第50話 裏取引2

 ほぼ謀反といっていい会話である。

 反清組織の幹部ともいえる大成は、目の前の小姓組番衆の意図がはっきりとわかった。


「拙者に何をしろと?」


「さすが歳若くして大任を任されることだけはございますな。話が早うござる。聞くところによりますると、鄭成功殿は一見して毒とは思えぬ薬で暗殺されなさったとか」


「如何にも。間一髪であったそうだ」


「その薬、手に入りませぬか?」


「なに?」



 暗殺用の毒。それも周りにはそうと気づかれぬ薬。ますます柳沢殿の計画が浮き彫りとなった。


「その薬と引き換えに、念書をお渡し致そう」


「念書?」


「如何にも。我が主が首尾よく将軍となられたときには、明への援軍の件お引き受け申そう」


「しかし、貴殿の一存では……」


「何を申される。拙者如き一介の従者が画策できる大事にあらず。今までのご使者たちへの応対等、すべて我が主が指示によるもの。念書も私が書くのではなく、館林宰相様、徳川綱吉公自らが筆を取るとの仰せである。拙者は単なる遣いに過ぎませぬ」


「うーむ……」


 権力の座を巡る肉親同士の争いなぞ、長い中国の歴史に数え切れぬほどある。故にそのことについては大成がとやかく言う立場ではない。外祖父鄭成功も似たようなことを過去してきたのも知っている。

 問題は、援軍要請の条件として、現将軍の弟の暗殺に手を貸すことの危険性についてである。

 援軍が得られないわ、公儀高官殺しの下手人にされるわであれば、鬼一口を遁れまい。


「ご使者殿。いくらでも思案なされるがよい。しかし、我らに時はあっても、明のお国は如何でござろうかの?」


 何ともうまい言い方である。

 確かに数年は待とうと大成は言っているが、その実大陸の情勢は刻一刻と清国の有利になっていると聞く。

 徳川の世と同じく、清国の政権が長く続けば、それだけ世情が落ち着くというものだ。さすれば明国の復興など誰も求めなくなる。


 ついに大成は決意した。






 ちょうど私の講釈が終わった頃、二人は戻ってくる。今だからいえるが、表情の明暗はっきりと分かれていた。


「保明、如何であった?」


「はっ。上々にございますれば、宰相様にはお心安らかに」


 このときの主従の会話の意味が今になってやっとわかった。

 そのときは機嫌の良い館林の殿様に褒美の金子と杯を賜ったのだが、私の講釈に感動したと言われては、素直に礼を述べるしかないではないか。



 *****************



「で、では、あの時既に宰相様を亡き者にと決めていたのか……」


「……ああ。背に腹はかえられなかった……」


「春殿は知っていたのか?」


 私は、普段は大人びているが、寝顔だけはそこらの子供と変らぬ、大成の膝の上のお姫様を見ながら聞いた。


「……知っている。何もかもな」


「何と言っていた? まさか、賛成したのではなかろうな」


 子供に何と惨いことをと私は憤った。


「俺の好きにすれば良いと。どうせ拾われた命だから意見なぞ無いと」


「何と不憫な……」


 世が世なら私など口も聞けぬ身分。運命とやらの不条理さに腹が立ってくる。


「それで毒を渡したのか」


「ああ。急ぎ台湾に連絡した。駕籠の中の刺客に渡せば念書をくれる約束であった」


「そうか……待て! 宴の酒といったな。それでは堀田様も……」


 今更ながらに気がついた。幕府の重職二人が相次いで頓死でもしたら、疑われるのは最後に同席した我々ではないかと。


「いや、毒が盛られたのは堀田殿が帰ってからのはずだ」


「なに?」


 大成はその辺は抜かりがないようである。私の心配など杞憂に過ぎぬということか。


「一時宴席の場を無人にしろとも言われていたからな。でなければ俺が自ら毒を盛らねばならなかった」


「そうか、あの時……」


 堀田様をお見送りしたとき、確かに謁見の間は無人となっていた。さすればその隙に刺客が忍び込んだというわけか。


「柳沢がおかしな気を起こして全員に毒を盛ることも考えられたから、一応義兄上にも毒消しは飲ませたが、翌日の態度からして考えすぎであったようだ」


「なるほど……」


 約束を反故にしたり、口を封じるなどは権力者の常套手段である。

 では、別れた直後に襲ってきた覆面の一団は何だったのか。あれは館林藩とは関わりが無かったのか。

 その件についても大成は確証がないという。


「確かに、一国の主が兄殺しを画策したというのを知っている人間がいるのは目障りだろう。しかし、お互い利害は一致している。藪をつついて蛇を出す、ということにでもなれば、それこそ元の木阿弥だ。あの奸智に長けた小姓のやり方ではない」


「なるほど……」


 謀略の世界とは無縁の私は、遥かに年下の若者の言葉に感心する他はない。


「では、我らは安心というわけか?」


「それはわからん」


「なに?」


「柳沢が俺の正体を知っていたように、清国の犬どもも柳沢の計画を知っているかもしれない。この書状、どちらにとっても見つかってはならぬもの。気をつけるに越したことは無い」


「そ、そうか……」


 そう言った後、私は言うべき言葉を見つけられなかった。


 目線をふいと動かすと、空も海も赤く染まっている。

 逃亡の最中だが、綺麗であった。お春も起き出してその海を見ている。どこか遠くを見ているかのようであった。もしかしたら故郷を思い出しているのかもしれない。


 もうじき夜が来る。後二晩で大阪に着くが、それからどうするのだろうと不安は消えなかった。



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