5 瀞市危うし

 三色団子のごとく頭を重ねた三人は、店内に人がいることを認めると一度顔を引っ込め、今度は堂々とした足取りで店に入ってくる。撤兵は一目見て彼らが警察関係者であると気づいた。というのも、三人の中で一番背の低い男は警察官の制服に身を包んでいるのだ。また一番背の高い男はスーツにトレンチコートを羽織っている。これはもう「私は刑事です」といいながら歩いているようなものだ。残りの一人は別段特徴のないカーゴパンツとジャンパー姿なので素性はさっぱりだったが、三分の二が警察である時点で残りの一人も関係者と考えるのが自然だろう。一体警察がなんの用だろうか――そこまで考えて撤兵は気づいた。今この店には確実に警察に問いただされるべき事案が一件ある。海老原も同じことを思ったのだろう。椅子から立ち上がるとカウンターから出て三人を迎える。

「いらっしゃい。今日はどういった用件で、」

「ミャコ! ようやく見つけた」

 海老原の脇をすり抜け、カーゴパンツの男は牛酪の元に駆け寄った。いつの間にかカウンターを回り込んでいたマスタードが素早く二人の間に腕を突っ込んだので、男は直前で急ブレーキをかけることになったが、それがなければ少女に掴みかかっていてもおかしくない勢いだ。

「困るよー、みやこちゃん。事件に巻き込まれるのは仕方ないけど、せめて凶器は置いていってもらわないと」

 制服姿の警官がのんびりした口調で咎めると、牛酪都は気まずそうに「スミマセン」と謝罪を口にした。

「あんたら誰だ? 警察か?」

 都が古新聞で包んだ凶器を警官に渡すのを横目に海老原は尋ねる。すると刑事風の男はコートのポケットからドラマよろしく警察手帳を取り出すと、撤兵やマスタードにも見えるように掲げた。

「瀞市警の坂本さかもとといいます。そっちの警官は乗田のりた。なに、この店を摘発に来たマル暴なんかじゃありません。一介の刑事と警察官です。どうぞご安心を」

「ンな心配するかッ」噛みつくように海老原。暗にヤクザと繋がっていそうな店だといいたいのか、おのれはッ。

「我々の目的は、そこの都君から凶器を回収することだけです」

「え、それだけ?」

 思わず尋ねたのは撤兵だった。坂本は撤兵の方を見遣ると「それだけとは?」と聞き返す。

「いや、だって血まみれの女の子が血まみれのナイフ持ってるんですよ。普通は疑いませんか、普通は」

 撤兵の疑問は至極当然の物と思われたが、警察二人は一瞬撤兵の発言の意味を探るように沈黙、爆発するように大笑いする。笑われた撤兵は一体なにがおかしいのかさっぱり分からない。唖然とする彼を前に、坂本は片手を振りながら否定した。

「君、さては市外の人間だな。この瀞市で牛酪都の名を知らない警察がいたら、そいつはモグリだよ。牛酪都あるところに事件あり、しかし罪はなしってのが瀞市警の常識だ。なあ乗田君!」

「そうですね。都ちゃんはこの街で唯一、警察に無罪が証明されている人間ですから。はっはっはっは……」

「そ、そんなことあるかぁ?」 警察の捜査を顔パスで通れるなんて前代未聞、いや職務怠慢だろ。

「あるんだからしょうがない。むしろこっちとしては、君みたいに度の過ぎたイケメンの方が怪しく見えるくらいだ」

 撤兵は頬を引きつらせながら「瀞市、やべー」と呟く。色々やばいが、なにより万が一都が犯罪者だったらどうするのだろうか。

「じゃ、凶器も回収できましたので、我々は失礼します。都君には、もしかしたら犯人のことを聞きに行くかもしれないから、前みたいに着拒しないでくれたまえ」

 坂本は古新聞に包まれた凶器を乗田に横流ししつつ釘を刺す。居心地悪げに都は頷いた。「ハイ」

 したのか、着拒。警察を。市警が市警なら市民も市民だ。撤兵は瀞市への信頼が自分の中で失墜していくのを感じていた。

「それじゃかぶと君。あんまり都君から目を離すんじゃないぞ」

 男に向かってそういい残し、警官二人は帰っていった。残された一人の動向に注目が集まる中、店に残った兜と呼ばれた青年は、都に向き直ると厳しい声で彼女を叱責する。「一人で出歩くなっていったろうが!」

「そんなに逮捕されたいのか? 偶然担当があの人たちだったから疑われずに済んだけど、他の連中はあいつらみたいに、お前のことを信じてくれてるわけじゃないんだぞ。俺だっていつでもすぐに駆け付けられるわけじゃない」

 どうやら問題があるのは、瀞市警というよりあの二人らしい。ほっと胸をなでおろしつつ、撤兵は改めて兜の姿を見直した。どうやら都の話に出てきた謎解きが得意な知り合いというのは彼のことらしい。兜怒りが収まらないといった様子でなお都を責める。俯いて耐えるだけの都を見かねて、マスタードが横から口を挟んだ。

「その辺にしなさいな。他のお客様に迷惑よ」

「他の客ぅ?」

 ぐるりと店内を見渡すが、客の姿どころか影もない。

「……いないじゃねえか」

「そういう考えもありますわね」

「…………」

 間抜けな顔で黙り込む兜のいいたいことが撤兵には手に取るように分かった。『他にどう考えりゃいいんだ』そういいたいのだろう。マスタードのいい加減な発言に気持ちをくじかれたのか、兜は「大声出したのは謝るが、」とため息交じりにいいわけした。

「俺はこいつとは浅からぬ縁があるんだよ。事情は聞いてるんだろ? 俺はずっとこいつを守ってきたんだ」途中、兜はポケットから直方体のケースを取り出したと思うと、中に入っていたガムを口に放り込んだ。「はあ……。まだ諦めてなかったのか」

 呆れと苛立ちの混ざった声で兜が呟くと、それまで黙っていた都がようやく絞り出す。「諦められるわけないじゃん」

「俺が守ってやるっつてんだろ。実際、今までお前が巻き込まれた事件は九割がた俺が解決してる。残りの一割だって色んな理由で容疑者から外れてる。なにが不満なんだ」

「…………」

 黙り込む都。話が膠着したのを感じ取ると、撤兵はマスタードに小声で耳打ちした。「ねえ。今って修羅場?」聞かれたマスタードはわざわざ聞くかといわんばかりに片眉をちょっとだけ上げて「だね」と短く答える。

「ところで、あなたはどなた? 修羅場に巻き込むのは構わないけど、お名前くらい知りたいわ」

「すぐ帰るから気にしないでくれ」

「そんなことおっしゃらず」

「……俺は奈多なた兜。瀞市で私立探偵をやっている。都の保護者みたいなもんだ。……あんたらは? 店員じゃなさそうだけど」

「一応お客よ。あたしはマスタード」

 自己紹介の気配を察した撤兵もすかさず名乗る。「あ、子安撤兵っす」

 当たり前のことといえば当たり前のことだが、メイド姿の女と大学生然とした若者の姿に、兜は不信感を抱いている様子だった。撤兵としては、あんな警察がいる瀞市の住人なんかにそんな目で見られるのは心外なのだが、一応彼も成人した男なので黙っている。一方兜はただの客には用がないようで、二人についてはそれ以上追及することはなく都の手を取った。

「帰るぞ。ああ、あんた、コインは回収しなくていい。邪魔したな」

 そのまま手を引いて店を出て行こうとする兜に、都は慌てて反抗した。掴まれた手をぶんぶん振りながら、

「や、やだよ! 邪魔しないでっ。私もうこんな生活嫌なの!」

「だから俺がどうにかしてやるって」

「そういうんじゃないの! 私は事件を解決してほしいんじゃなくて、事件に巻き込まれたくないのッ」

「俺がしてきたことは全部無駄だったていいたいのか!?」

「そんなこといってないッ」

 ――もめてるなあ。撤兵はテーブルに両肘をつきながら二人のやり取りを傍観していた。間に入るほど献身的ではないが、かといって面白がれるほど白状でもない彼は最年長たる海老原の対応を期待した。どうにかしてくれないかなあと思いながら海老原の方を見ていると彼はやおら動き出す。興奮した兜の肩を掴んで強引に彼と目を合わせ、低い声で宥める。

「そのくらいにしろ。ちょいと興奮しすぎだ」それから都を振り返り、「牛酪さん、あんたはコインを手放したいんだな? 分かった。なら俺が買い取ろう。ここはそういう店だ」

「おい! 勝手に話を進めないでくれ」

「若造、女のためにカッコつけてえのは同じ男として分かるが、加減つぅもんをわきまえねえなら今すぐ叩きだすぞ。ここはあくまで俺の店で、店主は俺。商談相手は牛酪さん。お前は客ですらない第三者だ」

 こういわれれば兜は黙る他になかった。悔し気に眉をひそめると、再びポケットのケースから取り出したガムを口に放り込む。どうやらガムを噛むのが彼なりのアンガーマネジメントらしい。だが黙らせたからといって、兜が納得したわけではなく、都も兜の了承を得ない限りは安心できなそうだった。海老原は頬を緩めて続ける。

「しかしまあ、互いに思うところは色々あるだろうから、今すぐ買い取りゃしねえよ。上の部屋貸してやるから、話し合いでもしてきたらどうだ。その間に俺たちはコインについて調べてみるからよ」

 二人はいまいち気の進まない様子だったが、海老原にほれほれと煽られ渋々カウンター奥にある階段を上がっていった。「コップやら茶は勝手に使えー」

 階上に呼びかける海老原の声を最後に、店内には静寂が降り立った。ようやくひと段落ついたようだ。撤兵は詰まっていた息を盛大に吐き出した。

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