4 恢恢(カイカイ) 

「私、物心ついたときから事件に巻き込まれやすい体質なんです」

 牛酪少女は椅子に腰掛けるなりそう切り出した。海老原、マスタード、そして撤兵の三人は、それぞれ少女とカウンターを挟んだ場所に座り、彼女の奇妙な話に耳を傾けた。

「窃盗、強盗、通り魔、詐欺、下着泥棒、不審者、露出狂……。物心ついたときから、とにかくありとあらゆる犯罪が私の周りには渦巻いていました。おまけに巻き込まれる事件は全部私が十分容疑者として成り立つようなものばかりで、今まで逮捕されかけたことも一度や二度じゃありません。幸運にもそういったその、謎解きというか、警察の真似というか。そういうのが得意な知り合いがいるおかげで、なんとか助かっていますが、一歩間違えれば私は今頃少年院、少年刑務所を経て豚箱行きになっていたと思います」

「そりゃ災難だったなあ。今まで相当苦労しただろう」海老原は牛酪が持って来たナイフを古新聞で包みながらいった。マスタードも隣で頷いているが、撤兵はいまいち同情が湧かない。

「それってつまり、キンダイチなんたらとか、フルハタなんたらとか、ああいう人たちと同じ人生を送ってるってこと?」

「全然違います!」「話聞いてたか?」「撤兵君たらお馬鹿ねぇ」

 「……ハイ」

 一斉に否定され撤兵は目と口を閉じる。――いや、こんな話をまともに取り合う方がお馬鹿だろ! 牛酪は撤兵を嫌そうな顔で一瞥したのち、「あはは」と自虐的に笑った。

「信じてもらえませんよね。フツーそういう反応になると思います。かくいう私も自分がそんな意味不明な体質なんて信じられませんでした。クラスメイトや担任の先生が次々に死んだのも、道で通り過ぎただけの人がいきなり呻きだして死んだのも、本当は偶然なのになにか私の精神に問題があって自分のせいだと捉えてしまうんだって。警察の人が私を疑うのも、私がそういう妄想ヘキのせいでオドオドしてるからだって。だから中学を出るまでは精神科に通っていたんですが、そこでお世話になっていた先生が目の前で毒殺されてから通院をやめました」

 ウーン、あまりの悲惨さにかえって信憑性が出てきた。撤兵は一分前の軽はずみな発言を反省した。しかしまだ適切な相槌の打ち方が分からないため、ひとまず横の二人の態度を伺いながら聞き手に徹する。

「そのくらいから、私は自分が事件に巻き込まれる体質だと信じだしました。それからはできる限り外に出ないようにしてたんですけど、学校とかは行かないといけないじゃないですか。お小遣いも高校いっぱいで打ち止めになったから、欲しいものはバイトしないと買えないし。だから必要なときだけに絞って外出するんですけど、二週間に一回はなにかに巻き込まれちゃうんです。被害者も犯人も赤の他人なのに、毎回疑われたり死体を見なきゃいけないのがもうストレスでストレスで……。もうスピリチュアルでもいいから頼ろうと思って検索したとき、とある霊能者のサイトに行きつきました。なんでも弟子が世界に百二十四人いて、霊能者界では天才と謳われているらしいんです」霊能者、天才――なんだか聞き覚えのある肩書だ。「料金は安くなかったけれど、それで助かるならって思って依頼をしました。ただなにが呪いの元なのか分からなかったので、家まで来てもらってお祓いをしてもらうことになりました。霊能者さんは部屋を調べて回ってから、私が小さなときに父から貰ったコインが原因だといいました。それはコインといっても、価値のない記念コインです。私はびっくりしましたけど、そういうことならと思ってお祓いをお願いしたんですが……」

 多分、無理っていわれたんだろうな。耳の奥で関西訛りのマシンガントークが蘇る。「これは呪いじゃないから無理だって断られちゃって」やっぱりそうか。

「それから霊能者さんは専門外だから料金は半分でいいっていって、すぐに帰ろうとしてきて。でもこっちだって引き下がれないから、呪いじゃないならなんなんですかって問い詰めたら、イソウブツってものだって教えてくれて、そのときにここのことを教えてもらったんです。でもイソウブツなんて聞いたことないし、詐欺なんじゃないかと思いました。だから、料金を全額お支払するので予定を取りつけてくださいって頼んで、それで今日お邪魔することになりました。さっきの包丁は、ここに来るまでに遭った通り魔のものです。もちろん被害者も犯人も私じゃないですけど。二人組の男の子の一人が、急にもう一人を刺したと思ったら、あたしの方にすごい勢いで突進してきて、気づいたら包丁を握らされていたんです。そのときの悲鳴を聞きつけた周りの家の人が出てきて、もうそこからは察してください」

「ああ。現場から逃げてきて、今に至ると」

「逃げたというか……」牛酪は心底嫌だという表情で斜め上の空中を見上げた。「もうダルくて。どうせあたし犯人じゃないし、いいや行っちゃえ! と思って。別に刺された子も生きてたし」

「なるほどな」

 なるほど、だろうか。撤兵は顎をさすりながら呟く海老原に懐疑的な視線を向けた。たとえ無関係であっても、目の前で殺傷事件が起きたのであれば警察に通報するなり、被害者の救護に当たるなり、色々とすべきことはあったはずだ。死んでなかったからといって放置していい理由にはなるまい。「あのさ、牛酪さん」あんたそういう態度だから逮捕されかけるんじゃないの――? そういいかけた撤兵のつま先に突然激痛が走る。悶絶して足元を確認すると、マスタードのパンプスが自分の右足を捻り潰さんばかりの強さで踏みつけていた。どういうつもりかと本人の顔を睨みつけると彼女は、

「余計なこといおうとしないの」

「まだいってないんだから踏むなッ」

 疑わしきは罰せずというだろうに。すり潰されたつま先を逆の足でなでる撤兵をよそに、海老原は牛酪の話を改めて確認する。

「メールでも聞いていたが、要は遺想物であるコインを俺に回収してほしいって話か」

「そうしたら私の体質は変わるんですよね?」

 期待のにじみ出る声で牛酪は尋ねた。しかし海老原はその淡い期待を一瞬にして裏切る返事を返す。

「いや、それは分からん」

「えッ」

 予想外の応えに固まる牛酪。その顔が絶望に染まっていくのを間近に、海老原は困った様子で頭を掻いた。

「あー……牛酪さん。あんた遺想物については調べたかい?」

「はい、調べたら日本遺想学会ってところのサイトがあったので、一通り見ました」

「そうか。じゃあ遺想職については? 遺想に関わるどんな職業があるか知ってるか?」

「いえ、そこまでは……」

「そうか。ならちょいと説明が必要だな。坊主、お前も聞いとけ。どうせロクな教育受けてないだろ」

「はぁ」

 それから海老原は頭の中で考えをまとめるように俯いてしばし考え事、ついでにカウンター下から煙草を取り出し、はっとしてしまう。「あー、そうだな……」

 まず遺想物に関する職業は、大体七つある。一つ目は遺想物を収集したり、集めたものをギャラリーに展示したりする蒐集家コレクターだ。

 二つ目はサルベージ。遺想物探索者ともいうな。こいつらは文字通り遺想物を探索、回収することで金を稼いでる。

 三つ目は遺想商ディーラー。サルベージやコレクターから遺想物を仕入れて売っている商人のことだ。ディーラーはサルベージを個人的に雇っている場合もあるが、大体安値で買いたたかれているし、ヤクザがシノギの一つとしてディーラーをしているケースも少なくない。だから俺に辿りついたという点で牛酪さんは運がいい。……話がずれたな。

 四つ目は競売人オークショニアだ。ディーラーやコレクターを全国、ときには世界から集め、遺想物を扱うオークションを運営している。中国に有名な会社があるが、今は関係ねぇな。

 五つ目は職人。思われ物を加工して、新たな形の思われ物を作りだす連中のことだ。金属であれば溶かして再成型したり、ジュエリーであれば削って小物の装飾に使ったりするらしいが、細かくは知らねえ。

 六つ目は遺想学者いそうがくしゃ。遺想物にこもった遺想について研究している学者のことだ。

 最後、七つ目に遺想物修復家がいる。遺想物の修復を専門とする人間だな。他にも何種か遺想職はあるが、大体この辺がメインになってくる。

「さて、ここまでいえばなんとなく分かるだろうが、俺の仕事はディーラーだ。つまり遺想物を売買する人間。遺想物による被害までは扱えない。付け加えると、遺想物による被害を診る医者みたいな職業人は、いない」

「……つまり……私の体質を直すのは、不可能ってことですか……?」

 牛酪の声は泣きそうだった。実際に目には大粒の涙がたまり、今にも頬を伝って床に落ちそうだ。ギョッとする撤兵に、気まずそうな様子でまた頭を掻く海老原。マスタードが視線でなにか訴えかけているが、男二人には全く通じていない。

「私、い、一生、一生このまま……? 一生、一生」

「まったく使えない男の人らね」小声で悪態をついてからマスタードは素早くカウンターの反対に回り込み牛酪の肩を抱いた。「まだ希望はあるわ。手放すことで解放される人だって沢山いるのよ」

「ほ、本当に?」

「そうよ。気づかないうちに思われ物を手に入れて、気づかないまま手放す人だっているわ。あたしのだぁさま、そういうのに詳しいの。ちょっとあなたの写真を送ってもいいかしら」

「えっ? は、はあ。分かりました」

「はいはいじゃあ撮りますよ。せっかくだから撤兵君とツーショットでどうかしらん。さあ入って入って。早く早く、ハイチーズ。もひとつおまけにサイキック」サイキック?

 戸惑うままに牛酪と撤兵は用途の不明なツーショットを撮られた。持ち主の確認のためなら間違いなく撤兵は要らなかったはずだが、撮られてしまったものは仕方ない。

「こ、こんなカッコいい人と写真撮ったの初めてです。えへ」緊張感があるのかないのか、結んだ口の端から笑みが漏れている。「あ、写真、もらってもいいですか?」

 なにかいいたげに海老原が撤兵を見るが、なにも答えようがないのでとりあえず見つめ返す。二人の見つめあいを邪魔したのは、次なる来客だった。

 一度目はメイドと二枚目のコンビ、二度目は天才お笑い伝道師、三度目は包丁を持った血まみれの少女。四度目はピエロの面を被った強盗でも来たのかと振り向くと、入り口では背格好の違う三人の男が訝し気な表情で店内に顔を突っ込んでいた。

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