3 皮を張る

 母屋ではコテージの主人が三人を出迎えてくれた。もみあげと髭の区別がつかないクマのような見た目の主人は、その野性味溢れる容姿とは裏腹に柔和な表情を浮かべる。

「どうも皆さん。今年もお世話になりまして、本当にありがとうございます……おや? そっちの若い子は初めて見ますね」

「最近僕がこき使ってる大学生の子安撤兵君です。撤兵君、こっちはオーナーの愛甲あいこう大地だいちさん。学会は毎冬発表会をするんだけど、その度に会場を貸してくれているんだよ」

「年末ともなると皆さんお家で過ごされますから、学会の方々には本当にお世話になってます。撤兵君もどうぞ、ゆっくりしていってね」

 差し出された両手は大きく、こんなにも『大地』という名前が似合う人も中々いないだろうと思った。受付の奥を見遣りながら彼は続ける。

「今はスタッフも休みを取っていて、今日と明日は私と私の妻と娘の三人で皆さんのお世話をさせていただきます。娘は君と同い年くらいだから、もしかしたら話が合うかもしれないな」

「いいかい撤兵君。真に受けて奥さんと娘さんをたぶらかすんじゃないよ」

「誰がするかッ」一連の流れがお決まりになってきていることに嫌気が差す。

 会場は受付から左手に向かって伸びる廊下の先にあった。普段はフリースペースとして、主に宴会やレクリエーション目的で利用者が借りていくらしい。移動する間、廊下をすれ違った数人がナゲットに会釈をしていた。

 会場には既に二十名ほどの人がいた。会議用の長机が三行×三列で設営されており、各テーブルには資料らしき紙束が置かれている。壁紙と床さえ変えれば今すぐにでも社内ミーティングでも始められそうな雰囲気だ。スクリーンの前置かれた演台の周りでは、男女が入り混じってなにやら打ち合わせをしていた。その中には先ほど別れたばかりの守智と道須柄もいた。撤兵の姿を認めるや否や少年は目の端を鋭くして「なんの用だ」といわんばかりに睨んでくる。しかしまあ、撤兵とて成人を迎えた男だ。わざわざ恋する少年の邪魔をしようとは思わない。ただ意地悪はする。改めて守智に挨拶でもしておこうじゃないか――というところで、

「邪魔だ!」

 突然怒鳴られた。びっくりして振り向くと、撤兵たちの数歩後ろにある入り口で中年男性が怒りの形相を浮かべていた。

「どけ! 人の迷惑も考えられんのか」

 中年はもう一度怒鳴りながら海老原や撤兵を手で押しのけて部屋に入っていく。半ば呆然とその姿を眺めていると、男のすぐ後を女性がついて行く。また態度の悪い男か……。現状、初対面の学会の面子は全員態度が悪いな。撤兵がへそを曲げかけていると、一人の男が「災難でしたね」と声をかけてくる。

「やあ、縁田えにしだ先生。秋ぶりですね」

 撤兵たちを押しのけていった男とそう年齢は変わらないんじゃないだろうか。違いを挙げるとしたら、さっきの男は外国産の豚バラのように脂ぎっていたが、縁田は鶏ささみのようにさっぱりしている印象を受ける。ワイシャツの上にハーフジップのニットを着た縁田はナゲットと軽く握手を交わすと撤兵に向き直った。

「君が子安さんですか?」

「え、知ってるんですか。俺のこと」

 縁田は人の良さげな微笑みを浮かべて答える。「ええ」

「葡萄守の件は噂になっていましたから。あの桧垣先生が、今度はとんでもない人材をスカウトしてきたらしいって」

「エビノカミ?」

 なんすかそれ――横でクスリと海老原が笑ったことも含め、重ねて聞きたいところだったが、丁度守智から開始前のアナウンスが入ってしまう。その場はそれきりで、撤兵はナゲットに促され、会場の中でも真ん中にある席に座らされた。ひとつ後ろに海老原が座り、各々資料を手に取ったところで、道須柄を司会に発表会は始まった。もっとも撤兵の意識は

「十三時を回りましたので、これより第八十八回成果報告会を始めさせていただきます。司会進行は私、道須柄鮎夢が務めます――」

 早々に失われた。

 背中を叩かれた痛みで目が覚めた。

「――むぁ」寝てしまっていたようだ。まぶたをこすり顔を上げると、スクリーンの前に立った男と目が合う。反射的に逸らすと、男だけでなく会場の全員が自分を見ていることに気がついた。やべ、これはダメなやつだ。一瞬で目の覚めた撤兵はすぐに隣のナゲットに顛末を聞こうとしたが、そんな暇もなく男が怒りの滲んだ声でいう。

「私の話はさぞ良い子守歌だったようだ。時に君。千年前の中国は何時代だったか知ってるかね」

「えー、ミン?」

 適当に答えれば会場から失笑が漏れる。――クソ、答えられないの分かってて恥かかせたな。撤兵は苛立ちと羞恥が湧いてくるのを感じるが、発表会中に居眠りをしていたのは自分なので噛みつくこともできない。ただ男の顔が、先ほど入り口で怒鳴って来た人物と同じことに気づいた。ちょーっと道を塞いで、ちょーっと居眠りしただけで、そんなに怒るかねえ。男は鼻で笑った。

「桧垣先生が連れてきた上に、阿部先生の教え子だというから聞いてみれば。千年前の中国は清だ。今回紹介する朱咲すざくはその清の時代に、仙人になるために修行をしていた僧侶の遺想がこもった、とても密度の高い遺想物なのです。こちらのスライドをご覧ください」

 スクリーンに映し出されたのは、装飾の施された短刀だった。刃は『ノ』の字に湾曲しており、柄や鞘の装飾部分は彫ってるのか付けているのか知らないが派手な飾りがついていて、緑青や朱色で塗られている。加えて鞘には真っ赤な房がくくられていて、知見のない撤兵から見てもなんとなく実戦用の代物ではないと予想できた。

「朱咲の持ち主は鵬雲ほううんという僧侶でした。彼は天仙となった師を目指し、自身も天仙になるべく修行をしていたが、自分よりも先に弟弟子の鶴雲かくうんがその域に達してしまいした。鵬雲は酷く落ち込み、鶴雲を妬んだ。ご存じの方もいるかもいしれませんが、仙人にとって心身を清浄に保つことはなによりも大切であり、自らの嫉妬によって不浄に落ちた鵬雲は、天仙どころか仙人としての要件すら満たせているか危うくなります。そんなある日、敷地内の蔵の整理をしていたときにこの儀刀ぎとうを見つけました。美しい装飾の施された儀刀に心惹かれ、鵬雲は儀刀を自分のものにした。元々持ち主らしい持ち主もいなかったんでしょうな。しかし幸か不幸かそれが後の朱咲だったわけだ。この日以降も嫉妬は止むことなく、むしろ抑えようと修行すればするほど増大していった。そしてとうとうある日、鵬雲は朱咲を使って弟弟子を殺してしまった」

「仙人なら死なないんじゃねーの?」ぼそっと呟くと、背後の海老原が小突いてくる。

「馬鹿、そういうのは茎のモンだ」

「茎? ……あ、根も葉もないってことか。うまいこといいますね」

「静かに聞きたまえ!」

 神経質な教員の如く怒声が飛んでくるが撤兵に大したダメージはない。はじめに怒鳴られたときとの口調の差もあるが、彼の場合は怒り故に怒鳴っているのではなく、怒鳴る行為をツールとして使っている気がした。白けた口調で「すみませーん」と謝ってやる。

 聞けといっておきながらも、彼の発表はすぐに終わった。質疑応答の時間に入ると、我らが雇い主が真っ先に手を挙げる。

「桧垣です。素人質問で恐縮なんですが――皆川みなかわさん。儀刀ということは、朱咲の刃は潰れているはずですよね。そんな刃で鶴雲を刺すことはできたんでしょうか」

 この質問には何人か頷いている者がいた。皆川は不愉快そうに眉をひそめると、

「その程度私も分かっている。鵬雲は事前に儀刀を研いでいたんだよ」

「坊さんが夜な夜な? なら鶴雲殺しは計画的犯行だったのか。あなたの話し方だと突発的な犯行だったように聞こえたものですから、勘違いしていました」

「そ、それはそうだろう」眉間の皺を更に深くし皆川は答える。「人を一人殺すんだから、坊主といえど慎重になるに決まっている。そして弟弟子を殺めてしまった鵬雲は、重複するが、その恐怖と罪の意識から自らの喉を朱咲で切り裂きじじん刃した。こうして朱咲が完成したんだ。これまでの話を聞いてもらえれば、この遺想物は黒鬼系くろおにけいであり、『手にした者の反社会的な言動を扇動する』効果を持つことにも納得して抱けるだろう。これが回答です。他に質問のある方は――また貴方か!」

「いやあどうしても気になってしまって」

 パイプ椅子から立ち上がるナゲットはやけに楽しそうで、撤兵は彼のこういう表情が招く事態をもうなんとなく分かっていた。無論、撤兵よりもナゲットとの付き合いが長い海老原であれば、完全にこの後の流れを理解しているだろう。彼らの期待に応えるかのようにナゲットは減らない口を開く。

「あなたは千年前の遺想物だというが、それ本当かい? 僕にはとても千年もの間遺想を燻らせるほどのプロセスを踏んでいるとは思えないんですよ。自分よりも年少の者に功績を挙げられて、嫉妬に狂った人間の作った遺想物は、これまでも心鬼しんきをはじめとして様々見てきました。でも聞いている限り、エピソードのパンチは既出の遺想物と比べても大差ないよねえ。天仙をも蝕んだ煩悩が遺想として宿ったならまだしも、ただの坊さんの嫉妬が千年持つとは思えない。仮に朱咲が千年前のものというのが本当だとしても、それって儀刀本体の話で、遺想自体はごくごく最近のものなんじゃないかな」

 俯いた皆川の肩はぷるぷる震えていた。まさかナゲットの詰問に怯えているのではないだろう。直後に彼は、

「お前、そんなに俺が功績を上げるのが気に食わないのかッ」

 と叫ぶと演台を蹴った。それまで胸がすく気持ちで男を見ていた撤兵はひやっとしたが、ナゲットは臆することなく続ける。

「まさかまさか。ただ私の疑問に答えていただければいいんです。そもそも朱咲のエピソードについて、情報源はどこなんです?」

「中国在住の歴史家だ!」

「歴史家? 中国史を専門に研究されている方ですか。どこで知り合ったんですか」

「SNSだよ。今どき識者がSNSで情報を発信することは珍しくないだろう」

 SNSと聞いて一気に会場の空気が萎む。要は大学生が卒論を書くにあたって、SNSで流れてきた情報を参考文献にした挙句、それを恥ずかしげもなく卒論発表会でいったようなものか。なるほど、呆れられても当然だ。ナゲットも一気に興味が失せた様子だった。

「はあ。その方の本名はご存じですか。論文などは読まれたことはあるんですよね」

「もういい!」

 この場に味方はいないと分かったのか、皆川は足音を鳴らして会場を出て行ってしまった。その後を女性がまた追いかけていく。慌ただしいヒールの音を聞きながら、海老原が「秘書ってのも大変だな」と不憫そうにこぼした。

 気まずい空気の流れる中、守智が道須柄からマイクを取る。

「桧垣先生。仰りたいことは分かるが、むやみに喧嘩を吹っ掛けるのはやめてくれたまえ。君を出禁にするのは学会としても望むところではない」

 構内一の変人も奇人を前にしたら常識人だ。一方奇人は反省の色一つなく、

「はは。喧嘩なんて高尚なものじゃありませんよ。あ、彼が帰ったのなら次は私の番ですね。あははは。あんなに怒っていたからマイクごと持って行ってしまうんじゃないかと心配しましたが、きちんと置いて行ってくれてますね。結構冷静だったのかな。はいそれじゃあ失礼しますよ」

 一人楽しそうにいいなが、スクリーンの前でマイクを構えるナゲット。問題児は帰ったようだし、彼の発表は寝てても問題ないだろう。撤兵はこの後の自由時間に備えようと、俯いて目を閉じた。

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