10 まとめの時間

 時間は進んで夕食の後、撤兵はナゲット、BBQに次いで成富家の風呂を借りていた。檜風呂でも待っているかとウキウキしていた撤兵だったが、意外にも風呂は普通でほんのちょっとがっかりした。とはいえ借りる身分で偉そうなことはいえない。それに一人暮らしの身では湯船に湯を張ることも中々ないため、久しぶりに肩までお湯に浸かることができた。

 ほくほく気分で客間に戻ると、畳の上ではBBQとナゲットが各々の時間を過ごしていた。BBQは顔にパックを張り付けたまま髪をを乾かし、一方でナゲットは持ってきた荷物を広げて露店を開いている。その中にはこけしやら鈴やらガラクタが沢山見受けられた。――あんなに沢山のガラクタ、一体なんで……。あっ、まさか俺に荷物を持たせるのを見越して嫌がらせのために!? 

「あら撤兵。おかえり。そんな苦虫を噛み潰したような顔してどうしたんだい」

「…………なんでもない」

 ドライヤーを終えたBBQは前髪にカーラーを巻きつけながら不思議そうにいう。ここで「こいつも共犯か?」と考えるあたり、撤兵の人間不信はここ数日――特に今日――で着実に進んでいる。

 二人の会話を聞いてようやくナゲットは撤兵の存在に気がついたようで、手に持っていたこけしを床に置くと座卓まで移動してくる。続けてちょいちょいと手招きをしてくるので、二人もそれぞれ座卓に移った。

「今日のまとめでもしようかと思ってね」

「まとめ?」

 修学旅行の夜にある班長会議みたいだな。撤兵は懐かしい気持ちになりつつ、二人の言葉に耳を傾ける。ナゲットがまず話題を振ったのはBBQだった。

「BBQは今日満留さんと一緒にいたはずだよね。なにかいい話は聞けたかい?」

「そうさねぇ、色々聞けたけどまず最初に、あの婆さんだ。あたしどうしてもあの婆さんが気になって、二人が蔵を見に行った後に満留さんに聞いたんだ。あの人は宝の母で、結構な苦労人だって話だよ。そもそも死んだ豪司はバブル崩壊で財産を失ったときに、心をやっちまったみたいでねぇ。借金をしこたま作ったくせに、いや、作ったからかしらん。しばらく床に臥せてからは酒に溺れちまって、婆さん――名前は枝付子えつこだそうよ――枝付子さんはそんな豪司から宝を守るために親戚に預けたらしいのよ。それから宝は十と数年後にこっちに戻ってきて枝付子さんを県外に連れ出し、今は妻子共々一緒に暮らしているって。宝が戻るまでの間、枝付子さんは借金を返すために二つもパートを掛け持ちしたり、酒に溺れる旦那の世話をしたり、相当苦労したみたいだねぇ」

「姑いびりなんかはなかったのかい?」ナゲットが尋ねる。なんでこの男はこうも意地の悪いセリフばかり思いつくのだろうか。

「ないね。いや、多少なりと嫌がらせじみたことはあったみたいだけど、あの満留さんって人ぁいい女だね。お義母さんは大変な思いをしてきたからって全部飲み込んで、あの婆さんに楽をさせてやりたいって考えてるようだよ」

「美人は心も綺麗なんだなあ」

 思わず感嘆の声を漏らす撤兵。するとナゲットがすかさず、「それは違うよ、撤兵君」と否定する。

「美人だから心が綺麗なんだ。社会から当然の価値観で以て見下された経験が少ないから、変にこじらせていないのさ。ブスはその時代の価値観を前提とした一過性の事実に過ぎないけど、人を歪ませるにはうってつけの凶器なんだよ。特に女性に対してはね」

「ひっでー言い方……」

「ま、そういうことだぁね。他に聞けたのは最近の悩みかしらね。遺想物のせいで皆に元気がないのが悲しいのと、あとはやっぱり杜千ちゃんの体調さね。あん子は今六歳で、二か月前に誕生日を迎えたばかり。痛みを訴えるようになったのはその頃からだっていってたよ。昔はもっとお転婆だったみたいでね。わがままで困っちまうくらいだったのに最近はめっきりだそうだ。可哀想だねえ」

 BBQの言葉に撤兵も頷く。あんな小さな子が原因不明の病に悩まされているなんて、痛々しいことこの上ない。

「栃千ちゃんの誕生日プレゼントってなんだったんだい?」

「いや、そこまでは聞けてないけど……。悪いね、必要な情報だったかい?」

「構わないよ。なんとなく、あのお婆さんはあげたのか気になっただけだから」

「さあ。あたしの収穫はこんなもんかねぇ。そっちはどうだったんだい? 遺想物の正体は掴めそうかい?」

 撤兵は首を横に振る。

「さあ。俺は蔵に入って倒れた後は家にいたから。ていうかそもそもイソウってのもよく分かってないし」

「そら寝てたんだから分からないだろうよ」嫌みったらしくいって、BBQはナゲットに視線を移す。「だぁさまは?」

 ナゲットもかぶりを振った。「いいや。でも遺想の依り代に見当はついている。あれは蔵じゃなくて、蔵の奥にあるなにかだね。撤兵君が騒ぎ出したのは蔵の奥に近づいてからだ。蔵に遺想が宿っているなら、足を踏み入れた時点でなにか起こっていないとおかしい」

「奥まで見なかったのかい?」

「見ようとは思ったんだけどね」ここでナゲットはわざとらしく嘆息、「それよりも倒れてる撤兵君を助けろって宝さんが大慌てで。まったく、あの後全然目を覚まさなかったし、パシり損だよ。蔵の中になにかなかったのかい?」

 責めるようなナゲットの口調は撤兵に理不尽な罪悪感を植え付ける。撤兵は濡れた髪を掻きながらできるだけ昼間の出来事を思い出そうとした。

「ええっと……蔵のもんがやたらかびてて……。別にナゲットさんの仮説を否定するわけじゃないすけど、俺が声に気づいたのは、蔵の本に挟まってたおさつを持ち上げたときっす」

「お札か……。いい線いってるけど、宝さんの話には出てこなかったな」

「はあ……。あと、関係ないかもしんないけど、倒れてから目を覚ました時に心臓に痛みが走りました」

「んん? もっと詳しく」「え?」

 かさ増しのために付け加えた部分が思わぬ興味を引いたらしい。撤兵はもう一度海馬を探る。

「客間で目覚めて、そしたら杜千ちゃんがいて……。あ、そうそう。あの子おもちゃのステッキくれてたんすよ。宝物なんだって。俺が心配で持って来てくれたらしいです。そしたらそこに満留さんが入ってきて、で、その後だな。『ゼリー食べる?』って聞かれたから『はい』って答えようとして息を吸ったら急にビキッて来たんです」

「なるほど……まあ気のせいだね!」

「なんなんだよ!」大真面目な顔をして聞いていると思ったら! 心配の一つでも寄こすかと思った自分がバカだった。

 憤慨する撤兵をケラケラ笑って、ナゲットは押入れを指さす。

「やあー。話も聞けたし、僕は満足だよ。もう遅いから君たちは寝るといい」

 また急な提案だ。撤兵はどこまでも我が道を行く男に呆れてものもいえない。ナゲットの話の展開は独りよがりだが、眠たいのは事実だった。二度も気絶したのが堪えているらしい。大人しく押入れを開けて、撤兵はBBQと一緒に寝床を作り始めた。座卓を部屋の隅にどかし、布団を三組敷いていくだけの簡単な作業だ。ものの五分で客間は寝室となり、二人はそれぞれ両端の布団にダイブした。

「あー、布団って最高」「体力のない男だねぇ」「BBQだって眠そうじゃん」

 枕を抱えて話す二人がいる一方、ナゲットは布団に入る素振りを見せない。

「ナゲットさん寝ないの?」

 寝転がったまま聞けば、ナゲットは一日で見慣れた薄ら笑いを浮かべ、

「僕はもうちょっと」

「ふーん。そっすか」

 まあ、眠る時間など人それぞれだ。それにナゲットはイソウブツのことで頭と胸がいっぱいなのだろう。撤兵は勝手に解釈して寝返りを打った。




 轟音で目が覚めた。寝ぼけた頭ではすぐにそれがなんの音であったのか理解することはできず、雷が落ちた音だと気づいたのは消防車の音が聞こえてからだったので、一度寝てしまっていたのだと思う。唸るサイレンは結構近い。重い頭を持ち上げて外を見ようとすると、縁側に座る背中に遮られた。

「ナゲットさん、まだ起きてんのか」

「ん?」

 不意にナゲットが振り返る。心の中で呟いたはずだったが、声に出ていたらしい。ナゲットの顔は暗くてよく見えない。ただなんとなく、昼間のようには笑っていない気がした。

「撤兵君、起きたのかい?」

「あー、ハイ。そうみたいです……くあぁ」

 大きなあくびをすると、かえって眠気がどっかに行ってしまった。撤兵は布団から這い出ると縁側まで四つん這いで出ていく。本格的に冬が到来した今、雨の夜はさすがに寒かった。裏起毛のスウェットでなければすぐに布団に戻っていただろう。天気は悪いが風はなく、雨が縁側に吹き付けることはなかった。

「富士山が閉山する時期に降る雨を御山洗いっていうらしいけど、文字だけを見るならこの村の雨も御山洗いっていってもいいんじゃないかと思うんだよね。まあ、こっちの場合は流しているのは穢れじゃなくて作物と人だけど」

 昼間に聞けばブラックジョークとして苦笑を返せたのだろうが、今の撤兵にそんな余裕はなかった。睡眠と覚醒の狭間でゆらゆらした脳は話を雨音と同じく右から左に流していく。結果として撤兵の口から出たのは、「まだ寝ないの?」というナゲットの話を完全に無視した返答だった。

「眠れないんだよ、僕」気にする風もなく男は答える。

「あ、枕代わると寝られなくなるタイプだ」へら、と笑って撤兵がいえばナゲットも隣で笑う。

「まさか。そんなに神経質じゃないさ。遺想物の影響でね、僕は皆みたいに睡眠をとることができない。君には信じられないことだろうけれど」

「フーン? 人間って寝なくても生きていられるもんなんすね」

「フツーは違うよ。ただ……そうだな、遺想っていうのは、長く触れていると魂に沈着するんだよ。ほら、部屋でタバコを吸っていると壁紙が黄色くなったりするだろう。あれと一緒なんだ」

「へえー」

 撤兵の意識がいまいち覚醒していないせいもあるだろうが、この時間のナゲットは神秘的な雰囲気をまとっている。声も昼間の溌剌としたものではない、囁くようなシルキーなものだ。ナゲットは続ける。

「ただ僕の魂には無数の遺想物が沈着しいてるからね。その中には、一生眠りから覚めないって効果を持つものもある。だからたまに眠るよ。遺想は所詮過去のモノ。一秒刻みで過去から脱却し続ける生者が本気で抗えば、結構打ち勝てちゃったりするものなんだ。それに遺想って食い合う性質があるから、同じ密度で反対の遺想を持つ思われ者の力が重なれば効果は相殺されるし」

 こんな夜でもナゲットは饒舌で、撤兵は情報を処理しあぐねながらも一応返事を返す。

「うーん。よくわかんないすけど、本気で抗うって?」

「二週間も三週間も寝ていなくて、とーっても疲れているとか」

「はは、なんだよそれ。本気の判定って結構ガバガバ?」

「あ、バカにしたね。生者の欲求っていうのはすごいんだよ。現に多くの遺想物は――ん?」

 不意にナゲットが口をつぐむ。不審に思った撤兵が彼を振り返ると、そこには一点を見つめて動かないナゲットの姿。視線を辿ってみると、傘を差して蔵に向かう一人の男の姿が認められた。ナゲットと撤兵を除けば、この家にいる男性は宝一人。こんな時間になにをしようというのだろうか。困惑する撤兵の横でナゲットは声を張り上げて宝を呼んだ。

「宝さーん。こんな夜更けにどうされましたかーっ」

 宝は驚いて辺りを見回したあと、こちらの存在に気がつくと小走りで縁側までやって来た。

「こんな時間にどうしたんです?」

 ナゲットが撤兵と彼の間の席を促しながら尋ねれば、宝は腰を下ろしつつ戸惑った様子で聞き返す。

「あなた方こそ……」

「僕らはちょっと眠れなくて。あなたは? 蔵に行こうとしているように思いましたが、今倒れられては誰も助けられませんよ」

「危ないのは分かってるんですが、いてもたってもいられなくて」

 その言葉に偽りがないことは、彼が撤兵と同じようにスウェット姿なことから分かった。計画して蔵に向かうのであれば、アウターの一枚や二枚羽織るはずだ。おまけに宝が履いているのはつっかけサンダルだった。自分の両手を組んだり揉んだりしながら宝はいう。

「あの声、親父のものかもしれないって、そう思ったんです」

「それはどうして?」

「……親父のことはどこまでご存じですか?」

「それなりに資産のある地主だったものの、バブルで大損して酒に溺れたと」

「はは。大体合ってますね。財産を失ったのは、親父が適当な業者にいい包められて彼らにほとんど全部の土地を預けてしまったのが原因です。バブルは崩壊し残ったのは、この家といくつかの畑、そして前年に荒稼ぎした分の莫大な税金でした。畑が残ったって、河鹿島村の土地には塵ほどの値しかつきません。親父は自殺こそしなかったが、アルコール依存症を引き金に鬱や不安障害に悩まされました。僕に危害が及ぶことを危惧した母は僕を県外にいた親戚に預けました。その人は父の兄で、僕にとっては叔父さんに当たります。叔父さんは『お父さんを一緒に助けてやろうな』と口癖のようにいっていました。それは決して口先だけのまやかしではなく、実際にやっていたミカン畑の一角を使い品種改良に使ってくれたんです。ギャンブルじみていますが、あの借金を返すにはなにか新しいものを開発してその権利で利益を得るくらいしないと、とてもじゃないですが……。僕も小さい頃からそれを手伝っていて、僕が高校生の頃に新しい品種のミカンの開発に成功したんです。そして開発したミカンに『りぼん柑』と名前をつけ、生育者権を全面的に父に明け渡しました。年月は必要でしたが、その利益と叔父さんの支援によって、僕の家は借金を返済することが出来たんです。叔父さんはそれを自分のことのように喜んでくれて、僕は一生この人に感謝しなきゃいけないって思いました。それからは叔父さんの願いでもあった家族の再生を夢見て、僕は高校を出てから一度この家に戻りましたが、既に父は心のバランスを完全に崩していて、金に心を蝕まれていました。わずかに残った財産はすべて蔵に入れ、酷いときは一時間ごとに財産を全て手元で数えて記録をつけないと気が済まなかった。酷い話、自分が数え間違っただけなのに、僕らを呼びつけて、ネコババしてないか検査をするんです。物がなくなれば母や僕を泥棒扱いして包丁を振り回しました。一円の無駄遣いも許されず、その無駄遣いの基準も父が決めるので、母なんかは病院にかかるにも許可を取るのに苦労したそうです。父の人生には同情しますが、僕はそれよりもあんな父と暮らし続けた、そしてこれからも暮らさなければいけない母が不憫でならなかった。それに命の恩人ともいえる叔父に対して、こんな有様ではあまりに申し訳ない。せめてもの詫びとして父を説得してりぼん柑の権利を叔父に返還した後、母を無理に連れ出して同居を始めました。……こんないいかたをしては生意気と思われるかもしれませんが、母は本当に可哀相な人です。家父長制のはびこる時代の厳しい家で育ち、半ば強制的に父と結婚させられ、そして父はあんなことに……。どうにか母に楽をさせてやりたいんです、僕。最近は杜千のこともあって、満留にも負担をかけています。だからこの蔵のことは早く決着をつけたくて」

 相槌も振り切る勢いで熱弁していた宝は、そこまでいうと急に正気に戻ったように額をなでる。

「す、すみません、つい長々と」

「いえいえ。貴重なお話でしたよ」撤兵もウンウンと頷く。「そうです。宝さんチョーいい人じゃないですか」

「そんな……」

「謙遜なさらず。本当に貴重な情報でしたよ。おかげで明日には解決できそうです」

 これには撤兵も面食らう。一体今の話と蔵の声に一体なんの関係があったのだろうか。

「本当に? そうだったら頼もしいな」

 宝はナゲットの言葉を自分を元気づけるための気休めだと受け取ったようで、笑いを含んだ声でそう応えた。

「本当です。だから今日はおやすみなさい。早く寝ないと朝になってしまいますよ」

「はい。お二人と話せてちょっとすっきりしました。葬式やら呪いやらが重なって、僕も疲れていたんだと思います。お二人もどうぞごゆっくり。おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 律儀にも傘を差し直し、宝は玄関の方へと歩いてゆく。

「撤兵君もそろそろ寝たらどうだい?」

 宝の姿が見えなくなるとナゲットは撤兵にいった。撤兵は雲の向こうでわずかに光る月を見上げ、

「ウーン……俺ももう少し付き合うよ」

「ええ? 君が僕の話し相手になるのかい?」

 怪訝そうなナゲットに撤兵は胸を叩いて自慢顔。

「なりますよ。鉄板ネタならいくつかあります。例えばそうだな……俺の歴代女性トラブルとか」

「それは面白そうだ。是非話してほしい」

「そうこなくちゃ。じゃあまず一人目、あれは小学校1年の頃――」

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