
「一晩くらい貸しておくれよ。暇なんだ」
「ええー?」
「いいじゃない。撤兵は他の人らと話せるでしょうけど、あたしはここで一人ぼっちなのよ。暇で仕方ないわ」
それをいわれてはいい返せない。撤兵は仕方なしにスマホを貸してやることにした。
今度こそ帰路に就こうとすると、BBQが妙なことをいい残した。
「スマホを貸したことは、あたしたちだけの秘密よ。連れの子にもいったら嫌よ」
「連れの子って、マサキ?」
「そう。約束よ」
「はあ。よく分かんないけど、分かった」
「それじゃおやすみ」
そうして一方的に戸が閉められる。撤兵は腑に落ちない気持ちを抱えつつマサキの所に戻った。
「スマホはあったか?」
「ウン。待たせて悪いな」
「気にしなくていい。もう夜も遅いし、早く帰ろう」
行きと同じように撤兵はマサキの手を掴ませてもらう。相変わらずその手は冷たかった。
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