第60話 昔話の後日譚

 後日。


「先生! 酷いですがな! これ見てや! あ……いや、もうおまへんけど、大きゅうコブができましたンでっせ!」


「ほう、コブ? どうしました?」


 二日後、竹本座に来た政太夫が私の顔を見るなり苦情を申し立ててきた。


「あの日先生に、ウチのおとんたちが明の偉い人や聞いて、帰って聞いてみたら、『何朝っぱらからアホぬかす!』て、思いっきり拳固されましたがな」


「ホッホッホッホ。堪忍、堪忍。ちょっとからかっただけですがな」


「ちょっとて、酷いわ……まあ、私も安心しましたから、ウソでよかったですけど」


 亡国の姫様と英雄の血を引く、などというのは、この若者にとって迷惑でしかないのだろう。政太夫は、父親に殴られたという頭を摩って笑っていた。


「すぐにウソや言おうとしましたのに、アンタがいきなり飛び出していくさかい、私も座長もどうしよかて困りましたがな」


「へ? 座長もウソって知っとるんでっか?」


「当たり前や。オチは最後まで聞かなアカンで。それが私らの生業やろが」


「まあ、そうでっしゃろけど、いきなりウチの話になるとは思いまへんがな」


 私は、先日の昔話の落としどころをウソということで終わりにしたかった。芸人の心得みたいなことを言ってその場を取り繕う。

 政太夫は当然の抗議をしてくる。

 この反応なら問題はないだろう。


「まあ、そんなことより、今日から『国性爺合戦』、評判がよかったんで急遽再演が決まりましたンでっせ。気合入れんとあきまへんで」


「へえ。わかってますがな」


 そう自信たっぷりに言った政太夫は、やはり頭を摩りながら楽屋に戻った。


 私は桟敷に降りる。

 今日は客席から政太夫の出来を見るつもりだ。


 しばらくして続々と客が入ってくる。入りは上々である。ありがたいことだ。来年もこの調子で頼みたい。


「……鬼が笑うか……」


 前座のあと、政太夫が登場する予定だ。観客は心待ちにしているようである。


「おい、余計なことを言ってくれたな……」


 不意に私に声をかける者が現れる。

 いや、私には誰かわかっていた。席は私が用意していたものである。


 その男はドカリと大きな身体で私の隣に座った。


「フフフ。私もいい歳ですからな。お迎えが来る前に誰かに話しておきたかったんです」


「冗談じゃねえ。夜も明けきってねえっていうのに、たたき起こされて腕見せろだ。今更何だってんだ」


 その男は右腕をまくって見せた。見事な彫り物。世にいう倶梨伽羅紋紋、背中一面安倍晴明の肖像が描かれているのを私は知っている。


「長四郎はンもそのことを忘れるほどビックリしてたんでしょうなあ。物心ついたころから見てるいうのに。それにしても、いつ見ても見事なモンですな」


「先生が木を隠すには森とか言ったんじゃないか」


「フフフ。そうでしたな。ちょうど元禄のころに彫り物が流行りましたから、もってこいでした。焼いて消すなんて乱暴なことをしなくても。文字も利用できましたし。まあ、『安倍清明』になってしまったのは御愛嬌で」


「おかげで『四字』が隠せた。『死字』にならなくて済んだぜ。義兄上には感謝してる」


「おいおい、また『兄上』かい……ところで『シジ』いうんは何だね?」


「ああ、何か懐かしくなってな……天地会の印だってことは知ってるな。清の犬どもにバレたらそれだけで首が飛ぶ。だから『死字』だ」


「ああ。しかし、物騒な世界に首を突っ込んでしまったんですな、私は……」


「縁があったんだな」


「……縁……そうですなあ……あんさんと出会ってなかったら、私は講釈師のままで一生を終えてたかもしれませんなあ。戯作はしてなかったやも……」


「天下の近松門左衛門が何を気弱な……」


 先日の昔語りといい、懐かしき義兄弟との対面といい、今日も四十年前のことを鮮明に思い出すのであった。


「大成はン……おっと、つい口が……」


 懐かしさのあまり、本来呼んではならない名前を出してしまった。先日昔語りで連呼した影響であろうか。

 私は思わずあたりを見回してしまった。

 政太夫はいないだろうが、座長に聞かれたら面倒なことになる。


 幸い、座長の姿も見えず、周りの客は前座の人形浄瑠璃に見入っているようで、私はホッとする。

 隣の彫り物を背負った大男も鷹揚に構えていた。


「かまわねえよ。春もたまに口にする。いまさらどうってことはない」


「……それでよく長四郎はンにバレませんでしたな……ところで太助はン、お春はンは元気ですか? しばらく顔を見てませんが」


「ああ。父上によろしくだとよ」


「……ふふ。父上か……何もかも懐かしいですな……」


「何言ってんだ。コッチは孫に商売に大忙しだ。昔を懐かしんでる暇なんぞないわ」


「孫か……そんな歳になったんやな……」


「ああ。いつまでも姫様じゃいられないってことだ」


 その言葉を境に、私たちはしばし無言になった。

 前座が終わろうとしている。


「……太助はン。そろそろ長四郎はンの出番でっせ」


 私はこの人物との昔話を打ち切り、舞台正面に目を向けた。


「……息子はンの語る『国性爺合戦』、ホンマのことやありませンけど、聞いておあげ。まだ聞きに来たことがないんやろ?」


「……忙しくてな……」


「またそないなことを。お春はンも連れてくればよかったのに……」


「ガキのすることに、いちいち親が見に来れるか!」


「……頑固になったもンや……」


 前座が終わり、ついに竹本政太夫の浄瑠璃語りが始まる。

 万雷の如き喝采が小屋の中に沸き起こった。


 《春になったら、三人で花見に行こうか。また昔話に花を咲かせよう……》


 口では嫌がりながらも、真剣な表情で息子の浄瑠璃を聞く隣の男に苦笑しながら、私はそんなことを考えていた。

 平和であった。ことなく生き来し、という心境になる。


 政太夫の浄瑠璃語りは続くが、私の昔語りはこれで一巻の終わりと致しましょう。




 了

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門左衛門は斯く語りき~人形浄瑠璃秘話~ 樹洞歌 @juurouta

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