10 大団円?
都は悲痛な声で絶叫するなり、部屋を飛び出してしまった。
「兜さんなにしてるの。都ちゃん追いかけないと」
マスタードが肩を叩くと、兜は弾かれたように走り出す。それからマスタードは海老原に、
「ヤノさんは撤兵君といてあげて」
と頼むと、自分も二人を追いかけて店を出た。都の背は見えなくなっていたが、代わりに兜が川に架かる橋の方へ行くのが見えた。兜の背を道標に、マスタードは都を追う。川に面した小道をわざわざ選ぶ車はなく、マスタードはすぐに橋の根元の十字路に出ることができた。正面に兜の姿はない。左右を確認すると、右方に伸びる橋の上に彼の姿を見つけた。兜は肩で息をしながら歩道の上で立ちすくんでいた。マスタードの脳裏に嫌な予感がよぎる。急いで彼に追いつくと、そこには想像を超える展開が待ち受けていた。
兜が立つ場所から数十メートル先、橋の真ん中で、都はこちらに背を向けていた。更にその先には一人の男が立っており、その手には見慣れない黒い塊が握られていた。それは前に突き出した両手で包むように構えられ、男の手首の辺りから腰にかけては黒いコイルストラップが伸びている。信じられないことだが、男が構えているのはM360J SAKURA――日本の警察官に支給されるハンドガンだった。警官帽を取ったその顔には覚えがある。
「……なんで乗田が」
兜が零す。
「乗田さんてことは、つまり兜さんにガムを渡した――あなたを殺そうとした人、よね」
「ああ。恐らく」
撤兵はあのガムを乗田という男から受け取ったといっていた。であるならば、乗田が兜を殺すべく毒入りのガムをケースに混ぜていたと考えるのが妥当だろう。
「まだ死んでなかったか……」二人の仮説を裏付けるように、乗田は兜を見て吐き捨てた。店に入って来たときとは打って変わって凶暴な顔と口調だ。「まあいい。僕はこの死神さえ殺せれば、それで報われる……ッ」
「ふざけんな! おい乗田さん、こいつがあんたになにした!?」
「なにをしたかだって!? 君が一番よく知っているだろう。こいつのせいで一体どれだけの事件が起きたと思ってる! おまけに本人ときたら、ろくに通報もせず現場から逃げ、助かるはずの被害者を死に追いやろうとする……。こいつは死神だ、悪魔だ! こいつがいたら、善良な市民は皆殺される。これは制裁だ!」
とんでもない冤罪――ともいいきれない。マスタードは兜のすぐ後ろで思った。遺想物のせいとはいえ、遺想に侵された都がいることで様々な事件が起こり、そして被害者が出る。それは紛れもない事実だ。一般人からすれば、都が死神に見えても仕方ない。しかし遺想物を扱う者にとって、それは許してはならない暴論だ。
「なっ……お前腐っても警察官だろうが! そいつは事実、なにもしてない。ミャコだって善良な市民の一人のはずだろうがっ。事件が起きたのは犯人のせいだ。ミャコがいなくても、殺人を犯す奴は犯すし、放火する奴は放火する! ミャコは関係ない! あんただって、いつもそういってくれてただろ!?」
「かっ兜兄……」
都が声を上げる。恐怖がありありと浮かぶその顔は、しかし口元に弧を描いていた。
「わ、私、いいよ……?」
「は!?」
「乗田さんのいう通り、かも。さっきだって、あたしのせいで、子安君が死んだ。兜兄は運が良かっただけで、本当は死んでた。いつ、か、いつか、あたしが皆を殺しちゃうんだよ。パパも、ママも、兜兄も、皆……っ」
「馬鹿なこといってんじゃねえッ! お前は俺がいれば大丈夫だからっ。俺は死なない、お前の家族も死なない。変なこというな!」
「でも……っ」
「でもじゃねえ!」
もはや都の笑みは笑みと呼べないほど崩れ、大粒の涙と共に嗚咽が漏れていた。当たり前だ。銃口を向けられなお死を選べる人間などいない。人間とはそうあるものだ。そしてそうあるべきだ。
「この女は悪魔だ、死神だ。僕は正義を執行するんだ。僕の力を見せつけるんだ。そして巡査なんてチャチな立場に追い込んだ上の連中に、真実を気づかせてやる。僕こそが、正義を実行できるんだ。そのために警官になったんだッ」乗田はぎらついた目でなにかいっていた。兜とマスタードのいる位置からは聞き取ることが難しかったが、今にも襲いかかってきそうな危うさが一秒ごとに肥大化していることは分かった。「だからこいつを殺すんだ。こいつがいたら皆不幸になる。皆、皆……これは制裁だ!」
「ミャコ! 逃げろ!」
乗田の太い指が引き金にかかる。凶弾が都を貫くコンマ数秒前――
「――まったく。与太話もそのへんにしなさいな」
一体どこにしまっていたのか。鎖分銅を手にしたマスタードが身を翻す。軽やかな動作で欄干の上に着地した彼女は、鋭く鎖分銅を振るい吃驚した乗田の腕を狙う。
「ちょいと反省おしよ」
見事拳銃を持った腕に鎖が巻き付き、乾いた銃声と共に銃弾が空を穿つ。
「よいっ、」鎖を勢いよく引けば乗田は吸い込まれるように体勢を崩す。待ち構えるのはマスタードの拳だ。「しょっと」
鈍い悲鳴と共に、乗田は崩れ落ちた。
「やあね。手袋が汚れちゃった。無事かい? 二人共」
鼻血のついた手袋を外しながら振り返ると、丁度兜と都が抱き合っているところだった。「あら」
「良かった、ミャコ。良かった……っ」
「ごめんなさい。私のせいで、兜兄死んじゃうとこだったぁ。でも私怖くて、死ぬの嫌でぇッ」
泣きじゃくる都の頭を抱きしめ、兜は心底安心した声色で返す。
「いいんだ。お前のためなら。俺が守ってやるっつったろうが、馬鹿。好きでやってるんだよ、全部。俺がお前を守りたいんだよ。お前に笑っててほしいんだ」
どうやら二人の確執もどうにかなったらしい。マスタードは小さく微笑んだ。しかし二人には悪いが、悠長にやっている暇はない。
「あのーお二人さん。感動のシーンの最中に悪いんだけれど、店に戻ってもいいかい? それと乗田さんを運ぶの、手伝ってもらえないかしら」
そう声をかけると、二人は他人に見られていることを思い出したのか恥ずかし気に離れる。
「それにしても、なんで乗田はいきなりこんなこと……」
兜は理解できないといった風にかぶりを振った。
「いつもは本当に、理解がある人だったんだよ。都が連続殺人事件の犯人だって疑われたときも、乗田さんは刑事から守ってくれたんだ。あんなこというなんて」
「……犯人じゃないって信じてくれてたからこそ、この体質が許せなかったのかな」
悲し気に呟く都。その肩をさするのは兜の役割で、自分にできるのはこの殺人犯(未遂)をふん縛るだけだ。そう思いマスタードがしゃがみこむと、乗田の傍にきらりと光る物を見つけた。拾ってみるとそれは十円玉、しかも高額でやり取りされると噂の昭和二十六年製造と刻印されたギザ十だった。思わぬ拾い物だ。
「でも……なんか、変ね。これ」
豹変した乗田。そしてこのギザ十。少々思うところがある。ギザ十をそっとポケットにしまい、気を取り直して乗田を縛る。
「ま、大団円みたいで良かったよ」
「でも……私のせいで子安君が……」
「ああ。そのことね。あん子はしぶといから、案外無事かもよ」
いたずらっぽくいうマスタードに、二人は顔を見合わせた。
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