第25話 遠大な策

 鄭成功は娘夫婦の看護の甲斐あって身体が回復する。

 だが、世間では鄭成功の死は公然たる事実になっていた。


 鄭家及び延平郡王は小華と同い年の世子・鄭経が継いでいる。今更先代が生きていると公表しても混乱を招くだけで利益はない。

 そう判断した鄭成功と陳永華は秘密の組織の梃入れに力を入れることにする。


 秘密の組織とは、明国の遺民たちによって、征服国である清国の横暴に抵抗するために作られたものである。

 洪門という組織で、天地会の通り名で知られていた。

 陳永華が陳近南という別名を使い指導している。これを鄭成功が直接指揮しようというのだ。


 清国の横暴とは何か。

 征服された側から見れば、蛮族の一挙手一投足すべてがそうだったかもしれないが、特に顕著なのが辮髪令であった。

 辮髪とは塞外民族の特徴で、女真族なら、男子に限ってだが、頭髪を後頭部のみを残して剃り上げ、残った髪を編みこむ髪型である。

 布告には「髪を剃る者は首を切らない。髪を剃らない者は首を切る」といった厳しいものがあった。漢族の中にはいっそ全部剃って出家したほうがいいとまで考える者もいたそうだ。




「何故その秘密組織に力を入れる必要がある。堂々と戦えば良いではないか」


 私は、一応は武士なので、素直にそう感じた。


「それも理由がある。清は我々の抵抗に対して海禁の策を取ったんだ」


「海禁?」


いくさには金が要る。鄭家の主な資金源は貿易なんだ。商人にとって、相手が清か明かなどは関係ない。それが、すべての海上貿易が禁じられた」


「なるほど、それが海禁か……」


「それに、遷界令まで出されてしまう」


「今度はどんなお触れだ?」


「鄭家は福建などの大陸南部海沿いに勢力を持っていたが、そこら一帯、住民を内陸に強制移住させられた。今海沿いには人っ子一人いない。居るのは清国の犬だな」


「なんと大掛かりな……」


 私は唐土のやり方の規模の大きさに唖然としてしまう。大国とはそんなものかと。


「人がいなければ交易はできない。交易ができなければ金もできない。そして……」


「金がなければいくさはできない、か? その点は日本と同じだな」


「そのとおりだ」


 大成は素直に答える。この若者の出生について聞くうちに、だんだんと人間味が感じられていくようであった。


 そういえば、大成が年相応の言葉遣いになってから、私のこの若者に対する口調も変ってくる。


「それで洪門の組織を使い、新たに反清の勢力を増やしていき、少なくとも交易が成り立つようにしなければいけなくなったんだ」


「なるほど。だが、大成がここにいるのは? まさか、日本にも秘密の組織とやらが?」


「ああ、ある」


「なんと……」


 驚愕の事実であった。


「曽祖父・鄭芝龍以前の時代から、九州沿岸は明との貿易が盛んで、日本に暮らす中国人、ああ、唐人もかなりいる。そして、すべてが明の民の自覚がある」


「ああ、いわれてみれば……」


 確かに長崎に唐人屋敷というのがあることを聞き知っている。


 そして、大成によれば、もう一つ理由があるとのこと。



 明国が存亡の危機に立ったころ、劣勢だった亡命政府は外国に救援を求めた。

 朝鮮、南洋諸国。いずれも明国が宗主国として朝貢を求めてきた国だ。琉球王国もそのひとつである。果てはキリシタンの総本山、羅馬にまで使節を派遣したという。


 そんな中、室町以来国交が途絶えていた日本にも救援要請の使節が来ていたらしい。

 これを日本乞師というが、それも、鄭成功の父・鄭芝龍の時代から十回も派遣されたそうである。


 この事実に私は驚いた。おそらく町人はおろか、大概の旗本連中も知らないだろう。

 結果は聞かずともわかっている。どの国も出兵したはずがない。



「距離的にも兵力的にも日本が一番頼りになるとジジ様、鄭成功は言ってた」


「なるほど、日本は戦国の世が終わって浪人が溢れてるからな……」


 私自身はいくさに参加したわけではないが、父祖の時代は武士にとってよき時代だったのだろうと思いを馳せる。


 だが、と考える。日本が国外に出兵することの意義をだ。

 確かに豊臣秀吉は明に向けて出兵した。が、当時誰も本気にした者はいないと聞く。老害の果ての狂気がそうさせたのだ。


 私は、大成の意気込みを台無しにしてしまうことを覚悟してその旨を告げてみた。そんなことをしても仕官も領地も増えないのだから、誰も行きたがるものはいない、と。


 しかし、この若者は希望をまったく捨てていない。


「実は薩摩藩や御三家の尾張藩からは色よい返事をもらっている。領地だけが目的ではないらしい。今では交易権とやらも立派な交渉条件なんだ」


 次々と新たな事実が出てきて、私は言葉を失った。

 結局、私のようなまつりごとに一切かかわりを持たない浪人崩れの考えが及ぶところではないということだ。


 では、何故この鄭成功の外孫とやらが私に付きまとうのか。思う当たることは一つしかない。


「で、では、後は幕府の一存だけということか」


「そうなる」


「私を通じて甲府宰相様に願い出るということだな」


「そうだ」


「最初からそれが目的か」


「狙った以上だった。幕閣の誰かに渡りを付けたかった。今まで無視されてきて、投げ文程度では幕府を動かせんからな。膝を交えて話ができる人物を探していた。まさか、将軍の弟に届くとは思わなかった。これも義兄上の人柄のおかげだ。感謝する」


「兄上はよせ。しかし、これでわかった。お主が私に持ってきた講釈のネタの意味がな」


 そうなのである。


 三国志、水滸伝、十八史略。これらの膨大な内容から大成が選んだのは、すべて他国からの侵略に立ち向かう悲劇の忠臣の物語の段であった。それに己の外祖父を重ね合わせて自分で本まで作ったのだ。


 この講釈を聞いた者は、合戦の場面を楽しむ町人たちを除いて、皆明の忠臣・鄭成功に同情するであろう。武士として。

 大成は、いや、おそらくは鄭成功自身の策略かもしれないが、恐れ入ってしまうほど遠大な作戦に出たものだ。


 



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