8 ポテンシャル故に
それからニ十分後、別荘のリビングには皆川を除いて八人が集まった。
「ん!?」
皆川は集まった人々に一通り目を通すと口をへの字に曲げた。
「なんでこんなに少ないんだ!」
それは撤兵も同じことを考えていた。八人のうち、五人は既にリビングにいた者たちで、電話を受けて駆けつけてきたのは阿部と道須柄少年、それから縁田だけだった。憤る皆川をなだめるように縁田はいう。
「もう深夜ですから、皆さん寝てるんですよ」
「人命がかかってるんだぞ、分かってんのかッ」
お前がいうか。撤兵は舌の先まで突っ込みかけたが、すんでのところでぐっと飲み込む。
「せめてオーナーは来るべきだろう」未だ納得いかない様子で喚く皆川。「自分の土地で人死にが出かかってるんだぞ」
この主張には阿部が手を挙げて答える。
「あ、それはね。あたしが結構だといったんだよ。オーナーは特別人が良いからね、こんなところを見せたらぶっ倒れてしまうだろうと思って。要は思いやりさ」
「余計なことを……っ」
ナイフを握る手に力がこもる。「どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって」と絞り出す声には深い憎悪が滲んでいる。大熊に一番近い場所で座るナゲットは、そんな彼に笑顔で提案する。
「せっかくですし、後日また人が集まってからにしますか?」
「うるせぇえッ」
絶叫間際の大声と共に、皆川はナイフを持っていない方の手でナゲットの頬を殴った。鈍い音がしてナゲットの首がぐるりと九十度外を向く。
「うわッ」
「キャッ」
蝋のように白い頬はすぐに赤く染まる。放っておけば間もなく青あざになり腫れるだろう。悲鳴を上げる撤兵と大熊をよそに、阿部たちはすました顔で一連の暴行の様子を眺めていた。撤兵は暴行の事実よりもむしろ、この冷淡なギャラリーの方に恐怖を覚える。遺想学に携わる人間というのは、やはりネジが何本か緩んでいるのかもしれない。とはいえ、ナゲットに雇われているBBQとマスタードはさすがに黙っているわけにはいかなかったのか、二人揃って半歩前に出ると皆川を説得しにかかる。
「ちょいと清盛さん。あんたすっかり頭に血が上っちまってるね。うちの
「そうよ。殺すのなんて今更よ」
説得、だろうか。これは。内心首を傾げつつ、撤兵は事の成り行きを見守る。二人の言葉を受けた皆川は落ち着くどころか、更に怒りを煽られたようで、今度はギャラリーに向かってナイフの切っ先を向ける。
「お前らが、お前らも! 揃って俺を馬鹿にしてたな。桧垣にコケにされる俺を、いつも笑っていた。だからこれは見せしめだ! お前らがこいつを殺すんだ。お前らが俺をこうしたんだッ」
「お前ら」の部分で男はナイフを振り上げ、聴衆に強く向け直す。三度目の「お前ら」で切っ先を向けられた撤兵は、彼の持つ恐ろしい凶器を凝視し、ふとあることに気づいた。それから目玉だけを動かして、自分の左側に道須柄少年がいることを確認すると、皆川に気づかれないようこっそり、そして素早く彼の真隣に移る。「なあ、なあ。鮎夢」
「気安く下の名前を呼ぶな」
「そういうのいいからさ。なあ、おっさんが持ってるナイフってなんだと思う?」
道須柄少年は嫌そうにしながらも内緒話に付き合ってくれた。
「なんだと思うって……朱咲じゃないのか。いくら皆川といえど、素面であれほど凶暴な真似はしないだろ。あれでも普段は立場のある人間だ」
「ウン。俺もてっきりそう思い込んでたんだけどさ。よく考えたら俺とBBQはさっき、朱咲でおかしくなった大熊さんに襲われてるんだよ。そんでそのときに朱咲は回収してる。ここからが重要なんだけど、てことは多分オッサンが握ってるのって朱咲じゃないよな」
道須柄少年は面食らった顔で撤兵を見たあと、皆川の手元を凝視。内緒話が聞こえていた聴衆たちも倣って凶器を確認する。まず朱咲の刃はノの字に曲がっているが、彼の持っている物は包丁の刃をいじったような形をしている。次に朱咲のような鍔の装飾もない。柄を握りこんでいるせいで見づらいが、房紐もついていない。
「あ、うん。アレ遺想物じゃないね」阿部の呟きが決定打だった。「ていうか、果物ナイフかな?」
「ですよね。じゃあ皆川はなんであんなに殺意満々なんすかね?」
黙り込む一同。そんな中、縁田が遠慮がちにいう。
「……ポテンシャル、ですかね」
「…………」どんだけ恨まれてるんだ、あの人。皆川も皆川だが、ナゲットもナゲットだ。
ギャラリーは一気に白けたが、皆川の怒りは収まることをしらない。彼は再びナゲットにナイフを向けると、
「お前が俺を貶めるから悪いんだッ。このクズが、今すぐ俺に土下座しろ」
と怒鳴る。しかし怒鳴っていうことを聞くような人間なら、ナゲットはこんなに恨まれていないはずだ。
「えぇー。逆恨みはやめてほしいんですが」
撤兵の予想は当たり、ナゲットは土下座どころかソファから立ち上がって皆川を見下ろす。それから皆川の両肩に手を置きこうまくしたてた。
「私が有能なのではなく、あなたが無能なのです。恨むならご自分の今までの人生を恨めばいいんですよ。楽を選んできたばかりに好きな学問に打ち込むことすらままならず、その癖、腹とプライドだけをぶくぶく太らせた若かりし自分を。簡単でしょう。必要な物も相手もないんです、その上無料です。自省ほどコスパの良いものも中々ありませんよ。どうです、一会社の社長としてこんなに嬉しいことはないでしょう」
皆川は頭も首も、指先までが茹でタコのごとく一気に朱に染まった。言葉にならない呻き声を喉の奥から鳴らす姿は、見ているこちらが恐ろしくなる。しかしナゲットがこの程度で手を緩めるわけがなく、彼はことさら愉快そうに続ける。
「発表会の後にオーバーヒートした頭で考えたんでしょうねえ。そのときは朱咲で襲いに来るつもりだったんじゃありませんか。僕は死神を持っているから、刺されたところでなんとかなるのを見越した上で、『遺想物の影響だから仕方ないよね。それに俺をフォローしてくれなかったお前たちも悪いんだからね』と周りの同情を買おうとしたんでしょうけど、人の善性を信じすぎですよねえ。で、いざ実行に移そうとしたはいいけど、現物は手元になかったんですかね? 大方、癇癪を起して部屋を荒らして、その掃除を大熊さんにいいつけでもしたんでしょう。皆川さんが撤兵君たちと一緒にこの部屋に来たことを鑑みると、朱咲を手にした皆川さんが先に彼らを襲いに来てしまったんでしょうね。会場には持って来ていませんでしたが、どうせ持ち込んでたんでしょう? 何度警告を受けてもあなたは現物の持ち込みをやめませんねえ」
「お、俺は――」皆川は口を挟もうとするが彼は許さない。
「どぉーせ、自分の発表を聞いた人に『ぜひ君の見つけた、素晴らしい遺想物をぜひ見せてくれ、後生だ』とかなんとか頼まれて、『そんなにいうなら仕方がない。今回が特別ですよ』と現物を見せびらかす妄想でもしてたんでしょうが、あなたの見つけるお粗末な遺想物なんか誰も見たくないですよ」
場の空気は完全にナゲットのものになっていた。テーブルを回り込んで窓辺まで歩いた彼は、大仰に肩を竦める。
「で、凶器に朱咲を使うのを諦めたあなたは、そこらへんにあったフルーツナイフなんて持って僕を襲いに来た。いいわけはせいぜい、『密度の高い遺想物に魂を汚染された』とかそこらでしょうか。包丁もあったでしょうに、殺す気がないのが見え見えなんですよねえ」
――ダメだろ、これ。撤兵はそっとマスタードの背中に隠れた。皆川の顔は今にも破裂しそうなほど赤く膨れ上がっていた。それはまるでパンパンに膨らませた風船のようで、針の先を当てただけで弾けてしまうだろう。
「あなた舐めすぎなんですよ。人も、遺想学も、環境も、人生も」
彼にとっての針の先はナゲットの言葉だった。皆川は両手でナイフを握り直したかと思うと、胴間声でなにか叫びながらテーブルを乗り越えてナゲットに向かって突進する。彼は怯む様子なく皆川を正面から捉え、後ろ手に掴んだカーテンを翻した。距離感を失った皆川はナゲットと入れ替わりに窓に突っ込み、ガラスの砕ける破砕音と共に外へ転がっていった。それを追いかけるようにBBQとマスタードが窓から――ではなく、玄関から外に出て、悶絶する皆川を確保する。
リビングには一気に寒気が流れ込み、とてもじゃないがいられなかった。廊下に出た一同の元に、確保された皆川が引きずられてくる。全員が揃うとナゲットは、ナゲットはギャラリーに不満を垂れ始める。
「ちょっと君たち。雁首揃えて静観とはどういうことだい」
「深夜に駆けつけただけでも褒めていただきたいものです。ほとんどの参加者は、電話口で断ったんですよ」
縁田の反論に阿部も頷く。「そうだよ。命を省みず駆けつけたんだから、それだけで謝礼ものだ」
「むむ、そういわれるとたしかに」ナゲットはこちらを振り返り、「百歩譲ってあなた方は許せるとしても、君たちはダメだよね。用心棒と雑用係だなんだから」
矛先を向けられた撤兵とメイド二人は肩を竦める。そしてちらちら視線を交わし合いながら、
「だってねぇ」
「ねぇ」
「こじらせてるオッサンいじめるから悪いんすよ」
ウンウン頷く三人に、ナゲットは珍しく眉をひそめた。それから気を取り直すように事後処理を始める。
「縁田先生。彼の処置をお願いしますよ」
彼というのは無論皆川のことだ。名指しを受けた縁田は、困ったような迷惑そうな表情で頭を掻く。「私は肛門科医なんですけどねえ。応急セットを持って来るから、それまで我慢してくださいね」
最後は皆川に対して声をかけ、言葉通り縁田は応急セットを取りに玄関を出て行った。その間に阿部と道須柄少年は蹲っている皆川と大熊にそれぞれ聴取を開始し、BBQとマスタードは母屋への連絡と割れたガラスの処理に回る。撤兵はその様子をどこか不安な気持ちで見ていた。するとそれに気づいたナゲットが隣まで寄ってくる。
「なんだい?」
「や、その。なんていうか、皆全然怯えたりしてなくて……」
「怖くなったかい?」
「いや、引きました」
未遂とはいえ殺傷沙汰があったのだから、もう少し騒ぎになっても良いのではないだろうか。彼らの反応といったら、まるで夏のBBQ――人名でなく調理方法の方だ――が終わった後片づけでもしているかのようなテンションだ。撤兵が渡って来た修羅場とはまた別の修羅場を超えてきたと見受けられるが、得体のしれない不気味さがある。ナゲットは目を眇めてドン引きの意を示す撤兵に満足げに頷く。
「君のその妙に肝が据わっている感じは嫌いじゃないよ。遺想屋向きだ」
「嬉しくないっす」
「いいじゃないか」
聴取を終えた安倍が楽しそうに会話に入ってくる。「どうせ君みたいなタイプは、四年の夏にようやく本腰入れて就活するんだ。桧垣先生に雇ってもらえば安泰だよ」
「不安な未来しか見えないっすよ。毎月貰ってる額だって高校生の小遣いみたいなもんだし。そもそもどこから出てる金なのかさっぱり分かんねーし」
ついでにかねてからの疑問をこぼしてみると、ナゲットはにやりと口角を上げ、
「それは秘密」
「秘密って。……アッ、まさか死神で入れ替わった相手の財産を!?」
「あはは。どうだろうねー」
そんな話をしている間に、応急セットを持った縁田が戻って来た。ナゲットと守智は彼の元に行き、撤兵は一人になった。皆の様子を一周窺うが、特にやるべきこともできそうなこともない。部屋に帰ろうと思ったが、その前に確認したいことがあった。極寒のリビングに入ってゆき、カーテンでガラスの破片をまとめているBBQの背を突く。
「BBQ、ちょっといい?」
「なんだい」
そうして振り返ったBBQの身体を、撤兵はお宝鑑定でもするかのごとくジロジロ眺めまわす。
「ウン。全然エロくない」
「は?」
「安心した。さっきのはつり橋効果ってやつだな」
良かった、良かった。安堵の息を吐く撤兵の鳩尾に、BBQの容赦ないパンチが飛ぶ。
「いっぺん死にやがれこのひょうたくれ!」
扉越しに様子を見ていた縁田が応急セットから湿布を取り出した。
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