2 コール

 各々が朝食を腹に詰めていると、不意にナゲットが「そうだ」と声を上げた。ナゲットはフォークに刺したレタスを撤兵の方に向けると、

「今日はさっそく思われ物の探索に行こうと思っているんだ。もちろん君に着いてきてもらうからよろしくね、撤兵君」

「よろしく?」

「藍子のような女を釣ってくれって話さ」

「嫌だよ!」

 寝起きとは思えない勢いでブンブン首を振る撤兵。しかしナゲットは撤兵の気持ちなどどうでもよかった。というより、まさか拒否されるだなんて思ってもいなかったようで、驚きに目剥き持っていたフォークを落とした。

「えええ!? じゃあ君、一体なんのためにここにいるんだい。何様のつもりで朝食にありついてるんだい。ちょっと容姿に恵まれただけの大した頭脳も持ち合わせない大学生が、他にどうやって失態を挽回しようっていうんだい!?」

「アンタが俺のこと嫌いなのはよぉおく分かったッ」

 なんで会って一日の男にこんないわれようをしなくてはならんのだ。撤兵は沸々と腹の底からどす黒い感情が湧き出てくる錯覚を覚える。たしかに大学の講義は惰性で受けているし、バイトも女性トラブルを誘発するという理由で解雇されがちだし、ひっきりなしに女性が世話を焼きにくるので家事もできないし、持っている資格といえば中三のときに受験のために取った漢検準二級くらいのものだが、それでもそんないい方はないじゃないか。そんなセリフが喉まで出かかって撤兵ははたと気づく。アレ、俺ってもしかして結構役立たず――?

「ちょっとだぁさま」一気に小さくなる撤兵を見かねてか、フォローをいれるBBQ。「本当のことだからってなんでもかんでも口に出していいわけじゃありゃあせんよ」全くフォローになっていないじゃないか!

「そうかそうか。ごめんね撤兵君。僕は人の心を無視して真実をずばずばいってしまうきらいがあってね。傷ついたかい? 大丈夫。のらりくらり暮らしてるダメな大学生でも、そんなに顔が整っていたら人生どうとでもなるよ」

「ど、どれだけ馬鹿にすれば気が済むんだ……」

 辛口評論家だって今どき彼らほど人の心を無視したりしない。傷心気味の撤兵を他所に、BBQとナゲットは話を思われ物に戻す。

「まあそれはそうとして、思われ物の探索ったって、一体どこに連れてこうってんです?」

「長野の御嶽山に!」食い気味に答える彼の目は赤子と見まごう程きらきらと輝きだす。「一昨日、遺想学会いそうがっかいのホームページを見たら、面白い記事が更新されていてね。なんでも容姿端麗な男だけが錯乱状態に陥る小屋があるんだそうだ! ぜひ撤兵君にはその小屋に入ってもらって、錯乱していくまでの様子を実況中継してもらいたいっ」

「ちょちょちょちょっと待った。なんだよその危ない話ッ」

 テーブルに肘をついて不貞腐れていた撤兵もさすがに二人の間に割って入らざるを得ない。イソウガッカイとかいういかにも怪しそうな学会の存在はさておき、錯乱状態になる小屋に自分をいれるとはどういうことだ。思わず椅子から立ち上がる撤兵を残りの三人が手を上下に振ってなだめるが、本人としては下手をすれば生命に関わる問題だ。拳を握って、なんならその拳をナゲットの鼻っ面にお見舞いする意気込みで、「そんなん無理っす!」と抗議する。

「ナゲットさん。俺はたしかに昨日アンタに助けてもらいましたよ。でもね、でもねっ。アンタ『私の思われ物を台無しにする代償は払ってもらおうかな』っていってたよな」

「そうだっけ」

「そうだよ! そもそもあのロケットは俺のだし、アンタにとって昨日の事件はいいことなんだろ? なら俺をそんな危ない目に遭わせなくたっていいじゃないすか。ていうか、そんな重い代償を払う義理はないっ」

「ふぅん。でも朝ごはん食べたよね」

「え?」

 混じりけのない瞳でナゲットは撤兵を凝視する。そしてもう一度、「食べたよね、朝ごはん」

「た、食べたけど……。飯代にしては高いだろ。材料費を現金で返すほうがマシだ。ていうか、そっちがいい」

「僕の屋敷で寝たよね」

「寝たけど……」

「じゃあ働こう!」

「お、横暴だッ」

 テーブルを回り込んで反発する撤兵と明後日の方角を向いて無視するナゲット。「こっち見ろよッ」「やーだねーっ」「見ぃいろぉお」「いいぃやぁあだぁあっ」瀟洒な洋館で繰り広げられる小学生レベルのやり取りに、とうとうBBQが爆発する。

 ドンッ――勢いよくテーブルに叩きつけられる握り拳。食器と共に二人の肩も跳ねる。油の切れたブリキ人形のような動きでBBQを振り向くと、彼女は開き切った瞳孔で二人を睨め上げていた。あまりの怒気に、自然ナゲットと撤兵は手を握り合った。

「てめぇら……朝っぱらからギャアギャアギャアギャアと。人の迷惑ってもんが考えられねえのかこのひょうたくれ!」

「ごめんなさい!」

 再びテーブルに叩きつけられる拳にたまらず二人は誠心誠意の謝罪を叫ぶ。起こされたときから薄々思っていたが、このメイドはどうやら気が短いらしい。いそいそと撤兵が席に戻るのを見届けると、彼女は大きなため息を吐いて目玉焼きにフォークを刺す。ちなみにこの一連の流れの間、マスタードは一言も口を挟まないどころか視線も寄こさず朝食を続けていた。

「それで?」唇についた黄味をなめとり、BBQは改めて尋ねる。「だあさま、アナタまさか本当に御嶽山に行くつもりじゃないんでしょうね?」

「なにか問題があるかい?」

「あのねぇ……。何日かけるつもりなんだい。それにあたくしたちを連れていくならまだしも、この撤兵のなよっちい顔をごらんなさいな。お山なんか登れるとお思いで?」

「いわれてみればその通りだね。いやでもなあ、せっかくこんなに容姿に恵まれてるんだ。死なれる前に連れて行っておきたいんだよなあ」

「別に今じゃなくたってよござんしょ。こういうのはどんなに周りを巻き込んでも、しぶとく生き続けるもんですよ」

 色々といいたいことは頭に浮かぶが、撤兵はぐっとこらえる。配慮は欠けているが、一応BBQは御嶽山行きを止めてくれているのだ。ここで下手を打ってBBQの機嫌を損ねたら、いよいよ自分には味方がいなくなってしまう。トーストにジャムを塗ったくっている目の前の女には期待できないし、我慢だ、我慢。撤兵、大丈夫。こんなの夜通し玄関扉を叩かれたあの日に比べれば、へっちゃらへっちゃら。過酷な過去を思い出しながら、撤兵はなんとか左から聞こえてくる暴言に耐える姿勢を作る――そのときだった。甲高いベルの音が響いた。きょろきょろする撤兵と違って、音の主に覚えがあるのかナゲットとメイドたちは同時に同じ方向を見た。視線の先には窓の横にぽっかり空いた穴、つまりリビングがある。

「電話だよ。撤兵、出てきとくれ」

 短くBBQが命じる。

「え、なんで俺が?」

「いいから、早く。ほら鳴りやむよ」

「早く早く」「君も電話くらい出られるだろう」

 たじろいでいる内にマスタードとナゲットにも急かされ始め、撤兵は渋々腰を上げる。まったく、人使いが荒いよな。こんな調子でいつまでもパシられたらたまんねえっつの。ていうか、会って二日の人間に案内していない部屋を歩かせるなんて、危機管理ができてないんじゃないか?

 ぶつぶつ心の中で文句を垂れながらも、撤兵は穴をくぐってリビングに移動する。ダイニングよりも狭いその部屋には、すぐ目の前に奥の薄型テレビ、そして三人掛けのソファが二脚と一人掛けのソファが一脚あった。一人掛けソファの位置はやはりお誕生日席で、座っている人物の顔が容易に想像できる。ダイニング側の壁には背の高い棚、向かい側は出窓になっていた。さて問題の電話はどこだ? 撤兵の疑問を見透かしたように背後の部屋から「棚の奥にあるよー」と聞こえてくる。いわれた通り部屋の奥――正確にはドアがある方向なので手前――に行くと、棚の隣に大暴れする電話の姿。

「はいはい、そんなにリンリンいわなくても聞こえてるよ――ていうか、固定電話ってまだ家庭でも使われてんのか。はいはい、もしもし」そこまでいって撤兵は気づく。一体自分はなんと名乗ればいいのだ? 「こやっなげ、ええと、ええと」

「あれ? 聞き覚えない声やなあ。あーあー、もしもし? すみません。これナゲットはんのおうちとちゃうかったかなあ?」

「アッそうです」

 電話の向こうに立っているのは男のようだ。関西風のきつい訛りが効いていたいたが、聞き取れないほどではなかった。

「やっぱりそうやんな。初めて聞く声やけど、自分誰? 詐欺の受け子でもやらされてるん?」

「やっぱりあの人詐欺師ですか!?」

「うるさっ。ちゃうよ、冗談や冗談」

 なんだ冗談か。いっそ詐欺師であれば、今すぐ通報して自由になれたものを。

「なーんだ。ところでどちら様ですか?」

「人に名前聞くときは自分が先に名乗りや」

「はあ、スンマセン。俺は子安こやす撤兵といいます。お宅は?」

「よくぞ聞いてくれたな撤兵君! 泣く子も黙る天才霊能者、安納王彦あんのうきみひこといえばこの俺や!」堂々たる口ぶりで男、安納はそういった。電話の裏でかすかに「兄貴かっけぇ」と歓声が聞こえる。誰かと一緒にいるのか。しかしそんなことよりも、

「……はあ」なーにいってんだ、この人。

 こんな朝からイタズラ電話とは、暇な人間もいたものだ。受話器を置こうとしたところで様子を見に来たBBQがちょいちょいと撤兵の肩を叩いた。

「誰だい?」

「不審者。泣く子も笑う霊能者だって」

「どぅわぁっれが泣く子も笑うや! 黙る、黙るーっ」

 耳から離して尚やかましい安納の怒声。不審がる撤兵に代わってナゲットが受話器を耳に当てる。

「もしもし安納サン? あたしよあたし、BBQ」

「おお、バベちゃんかあ。今日もえらいべっぴんさんやなあ」

「見えてないくせによくそんなおべっか使えるねえ」

「いやいやあ、俺はその声聞いただけで君の麗しーい美貌を思い出すんよ」

「よくいうよ」

 BBQと安納は知り合いらしかった。二人は最初こそ雑談に興じていたが、本題に入ったのだろう。何度か質問と応答を繰り返すと五分も経たないうちに会話を終える。

「分かった。午前中には行けるだろうから、それまで余計なことするんじゃないよ。じゃあね」

 そういってBBQは受話器を置いた。それから彼女は撤兵を見上げ、

「良かったね。御嶽山には行かなくて済むよ。お前さんの行き先は山の向かい側、河鹿島村かじかじまむらだ」

 白い歯を見せて笑った。

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