2 奇縁

「ナゲットさんもいいとこありますよねー」

 除雪された雪道をゆうゆうと走る車内で、撤兵は嬉しさをにじませながらいった。「俺雪山とかチョー好きなんすよ。マジで」

 山場だったクリスマスも終わり、あとはのんびり年を越すだけと考えていた撤兵に、数日前ナゲットは「雪山のコテージに連れて行ってあげる」と告げた。日付けは十二月の三十日から三十一日にかけてと詰まった予定だった上に、あのナゲットのことだ。なにか裏があるのではないかと疑った――というより確信していたが、それよりも「雪山のコテージ」という魅惑的なワードに逆らえず撤兵はその日のうちに荷造りを始めた。年末年始の予定といえば、数日は実家に帰ろうとは思っていたが、両親が住んでいるのは撤兵が元々アパートを借りていたのと同じ市内なので、別段勝る用事でもなかった。万一とんぼ返りしなくてはならない事態になっても、コテージがあるのは石上村こわあげむらの範囲なのでそこまで遠くもない。両手を握りしめ撤兵はナゲットに感動を伝える。

「俺は今初めてナゲットさんに感謝してます。本当に、本当に……本当にコテージに泊めてくれるんすよね?」

 外は除雪車によって雪の壁が造られており、今更嘘だといわれてもどうしようもないのだが、撤兵はどうしても不安だった。ないとは思うのだが、ナゲットが自分をテント一つない雪原に置きざりにする絵面は簡単に想像できてしまう。しかし疑り深い撤兵をナゲットは笑い飛ばした。

「君は心配性だなー。本当だよ。まあその前に遺想学会の発表会に付き合ってもらうけど、その間君は席に座って口でも開けてぼーっとしてればいい」

 これも出発の前に伝えられていたことだった。学会の発表会なんて仰々しい表現をされたが、撤兵にとっては胡散臭い雇い主が参加する胡散臭い集会くらいの認識でしかない。聞き覚えのない神の名前が出てくるなら嫌だが、この前の稲呑村いのみむらの一件から察するにナゲットはそういう類のものを嫌っているはずだ。心配は要らないだろう。

「ヤッター。そんくらいお安い御用っすよ!」

 いつになくはしゃぐ撤兵に、運転席のBBQが苦笑する。

「お山が好きなのねえ」隣の助手席からはマスタードが、「スノーモービルの免許を持ってるんだっけ」

「ウン。さすがにコテージで乗れるとは思ってないけどさ。外遊びっていうんかな。そういうのってテンション上がんない?」

「そうね。あたしも外遊びは好きよ」

「結構アクティブだもんな、マスタードは」

 鎖分銅を振り回す姿を思い出し、撤兵は納得したように頷く。

「BBQは?」

 続けて聞くとBBQは進行方向を見たまま唸った。

「んー。どうかしら。冬はバイクで通れる場所が減るから、しいていうなら夏の方が好きねえ――あ。そろそろ着くわよ」

 緩やかなカーブ曲がりきると正面に木製のゲートが現れた。アーチ状に組まれたゲートの真ん中には『コテージ アイシクル』と彫られた看板がくくりつけられている。なだらかな上り坂の奥に、雪を被った木々と木製のコテージらしき建物が見えた。

 駐車場はゲートを入ってすぐ左にあった。そこには既に車が何台も停まっており、輸入車から軽自動車まで合計二十台ほどあった。持ち主の経済事情を想像しながら、撤兵たち一行はトランクから荷物を下ろし始める。すると車の陰から聞き覚えのある声がした。

「おやおやおやぁ。そこにいるのは、もしかして子安君ではないか?」

 名前を呼ばれた撤兵は驚いて立ち上がる。声の主を振り返ると、そこには想像だにしなかった人物が立っていた。

「も、守智もちちゃん先生!?」

「守智ちゃん先生!?」

 阿部守智――撤兵が通う根近市立大学の教授だ。見知った顔の登場に撤兵は口を開ける。一方で守智の隣にいる、撤兵につられるように叫んだ少年には見覚えがない。しかし彼は殺人犯でも見るかのような目つきでこちらを睨んでいた。それから撤兵がなにかいうより早く、少年は守智に、

「誰ですか! このなよっちい男は!」

 初対面の相手になんと失礼な。それにこの少年になよっちいといわれる筋合いはなかった。なにせ彼は黒髪の短髪に縁の細い眼鏡をかけた、見るからにインドア系の容貌。厚着をした上からでも胸板の薄さが分かる。しいて良い所をいうなら、Pコートのセンスはいいが、そもそもPコートを着る男にガタイの良い男なんていないというのが撤兵の偏見だ。

「守智ちゃん先生、誰ですかこのなよっちいのは」

「騒がしいな。一体誰とどんぐりの背比べをしているんだい、撤兵君」

 相変わらずのものいいでナゲットが車の反対側からやって来る。それから守智と少年を視界に認めると「おや、久しぶりです」と会釈した。

「撤兵君、この人は阿部守智先生だよ。遺想学会の理事長をなさっている」

「ええーッ。守智ちゃん先生って遺想学の人だったんだ……」

「うん? 知り合いかい?」

「大学の教授っす……」

 呆然とする撤兵には、つい数週間前まで大学で会っていた人物と守智が別人のように映っていた。世間は広いようで狭いとはよくいったもので、まさか彼女が学会の関係者、それも理事長なんて夢にも思わなかった。驚きは向こうも同じのようで、面白そうに撤兵との関係を説明する。

「そうだよ。彼はあたしが務める根近市大の学生だ。こんなところで会うのは予想外だったけれど……水臭いじゃないか。あたしの講義を寝潰してまで遺想学に打ち込んでいたなんて、教えてくれたら協力したのに」

「それは違いますよ、阿部先生」すかさずナゲットが横槍を入れる。「撤兵君は遺想学なんて微塵も興味がありませんから、単に講義がつまんなくて寝ているだけです」

「なーんだそうなのか。せっかくダメ学生から評価を上方修正しかけたのに」

 なんか……似てる。二人共目が笑っていない割に口角ばかり上がっていて、撤兵は守智が少し苦手になった。なんで大学の教授が思われ物なん――等々、色々気になることはあるが、一番気になるのは先刻から一人でブツブツ呟いている少年だ。

「阿部先生の……阿部先生の教え子……。僕はまだ大学に入ることすらできないのに……こんなのが……しかも守智ちゃんだと……」

「どうかしたか? 道須柄みちすがら君。なにをブツブツいっているんだ」

 守智が顔を覗き込むと、道須柄と呼ばれた少年ははっとして顔を上げ、

「なんでもありません。阿部先生、こんな寒いところにいたらお身体が冷えます。母屋に帰りましょう」

「うん? まあそれもそうだね。それじゃあ、三十分後……もう二十八分後か。二十八分後に、会場で会おう」

 守智と道須柄少年が去った後、撤兵はコテージの方を向いたまま横目でナゲットに尋ねる。

「なんすか? あいつ」

鮎夢あゆむ君のことかい? 彼は阿部先生のことが好きなんだよ。だから君みたいなイケメンが阿部先生の知り合いってことに嫉妬しているのさ」

「ああ、そういうこと」

 理由さえ分かれば納得だ。同じような嫉妬は年に五十回は食らっている。

「ていうかナゲットさんて、そういうの分かるんすね」

「そういうのって?」

「人の感情」

 撤兵がいうと妙な沈黙が流れる。

「君、僕のことなんだと思ってるんだい。いっておくけれど、僕は恋愛沙汰に関しては結構敏い方だよ」驚きの事実だ。「この前、弥之助やのすけのところにおつかいを頼んだだろ。僕と弥之助は学生時代からの友達で、学校では一緒に過ごしていたけれど、彼ってモテるんだよ。あのオッサン臭さが渋く映るみたいでね。でも本人はそんなことさっぱり分かっていなくて、あまりに鈍感だから反動で僕の方が敏感になったんだ」

 ナゲットが説明してる中、撤兵は件の海老原えびわらが近づいていることに気づいていた。海老原は忍び寄ったナゲットの背中を小突くと、

「久しぶりに会うと思ったら。坊主に俺の悪口吹き込むんじゃねえ」

「悪口じゃないさ。君は中学の頃からくたびれていたもの」

「余計なお世話だ」

 指に差していた煙草を携帯用灰皿で消し、海老原はコテージを見遣る。

「立ち話もなんだ。荷物を片付けてきたらどうだ?」

「いいわよ。挨拶もあるだろうし、だぁさまと撤兵は先に会場のある母屋に向かったらいかが? あたしとマスタードで荷物は運んでおきます。コテージは使用者の名前が分かるようになっているはずだから問題ありませんわ」

 そういうBBQは、既にボストンバッグを三つ抱え、隣のマスタードも大きなリュックを背負っている。歩荷のような姿だが、辛そうには見えなかった。ナゲットが片手を上げて「じゃあ頼むよ」というと、撤兵を促して守智が消えていった方角に歩き出す。駐車場から敷地内を移動するための出入り口は二つあり、一つがコテージの群に、もう一つが母屋らしき大きな平屋に繋がっているようだった。

「あんな大荷物、大丈夫かなー」

「人の心配してる暇あるなら、手前の心配してな」

 後ろを振り返りながら歩く撤兵に海老原はいう。

「え、なんでですか」

 思わず歩を止めて聞けば、海老原はにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。

「学会の連中はどいつもこいつも癖のある奴ばっかりだ。油断してると危ねぇかもしんねぇぞ」

 遺想学会とは、普段は魑魅魍魎が住まう妖の世界――そういわれても、撤兵には笑い返せる自信がなかった。晴天に映える木製の母屋が、なんだか不気味に思えてくる。例え人の顔をした蜘蛛がいなくても、ナゲットみたいなのが何人もいるなら、それはもう百鬼夜行と変わらないと思うのだ。

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