11 泡と消ゆ

 翌朝も外の雨は降り続いていた。昨晩話し込んだせいですっかり寝不足になった撤兵はナゲットの様子を横目で窺うが、彼はあくび一つしていない。遺想物の力とやらは絶大のようだ。

「あんたら昨日なんか話してなかったかい?」

 のそのそ着替えをしていると、座卓でメイクをしているBBQからそんな質問が飛んできた。撤兵は昨晩の一連の流れを思い出し、どこまでをどう話すか迷った末、

「俺の女遍歴を少々――」

「ふぅん」

「結構面白かったよ、撤兵君の女性トラブルエピソード」

 朝の談話もそこそこに、三人は支度を終えて朝食の場に赴く。広い居間に置かれたちゃぶ台には、人数分の豪勢な朝食が用意されていた。白ごはんに鮭、漬物、納豆、豆腐とわかめの味噌汁――旅館のモーニングでももう少し質素なメニューだろうに、なんとも贅沢な朝だ。お茶を運んでくる満留に撤兵は内心手を合わせた。そして朝食に向かって今度はしっかり手を合わせ、「いただきます」

「そうだ撤兵君。この後蔵に入るから一緒に来てくれ」

 納豆をかきまぜながらナゲットがいった。BBQを挟んだ隣で鮭の骨を取っていた撤兵はあからさまにイヤそうな顔。

「ええー。またぶっ倒れろってんすか?」

「今回は大丈夫だから」

「信用なんないなー」

 一度は蔵に閉じ込められた身だ。撤兵は気乗りしない態度でほぐした鮭の身を口に放り込んだ。昨日の夜は今日にでも解決できるといっていたが、あれは本当なのだろうか。そういえばなにがどうなれば解決なのか聞いていない。もし藍子のときのようにショッキングなバトルシーンが必要な場合、自分はまた囮に使われたりするんだろうか。憂鬱そうにため息をつく撤兵など気にも留めず、ナゲットは宝に向かってこう問いかける。

「呪いの正体は恐らく蔵ではありません。蔵に収集されているなにかである可能性が高い。もし蔵の中に思われ物――呪いの品があったら、こちらで引き取っても構いませんか? 私はコレクターでしてね。是非いただきたいんですが」

「え、ええ。こちらとしては願ったり叶ったりですが、いいんですか? 危ないんじゃ」

「大丈夫です。ありがとうございます。さ、撤兵君早く食べなさい今すぐ食べなさい。さっさと行くよ。それと奥さん、この朝食はとってもおいしいんですが、僕は度を越した小食でして。もう食べられそうにありません。これラップかなんかに包んでもらえませんか。ああいやタッパーなんて大層なものじゃなくて構いません。帰りながらちょびちょび食べますから」

 いうだけいうとナゲットはさっさと居間を出ていってしまう。続いて満留が「ラップね、ラップ。おにぎりにしようかしら」と呟きながらナゲットの食べ残しを持って出ていく。居間にはなんともいえない微妙な空気が残された。

「あの人図々しいなあ」恐らく居間にいる全員が思ったことだろう。

「これ以上やらかさないうちに行ってやっとくれ」

 味噌汁をすすりBBQが命じる。なんやかんやこのメイドはほとんど遺想物の探索に協力していないように思える。そんな撤兵の心のうちを察したのか、彼女はギっと強い眼力でこちらを睨み、

「とっととしな!」

 と一喝。宝の横に座っていた杜千はBBQと撤兵の顔を見比べ、最後に撤兵に目線を固定して「お兄ちゃん、頑張って」と箸を握る手に力を込める。

「ウン、頑張るわ」嫌だーっ無理だーっ、とはいえまい。

 味噌汁と茶で流し込むように朝食を終えた後、撤兵はナゲットを追って外に出た。彼は既に蔵の前に立っていて、昨日宝が差していたのと同じ傘を差している。十中八九、勝手に借りたのだろう。

「来ましたよー、ナゲットさーん」

 小走りで彼の元に駆け寄るとナゲットは傘を差しだして一言、「持ってて」

「え。はい」

「いいものを貸してあげよう。これは君の研修でもあるし、ここまで来たら最後まで見たいだろう」

「は、はあ」

 小さな巾着を取り出したナゲットは、それを撤兵のジャケットのポケットに突っ込んだ。「これなんですか?」

「マミチョグの眼光っていう、他の遺想物の影響を打ち消す遺想物。中身は見ない方がいいよ」

「怖いんですけど」

「悪いものじゃないから大丈夫だよ。さ、行こうか。傘はそこらへんに立てかけておきなよ」

 畳んだ傘を蔵の壁に立てかけ、撤兵はナゲットの半歩後ろに着く。押し込んだ扉が不気味に軋みながら遺想に侵された蔵の内部を露わにしてゆく。

 扉の中は昨日にも増して湿気っぽかった。ナゲットはパンツの後ろポケットに突っ込んでいた懐中電灯を持つとずんずん奥に進んでいく。

――取るな、取るな、取るなぁ。

 半分ほど進むとれいの老人の声が聞こえてきたが、ナゲットは気にする風もない。一方で撤兵も声にこそ怯えていたが、昨日のように眩暈がしたり立っていられなくなるということはなかった。

 老人の声が大きくなってゆく中、二人はあっさり蔵の最奥に辿りついた。そこにあったのは大小六個の伊賀焼の壺で、全て中には水が溜まっていた。長い間水が抜かれなかったのか、壺の内側には緑色の藻がこびりついている。これが遺想物の正体なのだろうか。ナゲットの顔を覗き込むと、彼は壺を見下ろし「陳腐だな。これじゃろくな価値はつかない。奪われまいとするくらいなら、人から奪うくらいの気概を見せれば良かったのに」と冷たく放つ。それから顔を上げたかと思うと、一気に明るい声色でこう始める。

「ここで遺想物の授業をしようか。撤兵君、遺想物というのは強い思いが込められた物であるとBBQから教わったけれど、実はもう一つ特徴があってね。遺想物にこめられる遺想っていうのは、当事者が強く思っていたことと反対の性質を持つことがあるんだ。人間は自分の境遇を肯定するために、理不尽に理由をつける癖があるからね。例えば自由を望んだ人間が作る遺想物に、どんなものがあるか想像できるかい?」

「ええ? そんな急にいわれても分かんないっすよ。持っていると空を飛べるようになる、とか?」

 瞬間大笑いするナゲット。撤兵は一気に羞恥がせり上がってくるのを感じた。「さあ」と切り捨てても良かったものを、お義理でひねり出してやった答えになんたる仕打ち。撤兵は真っ赤な顔で悪態をつく。

「メッチャムカツク」

「ごめんごめん。まさかそんな……ぷぷっ小学生みたいな……ぷぷぷっ」堪えきれない笑いを噛み殺しつつナゲットは続ける。「望みを逆転させてごらん」

「ウーン……逆転。不自由を……憎む?」

「君は馬鹿か。現代文の成績悪いだろ」

「ち、違うのは分かってるよ! でも逆転っていったじゃん!」

 噛みつく撤兵に肩を竦めるナゲットの姿は、できの悪い生徒を根気よく指導する教師にも似ている。良き指導者を気取る男はダメ学生にいくつかヒントを示す。

「正負の逆転という意味だよ。素直は美徳だけど馬鹿正直に言葉尻を捉えてどうするんだ。この場合の逆転は、自由を望む者が既に自由な人間を憎むということ。正解はね、まあ個体差はあるけれど、大抵の場合他者の自由を縛る効果を持つんだよ。羨ましいという感情を抱いたとき、人は同時に嫉妬を抱く。それでは次の問題。成富豪司氏は、金に対してどんな遺想を込めただろうか」

 このくらい説明を受ければ、撤兵にも段々彼が求める答えが分かってきた。「……無限に増えろ、はちょっと違うか。これさえあれば俺は、これがないと俺は……もう俺にはこれしか。これを逆転させるから、ええと、こんなものさえなければ?」

「お、筋がいいじゃないか。恐らくそれで合っている。ご褒美ついでにもう一つ豆知識をあげると、お金には質や時間を区切る性質があるんだ。あれは人間が貨幣そのものに価値をつけてようやく使えるものだから、この世の物の中でも特に遺想を受けやすい。そして遺想を受けた貨幣の多くは変質する。君が見つけたお札も豪司氏が隠したものだろうから、多少影響を受けていたんだろうね。そしてきっと、これも同じだ」

 懐中電灯を撤兵に預けると、ナゲットはジャケットから財布を取り出した。そこから十円玉を一枚取り出して、手前にあった壺の一つに落とす。すると十円玉はたちまち水の中に消えてしまった。

「溶けた!」

「少し違う」ナゲットは首を横に振る。「水に変質したんだ。成分を分析したら、きっとただの水って結論が出るはずさ。水道水か自然の水かはさておきね」

 それからナゲットは六つの壺全てに硬貨を落とし、全てが水に変質する様子を確認した。

「これで分かったね。この壺は貨幣を水に変質させ、近づいた者にしみついた呪詛をリプレイする。ふふふ……。名前をつけるなら、さながら泡銭あぶくぜにといったところか」

 嬉しそうなコレクターの横で、撤兵はあんぐり口を開けるしかなかった。

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