8 瀞にて吐露 

 兜の捜索は意外にもすぐに終わった。撤兵たちが車を停めた駐車場の隅で、兜は店の壁に背を預けていた。口をもごもごさせているので、またガムを噛んでいるであろうことが窺える。撤兵が近づいていくと、彼は一瞬視線を寄こしてすぐに俯いた。

「ガム、好きなんすか?」

「……ああ。ガムって沢山噛むだろ。セロトニンが増えてストレスが緩和されるんだよ。それに脳の働きも活性化される」

「へえ。物知りっすね」

「いる?」

 そういって兜は懐かられいのガムケースを出す。しかし蓋を開けると中身は入っていない。「ごめん、終わったわ」「ザンネン」

「お前から俺たちってどう見えた?」

 数拍置いてから兜は尋ねた。途端に撤兵の顔が渋くなる。答えるのはとても気まずいが、こうして追いかけてきてしまった以上避けられない話題だ。二つ三つ浮かんでくる意見を頭で追いながら撤兵は聞き返す。

「えーっと。今って本音と建て前のどっち求められてます?」

「両方」

「ええー」

 わがままな男だ。斜め上を半眼で睨みながら撤兵は口を開く。

「建前でいうなら、自棄気味の女の子を助けてる、苦労性のお兄さんって感じですかね」

「なるほどな。本音でいうなら?」

「自分から離れていくのが嫌で相手の幸せを願えないミニクイおっさん?」疑問形にしたのは撤兵なりの気遣いだった。

「いいすぎだ馬鹿っ」「すんませーん」

 兜は腰に手を当てて体を折ると、大きく息を吐いた。それからまた壁に背を預け、

「まあ確かに、お前のいうことも間違ってはねえよ。俺はあいつが小学生のときから知ってる。そのときからずっと、事件に巻き込まれるたびに助けてきた。執着があるのかもしれねえ。つか、ある」

 と吐露した。あるのかもしれないとはいうが、傍から見ているとどう肯定的に捉えても執着している。

「女々しいっすね」

 半笑いで返すと肩を突かれる。撤兵は段々この男の扱いが分かって来た。

「そりゃちょっとくらい執着もするさ。俺だって余裕綽々でやってきたわけじゃない。ミャコもいってたけど、探偵業って厳しいしんだよ。今までかけたコストを考えると、な。コンコルド効果ってやつだよ。分かるだろ?」

「コンコルド効果ってとこ以外は、まあ」

「……かけたコストに執着して合理的な判断ができなくなることだよ」

「なるほど!」あるある、と手を打つ撤兵に兜は眉をひそめる。「スンマセン。続けてください」

「あとはまあ……その。認めたくねえけど、あいつが事件を持って来てくれるおかげで……みたいなとこもやっぱある。事件解決のお礼にって遺族から後で金を貰ったり、その人たちが宣伝してくれたお陰で仕事が来たりとかな。でもそれ以上に、あいつを理不尽な事件から守りたいんだよ。んでそれ以上に、あいつが不自由ない生活を送れるサポートをしてやりたい。これは本当だ」

 兜の発言を信じないわけではなかった。彼の口調からは都を思う気持ちが伝わってくるし、自分を良く見せたいならいわなくてもいいことまでいっている。しかし、彼が都のことを思っていると知れば知るほど、撤兵の中で疑問は大きくなった。

「じゃあなんでコインを売るのに反対するんすか?」

 問題の要点はここなのだ。結局、どれだけ都を思っていても彼の行動は矛盾している。じっと兜の答えを待っていると、彼は空と地面、撤兵と裏の家を見、

「わり、ちょっとトイレ」

 逃げた!

 逃げれば疑念を煽ると分かっているだろうに。探偵ともあろうものが愚策を講じたものだ。撤兵は完全に兜のことを『小さい頃から面倒を見ていた女子大生に執着するおっさん』と判断し、やれやれと肩を竦めた。相手にとってどうかは知らないが、好きになってしまったものはしょうがない。当たって砕ければいいだろうに。

 兜の帰りを待っている間、撤兵は駐車場を出て狭い道路の向かい側に移動した。ガードレールに手を置き、景色を眺める。ガードレールの向こうは急な斜面になっていて、好奇心に任せて転がり落ちればその先に広がる田食良川にダイブできるだろう。四百メートルほど離れた対岸はそれなりに整備されていて、撤兵もあそこでBBQをしたことがある。平日の昼間ということで人は少ないが、川に入って釣りをしているおじさんがちらほら見えた。どうせリリースするのに、魚なんか釣って楽しいのだろうか。吊った瞬間はガッツポーズなんかしちゃったりするのだろうか。爪の先くらいの好奇心で、釣り糸を垂れているおじさんを観察してみるが、一向に動く気配がない。一分、二分、三分までは耐えられたが四分は耐えられず、撤兵はガードレールを離れた。兜は帰ってこないし、自分も店に戻ろうか。そう思い踵を返すと、視界の端で誰かが走ってくるのが見えた。

「ん?」

 それは見覚えのある警官だった。短躯で小太りの警官は、制服を重そうに揺らしながらこちらに走ってくる。

「こんにちは」

 互いに存在を認識しているのが分かったので無視するわけにもいかず、撤兵は軽く会釈した。撤兵とて遊び盛りの青少年だ。夜遊びや自転車の並走でお世話になった経験を思い出し、体が勝手に緊張する。

 小太りの警官は、先刻店に来た乗田だった。ただでさえ遅い歩みを緩やかに減速すると彼は撤兵の前で立ち止まる。

「やぁ。君はさっきお店にいた男の子だよね」

「ハイ。ええっと、あなたはたしか……乗田さん? 乗田ジュンサ?」

「あはは。警察関係者以外から巡査って呼ばれるのは初めてだなあ」乗田は柔和な笑みを浮かべた。「ところで奈多さんはいるかな?」

「ああ。兜さんならさっきトイレに行くって、店に入ったまま出てこないんすよ。俺も今待ってるんです」

「そうかい」笑い皺を濃く刻み、乗田は続ける。「じゃあ都ちゃんでもいいんだけど」

「都ちゃんすか……」

 撤兵は都の姿を思い出し、ここに引っ張り出してきたいいものかと悩んだ。「ちょっと今モメてまして……」

「あらら、痴話喧嘩? いいねえ、若くて。やっぱりね、男女は一度破局するくらいモメた方がかえっていいよね」

 見当違いの解釈をして乗田はウンウンと頷いた。なにがいいのか撤兵にはさっぱり分からないが、まあ恋愛観というのは人それぞれだ。適当に相槌を打っておく。

「ま、じゃあ君でもいいや」

 ひとしきりニコニコすると、乗田はやおらポケットから一本のケースを取り出した。それは兜が持っていたガムケースと全く同じデザインの箱で、彼はそれを撤兵に渡すとこう言伝る。

「これを都ちゃんに渡しておいてほしいんだ」

「あれ? たしかこれ、同じのを兜さんが持ってましたよね。乗田さんがあげたんですか?」

 受け取ったケースを手の中で弄びながら撤兵は聞く。「中を見てもいいよ」といわれたので開けてみると、様々な種類のガムが十枚ほど入れられていた。ガムというのは基本的に同じ味の物が人は子に複数枚入って売られているので、わざわざ色んな種類の物を買って一枚ずつカスタムしているのだろう。

「彼はガムが好きだからねえ」

「はあ。ホスピタリティ満々っすねぇ」

 撤兵にもしガム好きの友人がいたとしても同じことはしないだろう。呆れ混じりの感嘆を悟った乗田は、チッチッチと指を振って付け加える。

「君は分かってないねえ。これは通貨なんだよ。ガム一つで事件の真相を説くヒントをもらえるなら、多少の労力はいとわないさ。グレープフルーツ味を渡すと、都君が絡んでなくても犯人を当ててくれる時だってあるんだから」

「それ、いいんすか? 警察のイシン的に……」

 呆れ全開で撤兵が聞くと乗田の目からすっと光が消える。

「そりゃま、良くはないよね。でもプライドだけあっても事件が解決できなきゃ、市民は納得しないから」

「は、はあ」思わぬ地雷を踏んでしまったようだ。

「僕もこの世から悲しい事件を消してやるって、それが僕の使命だって思って警官になったんだけどね……。アレコレいってもしかたない。じゃ、たしかに渡したからね! 都ちゃんに、頼むよ!」

 乗田も去り、兜は帰ってこない。自分も店に戻ろうかと踵を返すと、丁度マスタードが姿を現した。「あ、いたいた。まだお外に用?」

「いや。ない。今戻ろうと思ってたとこ」

「そうかい。なら良かった。ちょっと来てくれるかい。だぁさまから返事が返って来たよ。兜さんと牛酪ちゃんには声をかけてある。あとは撤兵君だけだよ」

「お、マジか」

 そこまでいうとマスタードは表情をわずかに曇らせた。

「あんまりいい話じゃないから、多少の揉め事は覚悟しておいとくれ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る