第23話 真の依頼
お春は、よほど疲れていたのか、結城殿の膝をまくらにするとすぐに寝息を立て始めた。
しばらくお春殿の顔を眺めていた結城殿がこちらに向き直る。
「ところで杉森殿、貴殿の話がお済みなら、拙者からも話があり申す」
「はい、お聞きいたします」
私は居住まいを正した。口調からして新たな演目などではなさそうだ。
「これを……」
結城殿が懐から取り出したのは、本でも金子でもなかった。一通の書状のようである。
「これを甲府宰相殿にお渡しくだされ」
「えっ! そ、それは……」
驚いた。私が甲府浜屋敷に出入りできるとわかって、仕官の口利きでも頼まれるのかと思っていたら、手紙とは。内容によってはとても私など力になれることではない。
「ゆ、結城殿。直訴はご法度でございますぞ……」
「直訴ではない。あるお方からの幕府に宛てた親書でござる」
「親書……」
物が物だけに、私は受け取ることを躊躇してしまう。当然のことだ。
「あ、あるお方とは……」
「うむ。やはり言わねばならぬか……しかたない。すべてお話申そう」
「は、はい。お話によってはご協力いたします」
「いや、聞いたからには、してもらわねば困る!」
不意に語気が強まった。私はビクリとする。
「……いや、無理を申した。相済まぬ」
「い、いえ……」
膝の上で寝息を立てているお春を気にしたのか、語気が元の穏やかなものに戻り、更に書状も懐に戻したので、私はホッと胸をなでおろした。
「だが、きっと杉森殿なら協力してくれると思っている。この半年、貴殿をつぶさに見てきて確信した」
「そ、そんなにお人好しにみえましたか……」
「いやいや。それは美徳でござる。杉森殿には仁の心が備わっておられる」
「そんな、大袈裟な……」
「大袈裟などではない。義兄弟の契りを結び、義兄とお呼びしたい」
「ぎ、義兄弟……」
どこの世界のことかと、私には付いていけなかった。
そういえば、三国志の巻頭は有名な桃園の義の話から始まる。
よほど中国古典が好きなのだな、そのときはそうとしか考えられなかった。
私は話を元に戻す。
「そ、その話は置いて、あ、あるお方とはどなたですか? 貴殿の身元も相当謎ですが」
「それは……心して聞いてくだされ。これから話すことはすべて真実でござる」
「は、はい……」
「あるお方とは……大明帝国延平郡王、鄭成功その人」
「えっ! な、亡くなったのでは……」
「そして拙者は、いや、俺は鄭成功の孫、本当の名を鄭大成というんだ」
「えっ……」
私はそれ以上言葉が出なかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「えっ! 鄭成功はンゆうたら、そンときはもう死んではったんやなかったんでっか」
大阪道頓堀にも、当時の私と同じように驚く人たちがいた。
二人とも身を乗り出してくる。
「そ、それに、孫て。おサムライやあらへんか」
「まあまあ。そない慌てんと。そやなあ、驚きますわなあ」
「せ、センセ、つ、続き、続き」
「はいはい。わかりましたがな。ほな、続けますで」
二人は身を乗り出したまま話の続きを待っている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「俺は、日本じゃ結城なんて名乗ってるが、明の人間なんだ」
話し方まで変わった結城殿であった。
これまで確かに、歳が若いのに無理して武家言葉を話しているという印象はあったが、見知らぬ人間の前で気取っているのだろう、としか考えてこなかった。
いや、そんなことより聞き捨てにできないことがある。
鄭成功は死んだはずだ。少なくとも日本ではそう伝わっている。結城殿本人が寄越した本にもそう書いてあったではないか。
結城殿は、いや、結城と名乗っていたこの若者はその孫だという。
それに、本家の総領と認めていた、あの同心の結城殿の発言は。まさかあの同心まで明のお人なのか。
考えれば考えるほど信じがたい事実である。
「ゆ、結城殿……」
やっと声が出た。だが、そこまでだった。何から質問すればいいか、まだ頭の中でまとまっていないのだ。
「大成と呼んでくれ。義兄上」
「あ、あにうえ……え? な、なんですか、それ……」
「今決めた! 義を結ぼう!」
「そ、そんな……」
その件は置いて話を進めるように言ったはずだが、一歩進んで二歩下がる感じだ。
「ゆ……大成どの……そんなことより、そなたが明の人間というのは……御家人ではないというのですか?」
「その件か。うん。義兄上にはすべて話すと言ったからな……」
私は、義兄弟の件に拘るのを堪えて、肝心の点を聞くことにする。結城殿がわかってくれたかどうか知らないが。
「……長くかかるが、いいかい?」
「い、いいですとも」
「義兄上に渡した本は最後の部分を除いて、すべて本当だ」
「最後?」
「ジジ様……鄭成功が死んだってコトだけはウソだ。本当に生きてる。ただ、周りにも隠してるんだ」
「何故……」
「敵を欺くにはまず味方からっていうだろ」
「敵……敵とは?」
「決まってるだろ。満賊だ。それに、満賊に降った犬どもだ」
「満とは?」
「清国などと漢風の名前を使っちゃいるが、もとは満州の蛮族どもだ。女真族の故郷のことよ」
「ほう……」
おおよその事情はわかった。
このあと、私は結城源之将こと、鄭大成から詳しく説明を受ける。
鄭成功が日本の平戸で明国人・鄭芝龍と日本人・田川マツの間に生まれ、その後明に戻り官職に就いたこと。
そして李自成の反乱により一度明が滅んだこと。
その後まもなく、明の将軍・呉三桂が清国を引き入れ、李自成は倒したものの、明は清国に征服されてしまうことになるのは知っている。
大成が説明してくれたのは、その後、明の皇族たちが反清の亡命政府を建て、鄭成功が活躍をする間の、大成の出生に纏わる秘話であった。
「実は、俺は明の人間と言ったが、結城という名も、サムライであることも、ウソではない。俺には半分以上日本人の血も流れてるんだ」
「え? そ、それはどういう……」
「うん。それはな……」
長い話が始まる。
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