閑話 融解なるか

 来たるクリスマスの前日。撤兵は鳴りやまないスマホの電源を落とし、一日中寝て過ごすつもりだった。その予定は昼食の時間までは変わらなかったが、食事が終わると彼は屋敷の主人から、イルミネーションを飾りつけるという誉れ高き重役を任された――もしかしたら誰かの目には、完成まで帰って来るなと外に叩きだされた哀れなマッチ売りの少女、いや電飾係の青年に見えたかもしれないが――。

 しんしんと雪が降る中、撤兵が一人で飾り付けた電飾たちは、彼の元気と体温と引き換えに美しく輝く。苦節四時間、ガタガタ震えながらも撤兵は完成したクリスマス仕様の屋敷を前に胸を反らせた。時刻はまだ四時を過ぎた頃だが、辺りはすっかり暗くなっていた。おかげでペカペカ光るイルミネーションの美しさがよく分かる。この家が町中にでも建っていいようものなら、カップルや女子高生の恰好の餌食となっていただろう。あの金色に輝くトナカイなどはSNSの人気者になっていたかもしれない。

「わわわわ我ぁがあ、いいれきらなあ」

 自画自賛の言葉も寒さで呂律が回っていない。むき出しになった鼻っ柱は今にも折れそうなくらい冷え切っていた。「ももももう耐えきれんっ」電飾の入っていた箱を抱え、油の切れたブリキ人形のような動きで撤兵は家に戻っていく。

 雪で濡れたコートを玄関に脱ぎ捨て、リビングに入る撤兵。すると自分を外に追い出した家主はソファでくつろぎながら、こちらを見てあっけらかんと一言、

「寒そうだね」

「られのせいえッ」

 撤兵は舌足らずに怒鳴ると、「ふんっ」と鼻を鳴らして置かれていた暖炉型ヒーターを自分の方向に向ける。彼を癒してくれるのはこの温もりと燃える薪のイミテーションだけだ。手をかざせば凍り付いていた体が指先から解けていく。解答される冷凍食品はこんな気分なのだろうか――なんて考えていると、キッチンからBBQが顔を出す。

「ちょいと撤兵君。帰ったならお料理並べるの手伝ってちょうだいよ」

 今の今まで極寒の中作業していた人間になんて態度だ。「鬼! 悪魔! 性わ――ぎゃあっ」

 風を切る音と共に背後のソファめがけて分銅が飛んでくる。じゃらじゃら鳴らしながら分銅についた鎖を腕に巻いて回収するBBQからは確かな敵意が感じられた。「あ、当たったら死ぬんだぞう!?」分かってんのか、この女ッ。

「フン。鬼だのなんだの暴言を吐く方が悪いのよ。せっかくのクリスマスだし、お前さんにプレゼントも用意してたのに」

「え、マジで?」

 途端に撤兵の顔が明るくなる。すると続けてソファからナゲットも「僕も用意したよ」と笑みを向けた。撤兵はすっかり先刻までいた虎虎婆地獄のことなどすっかり忘れ、はにかんだように頭を掻く。

「なんすかー。いってくれれば俺もプレゼント用意しておいたのにー」

「嘘おいいよ。本当は後でやるつもりだったけど、ほら」

 呆れ混じりにいって、BBQはエプロンのポケットから取り出した小さな箱を投げた。キャッチした撤兵の手に収まる程度のそれを、「開けていい?」と聞いてから開封すると、中からは見覚えのあるデザインのアクセサリーが入っていた。色は鈍い金色で、卵型のピンバッチのようだ。バッチといっても小学生が帽子につけるような物ではなく、もっとアンティーク調な、どちらかというと女性がつけるブローチに似ている。そしてなにより撤兵の頬を引きつらせるたのは、バッチの本体部分に刻まれた葡萄の模様である。

「ば、BBQさん……?」

 ギシギシ軋む首を動かし、撤兵はBBQを見上げる。「あの、これは、もしかして、」

「藍子のか、た、み」

 卒倒するほど可愛く作った声で告げたBBQに掴みかからなかっただけ、まだ撤兵は理性的な方だろう。

「なななななんてことしてくれるんだこのアマ! 要らねーよッ」

 そう叫んで箱ごと投げ返すが、彼女は予見していたとばかりに手の甲で打ち返してくる。再び手中に戻った思われ物に撤兵は悲鳴を上げた。立とうとしては転び、体の上に落ちてきた思われ物にまた悲鳴を上げて無様にのたうち回っている。BBQはその様子を見てしばらくコロコロ笑っていたが、気が済んだのかネタバラシを始めた。

「相変わらずリアクションに関してはいいモン持ってるねぇ。ま、それは遺想物じゃないから安心しな」

「へ? そうなの?」

「ああ。正確にいうとあの遺想物の破片を拾って、他の金属と熔かした鋳物さ。遺想は霧散しちまってるよ」

 あっけらかんというBBQに撤兵はつまんでいたバッチを改めて観察する。確かに自分がもらったブローチは、もう少し本体の部分がくすんで古ぼけていた。髪の毛がはみ出したりしていないかよく確認してみるがそんなこともない。遺想が霧散したのなら、いわば殻のようなものか――一瞬納得しかけた撤兵の動きが止まる。「ちょっと待て」

「だからって『うわーありがとう!』とはならないぞ」

「チッ。面倒な男だねぇ」口角を歪ませBBQは吐き捨てた。「このあたしがせっかく加工してやったモンにケチつけようってのか?」

「いや、ケチじゃないけどさ」

 この葡萄の模様を見てると、芋づる式に藍子の化け物のような姿を思い出してしまうのだ。ていうか、わざわざ現物に似せて作るなんて性格が悪い。嫌がらせ目的なのは明白で、自分で仕向けたくせに怒るなんて理不尽だ。唇を尖らせて撤兵はいおうとしたが、ふとあることに気づく。

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