第58話 再会
硬い政治の話題はこれまでにして、大成の話に戻そう。
年が明けて天和四年。
二月には改元され貞享元年になったが、この年は私たちにとって忘れられぬ年になる。
「父上、大成はいつ戻るのじゃろ?」
「さあな。台湾も落ちたというから、まもなくだろう」
私を父と呼ぶのにもすっかり慣れたお春が、口癖のようになった質問をしてくる。
ここは大阪のとある町屋。
最近『近松門左衛門』と名を変えた私は、お春と二人で暮らしている。戯作を書いているため、ほとんど家から出ることは無い。
来たばかりのころはそれなりに怪しまれたりもしたものだが、最近は戯作者として名が売れてきたため、近所の目も気にならなくなる。月代も剃り、きちんとした身なりで日々を過ごしている。
逃亡者としては如何なものかとお春と二人苦笑していた。
大成について、大陸情勢については、正式なご公儀の発表はまだだったが、長崎屋を通じての天地会からの報告がお春の耳に届いていた。勿論私にも。
台湾が落ちたとあらば、大成の仕事もなくなる。そう私は見ている。無論、命がまだあればだが。
お春の前で口にできるはずもなく、また、私も私で、あの大成が死ぬなどとは露ほども思っていない。待つことしか私たちにはできないと、そのことをお春が話題にする度に言わなければならない毎日であった。
正月。松の内も過ぎたある日、訪問者があった。
「ご免。門左衛門殿のお宅はこちらかな?」
「大成!」
お春が二六時中思い焦がれていた人物であった。顔を見なくとも声でそうとわかる。
お春は表戸を勢いよく開け放つと、その人物に飛びついた。
まったく、若い娘がはしたない。
私はそう思ったが、自然笑顔になる。
「は、春か? 大きくなったな……」
大成がそう言うのも無理は無い。二人が別れてから足掛け七年経っていた。すっかり町屋に馴染んだ姿だ。もう振り分け髪などではなく、当節流行の勝山髷にきちんと結っている。浪人の娘らしく。
お春ももう十八歳。番茶も出花、という歳になる。加えて、流石は高貴な生まれ、何ともいえない品がある。実に美しく育ったものだ。
といっても、少し行き遅れだろう。
無論、事情が事情だけに安易に嫁がせるつもりはなかったが、不思議と縁談話も来なかった。漢人の血か、五尺二寸、いや三寸はある。私とほぼ同じ背丈だ。それが美しくとも世の男どもに敬遠される理由なのかもしれない。
だが、大成と並ぶと、見事な一幅の絵になる。
いつまでも眺めていたい気もしたが、ふと我に返る。
「ゴホン……結城殿。まずは入られよ。話はそれからだ。お春、いい加減にしないか。お天道様の下だぞ」
「……はーい、父上……」
「うむ。これは恐れ入る。ではご免」
幸い通りに人気は無く、私たちは安心して中に入った。
「義兄上。長いこと面倒をかけた。すまない」
狭いが座敷に案内し、座につくと大成は平素の口振りに戻る。相変らずでホッとした。
「いやなに。お主も無事で何より」
この場合、以前とは立場の違ったお春は私の隣に座り、大成と向かい合って話を聞こうという姿勢である。
生きて戻ってくれただけで良い。その気持ちが伝わってくるほど、無言で大成を見つめていた。
「義兄上に礼も言わねばならぬが、春。いや、永寧公主! この鄭大成、力及ばず、ついに明の復興は叶わなかった! この無能者を罰してくだされ!」
大成は畳に額を擦りつける。本気で謝っていた。
驚いたのはお春である。慌てていざり寄った。
「大成! 何を言う! 明などどうでもよい! わらわは大成がいれば、大成と一緒に居られればそれでよいのじゃ!」
お春はついに泣き出してしまった。
しゃべり方も、大阪に住まうようになってからは町言葉にもだいぶ慣れていたはずなのだが、もとの妙な武家言葉に戻ってしまっている。
「わ、わかった。泣くな、公主。いや、春麗……」
型どおり、明の使者としての立場で姫様に挨拶する大成であったが、お春の求めていた展開ではなかったらしい。すっかり様変わりしたお春に、さしもの大成もどう扱ってよいか戸惑いを隠せないようであった。
その点私は養父の演技が長く、習い性となるの古き教えどおり、今ではどこに行っても親子で通る。
「まあまあ。せっかく久方ぶりの対面だ。堅苦しい話は無しで、いつもどおり、旅の土産話ということで語って聞かせてくれ」
この年、三十の坂を越えていた私は、年長者として振舞う。
お春もようやく泣き止み、大成はさぞホッとしたことであろう。
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