骸に生る―ガラニナル―

多胡山 外那

第1話 思われの葡萄

「お兄さん、女難の相が出てるよ」

「知ってます」

 子安撤兵こやすてっぺいは基本的に無神論者である――ともいいきれない。占いやおみくじといったものは冷やかし程度にしか信じないが、「こんなものはまやかしだ!」と叫ぶほどではない。大学受験前には友達と、近所の神社に行ったし――いや、あれは寺だったか? 正直違いが分かっていない――、現代日本人が持つ典型的な宗教観と相違ない。典型的な、ちょっと罰当たりな若者である。だからそれに準ずるもの、例えば道端で易者に話しかけられようと、馬鹿正直に話を聞こうとはしない。

「そのままにしておくと、お兄さんいずれ死んじまうよ」

 ただ人間、偶然が何度も重なれば、それを事実に落とし込んでしまうものである。撤兵の場合、それが『女難の相』だった。

「もう死にました。元カノが」

 易者の婆を睨みつけ、撤兵は速足でその場を去る。後ろから「壺を」とかなんとか聞こえた気がしたが無視した。

 生来容姿に恵まれ、初めてラブレターをもらったのは3歳の頃。小中と順調にバレンタインデーにもらうチョコレートの数が増え、高校に入ってからは職員室の脇に、特設『撤兵BOX』ができた。アンケートを取れば十人に九人が自分をイケメンだというだろう。残りの一人はいうまでもなく僻みだ。

 ――まったく、馬鹿にしてくれるよな。 

 撤兵は顔の代わりに頭が良くないが、底抜けの馬鹿ではない。占いなんてものは大抵、誰にでも当てはまることをぼんやりいうものだ。つまりほとんどの人間はイケメンを見たら、女性問題で困るだろうと予想する。今の易者のように、突然占い師に「女難の相が出ているよ」といわれることは今までにも何度かあったが、だからといって彼ら彼女らが、超自然的な力を持っているわけではない。単に自分が、誰の目にも明らかな男前だというだけである。

「……はぁ」

 易者の声が届かないところまで歩くと、撤兵はゆっくり足を止めた。まだ十一月も初めだというのに今年はやけに寒かった。吐いた息で空気が白く濁る。

 ――まあ、否定はしないよ。

 薄雲の奥で光る星を見上げ、撤兵は考える。

 確かに占い師たちのいう通り、物心ついたときから女性関係には悩まされてきた。交際しようものなら、別れ話でもめなかったことはないし、ファンの女子に私物を盗まれたこともある。大学に入ってからは、同じサークルの先輩の彼女が自分に惚れてしまい、腹いせで意識を飛ばすまで酒を飲まされた。もちろんそのサークルは辞めたが、それもそれでおかしい気がする。

 女難だけならいざ知らず、男からも「女に媚びていてムカつく」「いやがらせくらい甘んじて受けろ。イケメン税だ」などといわれる始末だ。それでも女嫌いにならなかったのは、恐らく自分が身も心も男で、女性が好きだったからだろう。爪の間に針でも刺されれば、また話は違ったかもしれないが。

 そんな難あり苦ありの恋愛遍歴を持つ撤兵だが、去年の七月に初めて本気でのめりこんだ彼女ができた。名前は藍子あいこといって、ウェーブがかった黒髪が綺麗な美人だった。出会いはサークルの飲み会で、末永いお付き合いと刹那の一夜を狙う下品な空気の中、居心地悪げにしている藍子に撤兵が声をかけたのだった。連絡先を交換し、一か月もしないうちに交際にこぎつけた。ちょうど季節は梅雨が終わって夏に移り、女の子と付き合うには最高のシーズンになっていた。

 藍子と過ごした夏の素晴らしさといったら! 口数こそ少ないが、話し上手で聞き上手。包容力も抜群で、アウトドアスポーツやバイクといった、女の子に人気のない趣味にも快く付き合ってくれた。食事に行けばきちんと財布を出し、むしろこちらが奢るといっても断られることが多かった。なによりこれは偶然だが、藍子と付き合い始めてから、ぱったり女性関係の問題が起こらなくなった。私物の盗まれない生活のなんと快適なことか。雨の度に傘が盗まれるので買い置きしておいたニ十本は無駄になったが、そんなものは安い安い。今まで夢ですら一度も考えたことのなかった「結婚」の文字が、藍子と付き合ってからは何度も浮かんだ。

 だがしかし、そんな藍子との日々は長くは続かなかった。九月の終わり、藍子はバイトから帰る途中で乗用車に跳ねられ、命を落とした。真昼間の交差点に、酔っぱらいの車が突っ込んだのだ。他にも数人が死傷したが、当時の子安には正直どうでもよかった。藍子の父母を名乗る人たちから連絡を受け、すぐに病院へと向かった。

 着いた先で案内されたのは病室でも集中治療室の前でもなく、遺体安置室だった。人型に歪むシーツのそばで泣き崩れる女性と男性を見て、初めて彼らが藍子の父母だと知った。藍子そっくりの母親は、死に顔を見せてもらおうとする子安を泣きながら止めた。なんでも事故のせいで損傷が激しく、身元が分かったのも荷物の中に学生証があったからだという。「綺麗な藍子のまま記憶を留めて」といわれては、食い下がることはできなかった。

 それからの日々は地獄だった。スマホを開く度、藍子からメッセージが届いていないか確認してしまう。いい雰囲気のカフェを見ると、藍子を連れ来ようと考えてしまう。そして寝る前になると、藍子を殺した相手への憎しみが沸々湧き上がってくる。酔っぱらいなんかの過失で、なぜ藍子が死ななければならないんだ。いつだか酒に口をつけた友人の車に乗った経験を棚に上げ、藍子を殺した男を呪い続けた。おまけに女絡みの問題も再び始まった。自暴自棄になって抱いた同級生には、寝ている間に写真を撮られてSNSに晒され、ストーカーまがいの女に強壮剤入りの菓子を食べさせられそうになり、ネットショップで傘を1ダース買い足した。ストレスで食生活のバランスが崩れたせいか、常に体調が悪い。貧血気味でよくめまいがする。夢見も悪くなった。今も肩を中心に体が重くて、なんだか気怠い気分が続いている。藍子がいなくなってからの生活は最悪だ。

「……藍子」

 撤兵は呟き、首から下げたペンダントに手を滑らせた。それは生前藍子がくれた唯一のプレゼントで、表には葡萄の画が彫られ、ロケットの中には聖母マリアの肖像画が入っている。藍子はこういうアンティーク調の小物を好んでいた。

――ごめんなさい。こんな古臭いの、きっと撤兵の趣味じゃないわ。でもこれはお守りだから。身につけなくてもいい。タンスの奥にしまってもいいから、もらってくれるかしら――

 彼女の言葉が蘇る。贈り物をするときですら、藍子は慎ましやかだった。おそらく、彼女のような人にはもう二度会えないだろう。

 藍子との思い出に浸りながらしばらく歩くと、前方に白いなにかが見え始めた。Y字路の右方と左方両方に、真っ白い塊が立っているのだ。この辺りが心霊スポットになったという噂は聞いたことがないが、撤兵は心臓が一回り縮まる感覚を覚えた。

 Y字路の股との距離が十メートルほどになるとようやくその正体が分かった。それはメイドだった。右方の道には横っ面から階段が刺さるように伸びているのだが、そのニ、三段目に山吹色の髪を結ったメイドが座っていた。左方の道には、測端に設置された電柱に背を預けて、茜色の髪を結った右方にいた女とそっくりの顔立ちをしたメイドが立っている。夜闇のせいで年齢までは図れないが、まだ少女といって差し支えないように思えた。

 ――コスプレの撮影会か?

 カメラマンらしき人物は見当たらないが、現代日本の錆びた路地にメイドがいるという、異様な状況を説明するには、それくらいしか思いつかない。撮影であればカメラに見切れて邪魔をしては悪い。子安は立ち止まってカメラを探したが、やはりそれらしいものはない。となると、不審者だろうか。撤兵は足元がすっと冷えるのを感じた。

 家に帰るには階段に座るメイドの前を通らなくてはならない。茜色のメイドに比べて、動く気配がないのはいいが、街灯がほとんどない真っ暗な道なので恐怖は増す。撮影会でありますように、と祈りつつ子安は歩を早めた。十メートル、五メートル、一メートル、とメイドとの距離が近づいていく。

「もし、そこのあんさん」

 撤兵が階段の前を通り過ぎる直前、メイドは声を上げた。思わず足を止めたことを後悔する暇もなく、視界の端で少女が動くのが見える。

「あなた、女難の相が出てますよ」

「へっ?」

 女難の相。婆の口からはよく聞いたが、メイドの口からは聞いたことのない単語に、撤兵は素っ頓狂な声を上げる。同時に彼女のエプロンドレスが、割烹着を基調にしていることにも気づき、また古風なと関係のない感想を抱いた。

「失礼は承知で申しております」山吹色のメイドは言葉を選びながら続ける。「ただ素敵な……ウン、素敵な方とお付き合いしたことがありますでしょ。情熱的で、怨霊的な」

「は、はあ? たしかに怨霊レベルの執着してくる女はいっぱいいたけど……」

「ううん。そういうんじゃないんだけど。あんさん気づいてないのね。その方が幸せなのかしらん」

 白い手袋をはめた指で顎をなで、メイドは考え込む。撤兵は別の意味で恐ろしくなってきた。目の前の女は幽霊やコスプレイヤーではなく、不審者の可能性が高い。さすがに女性に力で負ける気はしないが、刃物でも出されたらひとたまりもない。三十六計逃げるに如かずというし、逃げよう。撤兵は右手を女に向かって突き出すと、

「すみません。俺、急いでるんで」

 踵を返して走りだそうとした。

「あ、待ってくださいな」

「ぐげぇッ」

 数歩駆けた子安の首根っこをメイドは容赦なく掴む。撤兵の喉からカエルの断末魔のような悲鳴がこぼれた。メイドは弁解するように首を振る。

「別にあたしは、あんさんをどうこうしようってんじゃないんです」

「ぐ、ぐるじ、い」

「ヤクザの事務所に放り込んだり、川を裸で泳がせたり、不意を突いて殺そうとしたりとか、あんさんを傷つけるようなことはしゃあせん」

「じでるだろぉっ」

「あたしはただ、これをいただきたくって」

「ぐぅぎ――えっ」

 川の向うに死んだ祖父がちらつき始めた頃、突然撤兵は解放感に包まれた。直後にバランスを崩して地面に転がりそうになるのを、すんでのところで耐える撤兵の背後で、鈴を転がすような笑い声が聞こえてくる。見るといつの間にか、茜色のメイドがこちらに来ていて、口元を手で押さえていた。「てっきり転ぶと思いましたのに」

「あ、あんたらね……って、そ、それ、」

 一言文句をいってやろうと子安が振り返ると、山吹色のメイドの指には、金色のチェーンがかかっていた。その先に繋がる葡萄の彫られたロケットには見覚えがある。慌てて撤兵は首元に手をやるが、先ほどまでつけていたはずのネックレスがない。どうやらさっき引っ張られたのは、襟ではなくペンダントの鎖だったようだ。これには撤兵も真面目な顔になる。

「返してくれ。それは死んだ恋人からのプレゼントなんだ」

「ええ。そうでしょうねぇ」チェーンを指にかけながら、茜色のメイドは頷く。「そうじゃなきゃこんなに重たくなりませんもの。どうです? 体が軽くなったでしょう。特に肩回りなんか。頭もすっきりしたんじゃ?」

「意味の分からないことを――」

 撤兵はいらだった様子でメイドの戯言を一蹴しようとするが、最後まで言葉にならなかった。振り払うように手を肩の高さに上げたとき、彼女のいう通りなんとなく体が軽くなっていることに気づいたからだ。今朝までは伸びをすることすら億劫だったはずなのに、さっきはすぐに動けた。

 ――いやいや、今は興奮してるから動くだけだ。

「返さないっていうなら、警察を呼ぶからな。嫌なら今すぐにそれを返せ」

 語気を強めていえば、メイドたちは眉をひそめて「あらあら」とこぼす。

「これはあんさんのためでもあるんですよ。あんさん、本当に気がついていない? なら明日にでも、これをプレゼントしてくれた方の家に行ってみなさいな」

「彼女はもういない! もう、死んでる」

「知っておりますとも」拳を握り俯く撤兵に対して、至極当然といった態度でメイドは息をつく。「ですから、ご遺族の方に聞いてみたらよろしいのです。生前なにか娘さんにおかしなところはありませんでしたか、と。それを聞いたうえでまだ返してほしいのでしたら、こちらに連絡してくださいな」

 メイドはペンダントを持っているのとは逆の手でポケットをまさぐり一枚の名刺を取り出した。撤兵が怪訝そうに内容を確認してみると、紙には電話番号の他に黒い明朝体で一文だけ書かれている。

「思われ物蒐集家?」

 おそらく職業なのだろうが、なにせ本来名前があるべき場所にでかでかと書かれているので、一瞬キラキラネームを疑ってしまう。名刺という割には、所属も住所も記されておらず、紙の無駄なのではないかというのが正直な感想だ。疑心を深める子安に、メイドは大仰に頷いていう。

「ええ。道徳的ないい方をするのであれば、強い思いを込められた物、不道徳ないい方をすれば呪われた物を集めるのが、あたしのだぁさま――旦那様の趣味であり職業なのです。ああ、そんな顔なさらないでください。だぁさまは趣味も性格も悪いんです」

「へ、へえ……」酷いいわれようだ。いや、そんなことより、「じゃあ、なんだ。お前のいうことが本当なら、俺が藍子からもらったそのペンダントは呪われた品だっていいたいのか?」

「察しがよくて助かります。ついでにこちらも譲渡していただけると嬉しいんですが」

 こちら、というのはいわずもがなペンダントのことだ。撤兵は即座に噛みつく。

「ダメに決まってんだろ! 大体なんだ、人の持ち物を呪われてるだなんて。失礼にも程がある」

「そうですか、ではいただくのではなく、一旦こちらで預かるということで。ええ。ありがとうございます。それではもしも返却を望まれるようでしたら、そちらの番号にお電話ください。ごきげんよう」

「は!? おい、ちょっと、なあ!」

 二人はいうだけいうと、ペンダントを持ったままさっさと階段を上がっていってしまう。重たそうなエプロンからは想像もできない身軽さだ。たまらず撤兵も階段を駆け上ったが、最後の段を上がる頃には、メイドの姿は消えていた。砂が敷かれているだけの広場には街灯もなく、辺りにはのっぺりとした暗がりが広がるだけだ。

「クッソ……」

 アスファルトを蹴り撤兵は絞り出す。持ち去られたペンダントは、藍子との繋がりを保つ唯一の品だった。腹の底からメイドたちへの怒りが湧いてきたが、同時に彼女のいっていたことが気になった。

――ですから、ご遺族の方に聞いてみたらよろしいのです。生前なにか娘さんに、おかしなところはありませんでしたか、と――

 藍子が死んでいることを伝えたときの妙な反応といい、あのメイドはただペンダントを盗もうとしているわけではなさそうだった。そもそもあのペンダントは子安にとって大切だというだけで、あんな物を売っても二束三文にしかならない。もしかすると、自分の知らない場所で、なにかが起こっていたたのかもしれない。もちろん、質の悪いイタズラかもしれないが、どういうわけか撤兵はメイドのセリフを笑い飛ばせなかった。細い息を吐きながら撤兵は空を見上げる。いつの間にか雲は空全体を覆っていた。目を凝らしてようやくその色が分かるほど暗い濃紺の空は藍子の髪に似ていた。

「…………藍子」




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