第24話 背景

 ここからは、私が大成から聞いた話をもとにしたものである。




 明暦元年。長崎で糸割符制度が廃止される。

 糸割符というのは、私は知らなかったが、海外からの輸入品の価格を低く抑えるため公儀が特定の藩、或は機関にしか与えなかったお墨付きのことである。これで日本国内からの銀の流出を減らすことができるはずだった。


 だが、明国商人たちの強い抵抗があって、結局廃止となり、貿易は元通り商人たちの自由になった。

 この反乱には、大成によると、鄭成功の息がかかっていたという。鄭家は海外貿易が主な資金源だったのだ。


 その結果、九州周辺には明国からの商船が増える。

 抜け荷、つまり密貿易も増え、それを取り締まる長崎奉行所は多忙を極めた。


 そんな状況下、明暦が改元された万治元年、現在の延宝六年から二十年前、一人の長崎奉行所付き同心が海に出た。

 無論抜け荷を取り締まるためである。


 その日は夏の終わりで、台風でも来るのか風が強かった。

 夜半、抜け荷船を発見した奉行所の船はその後を追う。

 当然抜け荷船は尻に帆をかけて逃げ出す。


 その同心、若さゆえか、いや、江戸から遠方に出向させられた腹いせもあるのか、執拗に追った。仲間の同心が、波が強いから諦めようと引きとめるのも聞かずに。


 その後すぐ天候は崩れ、若い同心の乗った船はそのまま帰ってこなかった。


 翌日、沈んだ船の一部であろう木っ端に捕まって漂流している日本人が海上で発見される。

 意識はなかったが、刀を後生大事に握っていた。


 発見したのは中国人。俗に小琉球と呼ばれていた台湾の船である。

 サムライの意地も日本人の考え方もわからなかった中国人たちだったが、その同心の強い意志だけは感じ取れたようで助けることに決めた。


 連絡を受けたその海域の支配者鄭成功も、半分日本人の血が入っていることもあるのか、そのサムライに興味を覚える。すぐに根拠地の福建は廈門アモイに呼び寄せた。


「何の面目あって異国で生き恥をさらせるか!」


 その同心は鄭成功と対面したとき、そう叫んだという。

 当時既に徳川の政策として、海外への渡航を禁じる旨が出されていた。日本に戻ってもご法度破りと誹られる。かといって異国でのうのうと暮らせるほどこのサムライは頭が柔らかくないらしい。


「ひとまずここで養生なされ」


 サムライは鄭成功の流暢な日本語にまず驚いた。


 その間を突き鄭成功が、今にも自害を企てかねない血気盛んな若侍をなだめる。

 結果、若侍は冷静になったようで、廈門に残ることとなった。


 鄭成功が不在の間、彼の世話を買って出たのは小華という少女。十四、五の子供だったが、日本語が話せた。サムライの看護をひたむきに勤める。


 実はこの少女、鄭成功の娘であった。

 側室の子だが、正妻の子、跡継ぎと同じころ生まれたのを憚り、表向きは養女だったが、鄭成功のお気に入りで日本語なども教えられている。


 日本のサムライは回復とともに、小華から当時の中国の情勢を詳しく説明してもらった。

 異民族の侵略という言葉が、この血気盛んなサムライの心に火を付ける。


「一臂の力を貸し申そう。この命、貴殿に救われたものなれば」


「それはありがたい」


 サムライは、いつしか鄭家、引いては明の亡命政府に同情するようになっていた。

 それも小華に対する気持ちの裏返しだろう。


 日本人の参軍は珍しかったが、皆無というわけではなかった。このサムライと同じように海外に出たまま帰れない人間は当時はかなりいたのである。


 同年、鄭成功率いる北伐軍が南京を目指した。が、途中暴風雨に遭い、一度引き返すことになる。


 そして翌年、新たに北伐軍が出発した。

 南京に着くまで順調そのものの戦果であったが、南京では清軍の埋伏の計に遭い、敢え無く敗北を喫する。


 鄭成功の一団は海に出るしかなかった。


 サムライは混乱の中、小華を必死に守った。

 懐妊の兆候が見られたのはそのときである。鄭成功が知ったのは後になって、台湾を攻略したときであったという。


 鄭家はその後台湾に根拠地を移す。

 サムライと小華、生まれたばかりの男の子が台湾に移り住んだのは永暦十五年、日本の寛文元年であった。




「その日本のサムライの子が俺なんだ」

「な、なるほど……」




 鄭家息女といっても、養女扱いで、しかも日本人と所帯を持った小華は隠れるように住んでいた。

 知っているのは、はじめは烈火のごとく怒ったものの、三十八歳で外孫ができた喜びを隠せない鄭成功と、その腹心で、鄭家の総領の教育係の陳永華だけである。


 台湾に移り住んでまもなく、永暦十六年、清では皇帝が替わり康煕元年の四月、永暦帝が清国の手によって処刑された。

 旗頭のいなくなった明の生き残りは絶望感を味わう。


 更に、同年五月、陳永華が突然小華の家にやってきた。


「国姓爺(鄭成功)が暗殺された!」


「何だと!」


 サムライも小華も驚く。


 清国に反旗を翻していた最後の明国皇帝の、正確には亡命政権だったが、その旗頭である永暦帝が清国に捕まっただけでなく、処刑されたことで、反清勢力の台湾勢にも動揺が走ったらしい。

 明国の復興を諦めた者たちの暴走に違いないと陳永華は語る。


 陳永華は遺体を密かに運んできていた。

 涙を流す小華にやさしく、だが口早に、ある秘密を告げる。


「既に解毒薬は飲ませた。おそらく助かるはずだ。だが、回復には時間がかかる。また不逞のやからが国姓爺を狙うかもしれない。完全にお身体が回復するまでは死んだことにしたほうが良い。このことは私たち三人の秘密だ。郡主(小華)、郡馬爺(婿殿)、国姓爺の世話を頼む!」


「わかった。任せられい!」


 陳永華はそれだけ告げると、後始末のため再び城に戻る。


 その後命を取り留めた鄭成功はサムライ三人家族と暮らしを共にした。

 大成と名づけられた外孫に、明の将来を託すつもりか、自分の持つすべての知識を叩き込む。


 サムライはサムライで息子を武士らしく育てようとした。

 陳永華も度々鄭成功に報告のためや指示を仰ぐためやってくるが、その折大成に武術を仕込んでいく。

 大成は三人の熱き男たちに期待されながら育っていった。




「なるほど、鄭成功が生きているとはそういうことか……」


「ああ」


 私は歴史の秘部に触れて少なからず興奮している。


「では、何故そのことを公表しない? 何故大成は江戸にいるのだ」


「それはな……」




 

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