2 少年悩みやすく免許取りがたし
根近市大から瀞市までは車で大体ニ十分ほどかかる。市境はなんの変哲もない工場沿いの道路で、瀞市のカントリーサインを超えたとき、丁度ポケットのスマホが震えた。BBQからメッセージだ。
「マスタードに変なちょっかいかけるなよって、BBQから伝言」
「あら。心配性ねえ」
「まったくだ」
「あたしが負けると思ってるのかしらん」
「そっちかよ」ちょっかいけけるほど女に困っちゃないやい。「仲いいな、二人。姉妹なの? それか双子? 色違いコンビって感じだけど」
「んーん」
ハンドルを切りながらマスタードは首を振った。器用だ。
「あたしのママと南ちゃん――BBQのママが幼馴染だったの。家も隣同士でね。二人ともお婿さんをもらって実家で暮らしていたから、必然的にあたしとあの子も幼馴染なのよ」
「へー。すげぇ偶然。じゃあナゲットさんも昔からの知り合い?」
「だぁさまとはここ数年の仲よ」
「なんで一緒に住んでるの?」
「おしゃべりねぇ」マスタードは嘆息した。「君は得意でも、あたしはおしゃべりは得意じゃないんだよ」
「だってナゲットさんもBBQもろくに説明してくれないんだもん。特に死神とかさあ。アレなんなの? いきなり心臓に手ぇ突っ込まれて、本当、死んだかと思ったわ」遺想物のあらましに関しては、河鹿島村に向かう途中でBBQが話したはずだが、撤兵は眠りこけていたので覚えていない。
「え、だぁさまから一度、君のろうそくを預かったよ。なのに教えてもらってないのかい?」
「ウン。あれは俺の魂で、ろうそくの火を消したら死ぬし、つけたら生き返るってことしか」
「あら……うちの衆はどうしようもないねぇ」
「変な話するけどさ、俺って今魂が身体にない状態なわけじゃん。なら、今俺が刺されたりしても、フツーに生きてられんの?」
「無理。遺想に中てられて死ぬことを、思われ死にっていうんだけど、そういうのだけ。生命活動が維持できない身体じゃあ、魂があっても意味ないわ」
「へぇ」
「でも例えば、健康な身体で死んだ撤兵君の中に、あたしのろうそくを入れる、とかならできるよ」
「そうすると俺が生き返るの?」
「撤兵君の身体であたしが目覚める」
「ダメじゃん! 市販のろうそくを俺の中に入れたら、ちゃんと俺が生き返る――なら?」
「そんな魔法みたいなことできたら苦労しないわ」
思われ物自体が魔法みたいなものだと思うが……。科学信仰の敬虔な信者のような顔つきで運転するマスタードに、撤兵は微妙な視線を送る。
「じゃあ俺が刺されて、出血多量で死ぬとするじゃん」
「ありそうね」うるさいやい。
「そしたら俺のろうそくの火は消えるんだよな?」
「ええ」
「そのろうそくを、他の健康な人に入れて火をつけたら?」
「持ち主のろうそくを抜けば、君がその身体で目覚めるわ」
なんだか漫画の設定を聞いているようで楽しくなってきた。
「じゃあさじゃあさ、俺はその身体で目覚めるんだけど、元の持ち主のろうそくをつけっぱなしで抜きっぱなしの場合は?」
「別にどうにもならないわ。身体がないなら、火がついていても消えていても意味ないもの」
「へえー」
ひとしきり質問してから、ふと撤兵は気になった。「散々聞いておいてアレなんだけどさ」
「なんで知ってんの?」
「…………くあぁ。眠くなってきたわ。暖房止めようかしら」
「え。誤魔化した?」
「君がおしゃべりさせるから疲れたの」
「いや絶対誤魔化したじゃん」
「うるさい人ねぇ」
「藍子とバトってたやつが、ちょっと喋ったくらいで疲れるかって」
「石上からここまで運転してきたら流石にねぇ」
「怖いなー。居眠り運転とかやめてくれよ?」
苦笑交じりにいえばマスタードは半眼でこちらを睨んでくる。「代わろうって気はないのね」
「いやあ。気持ちはあるよ。でも俺、普通免許持ってないから」
これはいいわけではなく本当のことだった。車社会で生まれ育った高校生は、大概高校卒業と同時か直前に免許を取るが、撤兵は当時進路に悩んでいてそれどころではなかった。なんとか市内の三流、いや四流大学に進学したが、進路という当時最大の悩みから解放された彼は、春休み中遊び呆けていて、またも機会を逃してしまっていた。以降はタイミングが掴めず、他人の助手席にご厄介になる日々を送っている。
「ふぅん。わざわざ普通ってつけるんなら、普通じゃなけりゃ持ってるのかい?」
素朴な質問をマスタードが投げかけると、撤兵は待ってましたといわんばかりに大きく頷く。
「持ってるよ。特殊小型船舶免許と大型二輪!」
「特殊小型船舶?」
「要は水上ジェット」
「へぇ。バイクみたいなんが好きなのね。BBQみたい」
「あの子もバイク乗るんだえ。どんなの?」
「さぁ。知らないわ。なんだかゴツゴツした恐竜みたいなのをよくいじくりまわしてたよ」
「へぇー」
BBQがバイクを乗っている姿はなんとなく想像がついた。レザージャケットを着ている姿を見たことがあるし、ああいう気風の人はバイクに乗りたがる――と撤兵は勝手に信じている。しかし恐竜みたいなのというと、HONDAのゴールドウィングとかだろうか。あの胆力だとハーレーをねじ伏せてそうな気もする。少年のように瞳を輝かせる撤兵に、マスタードは小さくため息をつく。
「そんなに乗り物が好きなら、普通免許も取っておいてほしかったねぇ。ATでいいから」
「大学卒業までには取ろうと思ってんだけどね。つか、今時MTなんて要らないでしょ」
二人が雑談に興じていると、フロントガラスの端に大きなアーチが映りだした。それは市内の人間なら誰しも知っている田食良川という大きな川に架かった橋のものだ。夏になって近くで花火大会が開催されると、橋の上は見物客で歩行者天国状態になる。撤兵も何度か来たことがあった。もちろん、連れ添う女性は毎回違う。そういえば今年は藍子とだったな――なんて思い出にふけっている間にもアーチ橋は大きくなっていく。撤兵は勝手に橋の向こうに用があると思っていたが、車は橋の直前まで来ると川沿いの分かれ道を右折した。それから田食良川と並走すること数分、マスタードが不意に「あっこだよ」と告げる。
「どれどれ――」フロントガラス越しに右手側の建物を覗き込むと、十メートルほど先に袖看板のくっついた古臭い店を認めた。その看板にはマスタードがいっていた通り『和氏の璧』と書かれている。「あれか。ん? ワシじゃん」
「撤兵君……ちょっとは勉強しなさいな。教養学部でしょ」
「教養学部に真面目な理由で入ったヤツなんていないの」全国の教養学部生を敵に回しかねない発言だ。
「もう」
店の手前にぽっかり空いた空き地には、縄で仕切られた駐車スペースが用意してあった。
「ふう、やっとついた」
「おつかれ」お義理程度にねぎらいの言葉をかけ、車から出る。
店の前に立つと、撤兵は一度立ち止まって建物を見上げた。和氏の璧は古びた二階建ての和風建築で、古民家カフェを彷彿とさせる郷愁的な造りになっている。ただガラス戸から覗く店内の様子は古民家カフェとは程遠いようで、外観と同じく時代に取り残されている風だ。これらを総合して店主の性格を想像してみると、ウーン。不器用をこじらせた頑固な中高年が撤兵の脳内で仁王立ちした。
「なにしてんの、撤兵君」
「……店主って怖い?」
日和っているわけではない。ごにょごにょ口の中でいいわけする撤兵に、マスタードはにやりと口角を上げた。
「優しい人だよ。だぁさまよりは、確実に」
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