第57話 謀は宵闇に

 柳沢様自らの見送り。その間わずかだったが、大成はあることを尋ねる。


「時に、これが本当の最後になるだろうからお尋ねするが……」


「何かな?」


「先代将軍の死因は?」


「……聞かぬが華、知らぬが仏と下世話にも申しますぞ」


「……なるほど。もっともでござる」


 それ以上二人とも言葉も無く、大成は柳沢邸を無事に出る。本当の最後に、大成が一言付け加えた。


「これからもご出世なされませ。貴殿ならできる気が致す」


「いや、これは滅相も無い……」


 後年、大成の言葉どおり、柳沢殿は綱吉公の御側御用人となり、将軍綱吉公の名の一字を拝領するほど、その権勢は老中をも越えるものであった。


 大成の勘は鋭いといわねばならぬ。もしかしたら、柳沢殿は先ほど返上した書状を畏れ多くも将軍様相手に取引材料として使ったのかもしれない。

 これは余談。


 門が閉められると、急に静かになった気がした。




《使っていないか……》


 大成は、先ほどの短い会話、先代将軍・家綱公の死因について考えていた。

 柳沢殿、或いはその主である当時の館林宰相様が甲府宰相様だけでなく、当時の将軍様まで毒殺したのではないかという疑念がある。


 だが、甲府様の死から四代様の死までは二年近くの開きがあった。

 もし館林様をもっと早く将軍職に就けたければ、その間隔は短くすることもできたはずである。

 毒を盛る機会が無かったといえばそれまでだが、次期将軍の順番が変った以上、おとなしく待ったほうが賢明だと、あの主従は判断したに違いない。


 が、これも『もし』の話になるが、もっと早く五代様の天下になっていて、大成の師父・陳永華の存命中、そして呉三桂の周国陥落前に日本からの援軍が手配できていたら、大陸の情勢はまったく違っていたかもしれない。

 大成はそう考えた。


 《いや、よそう。すべては終わったことだ……》


 小雪舞う夜道。明かりも無いが大成は一人黙々と歩き続けた。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「先生! 私はてっきり、犬公方と側用人が口封じに先生たちを亡き者にしようとしたんやないかと心配してたんでっけど……」


 政太夫が口を挟んできた。町育ちの若者らしく、物怖じしない言い方で。


「そないなことになってたら、私はとっくに死んでますがな」


「そらそうでっしゃろけど……もっとこう……」


 このくだりに政太夫は納得がいっていない、あるいは物足りないといった感じであった。

 わかる気がする。


「……犬公方やら側用人てのは悪モンの親玉でっしゃろ? なんや、拍子抜けいうか、がっかりですがな」


「……私に斬り合いでもしてほしかったんですか?」


「いやいや! とんでもない!」


「どアホ!」


 私の冗談に、必死に首と手を振る政太夫。そして堪りかねて政太夫の頭を小突く座長の姿が滑稽であった。

 私も夜遅く起きていたせいか、精神が高ぶっている。

 しかし、脱線し過ぎてはかなわないと、二人をなだめることに。


「まあまあ。私も冗談で言ったことです。座長はン、堪忍したって。政太夫はン、あんさんの言うこともようわかりますよって」


「わかってくれますか?」


「はい。確かに五代はンは怖い方でした」


 五代将軍綱吉公の治世は総じて悪政と思われている。代表的なのが一連の生類憐みの令の施行だった。

 世間から犬公方と陰口を叩かれることからもそれがわかる。

 しかし、ほんの数回だが直接顔を合わせた私は、命がまだあることも合わせて、どうしても憎めないのだ。


 そもそも悪政というよりは失政というべきだろう。

 館林藩の主従には兄君を亡き者にしてまで将軍になろうという強い意志があった。四代様のころ傾きかけた将軍の権威を立て直そうという意欲的で積極的な政策にも、その気持ちが溢れていると私は見る。

 ただ施行時期と運用方法に問題があったといわねばばらぬ。儒教的理想を追い求めすぎたといってもいい。


 なにより、敏腕官僚の堀田様が殿中で刃傷沙汰に遭い、命を落としてしまったことが言葉どおり致命的だった。

 人は堀田様が五代様の将軍就任に功があったため、それを疎んじた五代様の謀略で殺されたと噂するが、裏の真実を知っている私にはそうとは思えない。

 堀田様の死の前後で善政と悪政にきっちり分けられているのが証拠である。的確に政策を実行できる人間がいなくなっただけだ。


 まことに惜しい人物を亡くしたものだ。それもあまりにも早すぎた。

 失礼ながら、五代様も柳沢殿も、人となりはともかく、行政手腕に問題があったのは間違いない。


 が、それでも私たち、浄瑠璃や歌舞伎の世界は元禄のころ大いに文化面を発展させることができた。五代様のおかげといっても良い。


「なるほど……悪いお人やなかったいうことですか……」


「こうして私らが小屋をかけて浄瑠璃を語れるンも、ということでっか……」


 私の拙い政治に関わる説明で、何とか二人も納得してくれたようである。勿論この場だけで他言無用とは付け加えたが。


「断言はできませンけどな。少なくとも私はそう考えてます」


「はあ……」


 納得はしたが、興味はないといった表情である。時間ももう遅かった。




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