第59話 大団円

 大成の長い話が始まった。


 私とお春は手に汗握りながら聞いている。大陸で昆明城が陥落したくだりや、台湾で奸臣どもに捕まり、牢に入れられたくだりにはハラハラさせられた。

 こうして大成本人が目の前に座っていても、思わず足がついているか確かめたりもしたものだ。


「……それでよくもまあ無事で……」


 私は驚くやら呆れるやら、まさに筆舌に尽くし難い。


「……すべては終わったことだ……ただ……」


「ただ、何だ?」


「ジジ様のことだ。結局置いてきてしまった……」


 鄭成功は、孫を逃がすため一人混乱の昆明城に残った。そして僧形になり、影から反清復明の活動を支える覚悟を決めたという。

 頭では理解していたが、納得できない。そんな感想を漏らす大成であった。


「……出家したというのであろう。ならば俗世の我々が口を出すべきではない。お主も今からお春を残して出家するつもりは無かろう」


「それはそうなのだが……」


 まだ納得できないという大成の表情に、お春は、また置いて行かれないだろうかと心配になったらしい。大成の腕にしがみついた。


「ゴホン……」


 七年前なら放っておけたが、妙齢の女が取る態度ではない。思わず咳払いする。私も娘を持った親の気持ちがわかるようになったものだ。


「ま、まあ、それはともかく、よかったではないか。これで晴れて両親たちと暮らせるのだから」


 私は話を変えた。

 大成と柳沢殿との取引、いや、柳沢殿の温情についてである。

 今後、殊更過去の謀議を口にしなければ、名前を変えて普通に暮らしていける。今の私たちにとって何よりの吉報であった。


「そんなことより大成、約束は覚えておるな?」


 せっかく話題を変えたというのに、お春はまだ大成の腕を取ったままである。

 流石に怒鳴るわけにもいかず、私はオロオロするばかりである。大成も同じようなものであった。


「や、約束?」


「嫁にすると言ったではないか!」


「あ、ああ……言ったな……確かに……」


 姫様ということは置いておいても、それなりの教育はしてきたつもりであった。これではまるっきり蓮っ葉な、莫連ではないか。


「お、お春。は、はしたないぞ……」


「信盛は黙っておれ!」


 とうとう父上から呼び捨てに戻ってしまった。七年前の情景がまざまざと思い浮かぶ。


「大成! 嫁にするのかしないのか! どっちじゃ!」


 ここまで来ると、はしたないというよりは勇ましい。どちらにしろ妙齢の女に使う言葉ではなかったが。

 大成も観念する。


「わ、わかった。する。嫁にする……」


「よし! それでよい。あー、これで一安心じゃ。ん? どうした? 父上も大成も、口が開いたままだぞ」


 私も大成も二の句が告げなかった。

 部屋の外はよい天気である。春も近いはずだ。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 




「……これでお仕舞いです。長々とつきあわせましたなあ……」


 大阪道頓堀の茶屋の二階では、私、近松門左衛門による人形浄瑠璃『国性爺合戦』で、初代義太夫の後継者である竹本政太夫が見事大評判を取ったことに端を発する、国姓爺にまつわる昔語りが夜を徹してなされていた。


 時刻はまもなく明け六つ。冬のことで辺りはまだ暗いが朝になっている。

 昔語りの語り手は私。

 聞き手は竹本座座長の竹田出雲と政太夫の二人きりである。

 初夜から始められた長い長い話だったが、合戦あり、陰謀ありで二人とも興奮が抑えきれぬようであった。つい最後まで語ってしまう。


 若き日の講釈師の気分をこの歳になって再び味わうことができた。二人に感謝しなければならない。


 話は終わったのだが、二人は興奮冷めやらぬようで、さらに詳しくと質問をぶつけてきた。

 この分ではお天道様が上ってしまう。


「先生。その後鄭成功はどうなったんですか?」


「二人は夫婦になったンでっか?」


「長崎の大成はンの両親は?」


 こんな調子で、うまくまとめたと思っていた私の昔語りも追加を余儀なくされる。仕方ないことだ。


「まあまあ。そう興奮せんと……」


 私は手を上げて二人をなだめる。二人は渋々と腰を下ろした。


「……そやなあ。鄭成功はンについては結城はン、大成はンもその後はわからないようです。歳からいって今も生きているかは難しいでしょうなあ」


「そ、その大成はンは姫さンとどうなったんでっか? やっぱり浄瑠璃の通り唐の国へ帰ったんで?」


「はい。とりあえず大成はンと長崎に戻りました。お父上とお母上がおりましたからな」


「そ、それで?」


「それで、お二人は約束どおり夫婦になりまして、名を変え、紅屋を営み、お子も四人も授かったそうです……」


「べ、紅屋……」


「はい。紅屋です」


「おとんが六尺の大男で、おかんがお春って名の大女、それで紅屋で子が四人て……まんまウチやないですか!」


「はい。ああ、やはり政太夫はン、聞いてなかったンですな。この話はあんさンのお父はンの太助はンから聞いたモンです。帰ったら聞いてみなはれ。太助はンの二の腕には『清明』の彫りモンがありますよって……」


 政太夫は私の話を最後まで聞かずに部屋を飛び出していった。座長に挨拶もせずに。

 その座長もポカンとした表情をしていた。


「せ、先生……い、今の話、ほ、ホンマですか?」


「何が?」


「な、何がて、長四郎の両親が、先生の話の、大成はンと姫さンて……ほなら、長四郎、明の皇帝の曾孫……」


「ウソや」


「は?」


 座長、さらに目を丸くする。


「最後のはウソや。ちょっと名前を借りただけです」


「な、なんや。ウソかいな。いややなあ。先生もお人が悪い」


「ホッホッホッホ」


 まさかと思ったのだろう。座長は心から安堵した表情であった。

 既に夜が明けている。六十の身に徹夜は流石にきつい。そろそろ宴もお開きにして帰って寝ることにしよう。


「……長四郎はン、太助はンに怒られないといいんですが……」


「まあ、親子ですさかい、大丈夫でっしゃろ」


 飛び出していった若者を少し気にかけ、座長と私は茶屋を後にした。

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