第26話 大陸の状況と来訪の理由

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 道頓堀の茶屋の一室では、政太夫と座長が微妙な表情をしている。

 私はそのわけを聞いた。


「私ら町人にはピンと来ませんな。そこまでして一度無くなった国をもとに戻したいんで?」


「それに、髪ぐらいでガタガタ言わんでも。私かて毎日月代、剃っとりますがな」


 もっともな意見であった。

 おそらく清国でも大半の人間が二人のように、よく言えば達観し、悪く言えば諦めたのであろう。


 ゆえに鄭成功たち明国の遺臣の企てが水泡に帰したのも仕方の無いことだ。


 だが、ほんの一部でも関わってしまった私は、彼らの弁護をしたくなる。


「そやなあ。ホンマにその通りや思います。けどな、座長はン。仮に竹本座がお取り潰しになって、あンたはン、平気で捨て置けますか?」


「そ、それは……」


 座長は言葉に詰まる。


 観客、下働きの者なら大した問題ではないのだろうが、経営者として責任と意地があるに決まっている。


「政太夫はン、明日から頭をザンギリにしいや言われて、素直に『ハイ、そうします』て答えられますか?」


「じょ、冗談やおまへん!」


 政太夫は慌てて首を振った。

 それも当然。髷を落としたザンギリ頭は非人の証なのであった。


 いつか日本がザンギリの国に征服されて、武士も町人も髷を落とす日が来るかもしれない。そのとき、最後まで抵抗する人間も出てくるだろう。

 しかし、心ではザンギリを嫌がっても、周りが次々とザンギリに変る中、その抵抗も空しく思えてくるのかもしれない。

 まさに清国で起きている現象だった。


 座長と政太夫は鄭成功たち明国の遺臣の気持ちだけはわかってくれたようで、神妙な顔つきになり私の昔語りの続きを聞こうとする。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 八丁堀近くの料亭では、結城源之将こと鄭大成が決して他言できない秘密を私に打ち明け、協力を求めてくる。

 乗りかかった船と、いや、流されるまま私は話を聞くことになってしまった。

 そして私は大成の口から最近の大陸の情勢も聞く。

 つまりは以前受け取った本の続き、鄭成功が亡くなったとされている後、大成が生まれた後から現在までの十数年の出来事についてである。


 鄭家率いる台湾勢は、東寧王国と称してはいたが、最後の旗頭・永暦帝が処刑された後もその元号を用い、未だ明の復活を目指している。本拠地は台湾に移したものの、大陸にも廈門アモイや沿岸諸島に兵を置いていた。

 永暦二十八年、清の康煕十三年――日本では延宝二年、後世「三藩の乱」と呼ばれるいくさが勃発する。

 ことの起こりは、清の入関時に功績のあった、明側からすると清に投降した三人の漢人武将、呉三桂、尚可喜、耿精忠がそれぞれ平西王、平南王、靖南王に封ぜられていたが、清国皇帝・康熙帝はその存在を疎ましく思っていたことである。

 平南王尚可喜が隠居と息子の藩王継承願いを清国朝廷に申請し、また、他の二藩が朝廷の出方を試すため撤藩伺いを申し出ると、清国朝廷はこれ幸いとばかりにあっさりと廃藩を決定する。


 これを境に三藩は清国に対して蜂起したわけだが、台湾・東寧国も呼応した。一番近い福建の靖南王と連携して各地を占領する。

 一時は長江以南が反清組織の勢力下に入り、清国を押していた。

 しかし、一時的な同盟では堅固なはずもなく、台湾の鄭経と靖南王・耿精忠の不和などもあり、次第に清国側が有利になる。


 永暦三十年、日本の延宝四年、耿精忠と平南王尚可喜の子、尚之信は清に降され、鄭経は廈門のみを堅守するのに精一杯の状態となる。

 残っている反清勢力は雲南にいる平西王・呉三桂だけで、これが最後の機会と判断した秘密組織・洪門、すなわち鄭成功は藁にもすがる思いで大成を日本に派遣したのだ。



「なるほど、それで大成が江戸に来たわけか」


「そうだ」


「ところで……」


 私はもう一つ気になっていたことを聞く。目線を下に、大成の膝で気持ちよさそうに寝ている少女に移した。


「春殿は一体……やはり明の者か? お主の子とはとても思えん。妹か?」


「そのようなものだ。いつの間にか船に乗り込んでおって、海に捨てるわけにもいかんから、そのまま連れてきてしまった」


 大成はお春の頭をなでながら、さも手がかかるというかのように言った。


「そうか……」


 とりあえず私は納得する。これでお春が漢文の本を書けたワケもわかった。それでもこの年齢でと驚嘆する。英雄の一族は優秀なものだと。



 大成が日本に来てからのことも大体教えてもらった。興味深いことばかりである。


 延宝四年というからついこの間、私が旅に出ようとしていたころだ。


 鄭成功からの密命を受けた大成は、今生の別れになるかもしれないと台湾にいる両親に挨拶をした。


「大成よ。父は面目なくて日本の地は踏めぬ。お前も本来ならば帰ることまかりならん。しかし、国姓爺の命ならば致し方あるまい。だが、武士の誇りは忘れてはならん。よいか、今後お前は『結城源之将』を名乗るがよい。父の名である」


「はい。拝領つかまつります」


「江戸に着いたら本所の結城家を訪ねてくれ。父は死んだとな。これを……」


 大成の父・結城源之将は、既に伸びきっていて漢人と変らなくなった髪を一房掴むと、刀を引き抜き、切り取った。そしてその刀と共に大成に渡す。


「我が父が、お前の日本の祖父殿が生きておられたら、きっと渡してくれ。そして親不孝を詫びてくれ。この父の替わりに」


「はっ、必ずや」


「頼んだぞ」


「はっ。では母上も。お達者で」


 こうして大成は十六、七の若さで両親と別れることになった。


 商船で長崎に着いた大成は密かに唐人街に入る。

 ここは南蛮の民と違い、割と自由なところである。何十年もかけて築き上げた鄭家の威光のおかげで、秘密組織・天地会の影響もあって大成の仕事はしやすかった。浪人の身なりに着替え、資金を調達する。そして現在の日本の情勢を聞き込んだ。


 お春が同行を強く希望したため、仕方なく男童の姿をさせ、連れて行くことに。


 途中、有力大名のところを訪れたが、はかばかしくなかったそうだ。

 そして、豊前小倉藩に立ち寄ったとき、意外な人物と遭遇したという。


「そこな牢人者。これへ」


「何でござろうか?」


 城に向かう途中、一軒の庵の前で呼び止めた者がいる。

 正体がばれたかと一瞬どきりとしたが、相手は老人。隠居した武士のようであった。


「武芸者か?」


「いかにも。武者修行のため諸国を旅しており申す」


 大成は話を合わせることに。


「なんとも懐かしき姿かな。子連れとは。よろしければ拙宅に立ち寄られい。茶など進ぜよう」


「では、御免仕る」


 この藩の情報も得られるだろうと、大成は招待に応じる。


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