5 雪辱 

 和達を送っていった撤兵は母屋から出ると、待ち受けていたナゲットらによって雪玉による集中砲火を浴びた。どうやらさっき投げた雪玉は杉の木にぶつかり、その衝撃で枝葉に積もった雪が隠れていた連中の上に落ちてきたらしかった。とんだ奇跡があったものだとほくそ笑んだ撤兵に、降るわ降るわ雪の球。特に道須柄少年などは「○ね――ッ」と雪玉を投げながら、とてもじゃないが彼の親に聞かせられない暴言を吐いている。多くは足元やらステップの手すりを撃つのだが、マスタードの投げる雪玉だけは的確に頭部を狙ってくる。

「ちょちょちょちょっと、やめ、ツメタッ!? マスタードッ、お前のコントロール力はどうなってんだっ」

 必死に雪玉を避けながら叫べば、マスタードは投球フォームを崩さず返す。

「学生の頃はよく、ソフトボール部の助っ人に呼ばれてたわ」

「お前の過去とか知らないから!」

 雪で濡れた木製の床はただでさえ滑りやすい上に、この時間になると踏みつけられた雪が凍ってくる。そんな場所でジタバタ暴れていれば当然、

「ウギャッ」

 だるま落としのごとく、右足で左足を蹴り飛ばした撤兵は、そのまま前方に倒れこんだ。ステップにはこんもり雪が積もっていたのが不幸中の幸いだろう。一段も飛ばすことなく転がり落ちた撤兵は、「とどめだ!」と道須柄少年が投げた雪玉によって完全に沈黙。ぴくりともしなくなった青年に、加害者たちは各々満足した様子でコテージに帰っていく。「あースッキリした」「阿部先生に雪を浴びせるのが悪い」

「…………」あいつらの部屋だけ、暖房が壊れればいいのに。

 しばらく雪に顔を突っ込んでいた撤兵だが、昼間は止んでいた雪が再び降りだすと流石に生命の危機を感じる。雪を払いながら立ち上がると、

「……マスタード」

「やっと起きた」

 どうやら彼女は自分を置いて行かなかったらしい。マスタードは手を背中で組んでこちらを見下ろしていた。「雪まみれね」

 置き去りにされなかったとはいえ、自分に当たった雪玉の七割は彼女のものなので、一番の加害者に一番の情けをかけてもらっても複雑だ。

「ま、待っててくれたのか」待っててくれるならあんなに当てないでほしかったが。

「ウン。凍死された困るもの」

 ダマになってるよ――マスタードは撤兵の髪に張り付いた雪を指で砕いていく。あのBBQ、このマスタード……撤兵は大笑いしながら雪玉をぶつけてくるBBQの姿を思い出す。同じ個体の色違いのような見た目をしているくせに、どこで違いが出たのだろうか。いや、ぶつけているのは一緒なのだが、アフターケアの有無というか。まあ、人間の出来が違うのだろう。本人が聞いたら鎖分銅を出して怒りそうな結論を出す撤兵。その視界の端に人が映りこんでくる。

「あ、あれは……」

 皆川の秘書だったか。つられて振り返ったマスタードが「あら。大熊さんね」と呟く。縁の細い眼鏡と白いセーターを着た彼女は、大熊というには大分小柄だった。風呂に行くつもりなのだろう、彼女の腕にはタオルと風呂セットと思しきカゴが抱えられている。大熊はこちらに気がつくと、俯くように会釈して足早に去っていく。

「なんか暗い人だな。まあ皆川みたいなのが上司なら当然か?」

 同意を求めたわけではなかったが、撤兵の言葉にマスタードもうんと頷いた。

「そうねえ。皆川さんたらパワハラ、セクハラのオンパレードだもの。それに大熊さんは別に遺想学会の人じゃないのよ」

「そうなの?」

「ええ。皆川さんは元々――今もだけれど――旅行代理店をやってて、大熊さんはそこで秘書として雇った人なのよ。だから大熊さんからしたら、今回は休み返上で上司に呼び出されて、おまけに意味の分からない集会に参加させられている感じね。それも泊まりで」

「最悪だな」

 学生と違って社会人なんて、GWと盆休み、年末年始くらいしか休みはない上に、一番貴重な年末年始の時間を取られるとは、哀れとしかいいようがない。人ごとのように考えた直後、撤兵はちょっと不安になった。自分も就活をして会社勤めを始めたら、似たような目に遭ったりするのだろうか。ぶるぶるっと首を振る撤兵の横でマスタードは続ける。

「まああたしたちのせいでもあるのよ。皆川さんが学会に入ったときって、丁度あたしたちの体が今使っているもになったときだったの。メイドを二人も侍らせるだぁさまにライバル心を燃やして、大熊さんを参加させるようになったみたい」

「それは災難だな。ハーレム願望ったって、片やBBQだっつのに」

「……いうにこと欠いて、隣に置くのにBBQじゃ不満なわけね」

「いやいやいや」

 撤兵は笑いながら否定するが、正直いってBBQを侍らせたいかといわれたらNOだろう。彼女は気が強くて口うるさい、どちらかというと姐さん女房タイプだ。侍らすどころか尻に敷かれてしまう。

「モテるタイプだと思うよ。俺は。どっちも。本当に」

「ふぅん」

「本当にほんと――ェクシッ」

「あら、冷えた?」

 気づけば空から落ちる雪は大粒になっていた。マスタードの頭にも雪が積もりつつある。二人は空を見上げてから視線を交わすと、

「帰ろっか」

「そうだな。風呂行こ、風呂」

 愛甲オーナーいわく、なんでもここの風呂には露天風呂がついているらしい。景色こそ見られないが、湯の中から満天の星空が眺められるそうだ。――ん?

「雪が降ってるってことは……星空、見られない?」

「あ、そうね」

「マジかーっ」

 期待が外れてしまった。だがまあ、降雪の中お湯に浸かるというのも乙なもの、の、はず。それに風呂場の入り口には、ドリンクサービスも用意されていることを思い出し、撤兵は気を取り直した。

「星なんか見えなくても、コーヒー牛乳があればいいよな」

 同意を得られること前提で聞くが、マスタードは一拍置いてから、

「あたしフルーツ牛乳がいいわ」

「えー」

 和気あいあいとしてコテージに戻っていく二人の姿を、杉の陰から人影が見つめていた。


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