第21話 浜御殿再び

 仰天の出来事から数日後、相も変わらず私は講釈に忙しかった。今は浅草と芝を回っている。


 その日芝に到着してすぐ同心のほうの結城殿に出くわす。


 乞胸頭の心配していたとおりに、私を良いカモと見ているらしく、袂をこれ見よがしに振りながら近寄ってきた。


 私は仕方なしに、仁太夫殿から言われたとおり、小銭を用意する。


 同心・結城が何か金額のことで文句を付けようとしたとき、目の前に駕籠が止まった。庶民が使うモッコ籠でも町駕籠でもない。大名駕籠だ。お連れの侍もズラリと並んでいる。


 言葉の出ない同心の結城殿が目をぱちくりさせていると、駕籠の戸が開く。


「甲府藩江戸家老、飯沼主膳じゃ。付いて参れ」


「はっ、それがしがでござるか?」


 答えたのは同心の結城殿。

 この場にいて大身の武士から声をかけられるのは自分しかいないと思ったのは至極当然だったろう。


 しかし、事実は違う。


「不浄役人に用はない。そこな講釈師じゃ」


「は?」


 私は、駕籠が見えたときから、おそらくそうではないかと思っていたので、慌てず荷物をまとめ、ついでに同心の袂に小銭を放り込むと、何も言わずに駕籠に近寄る。


 駕籠はすぐに出立した。私は同心・結城に一礼して後ろに従う。


 同心の結城殿は呆然と眺めていた。

 それまで同心の後ろに隠れていた目明しが不安そうに同心の袖を引っ張る。


「旦那、あのサンピン、あ、いや、あのご浪人さん、さわらねえほうが……」


「あ、ああ……源之将といい、アイツといい、何なんだ……」


 そんなことは露知らず、私はこの間の浜屋敷に到着する。

 庭に回されると、驚いたことに、畳が用意されていた。酒の膳まで。


 恐れ入った私は、地べたに座り込み、甲府さまのお出ましを待つ。


「甲府宰相さまぁの~、おなぁりぃぃ」


 さあ、お出ましだ。私は平伏する。


「よい。面を上げよ。席を賜る」


「もったいないお言葉。しかし、私はここに入れただけで身に余る幸せにございます。どうかその儀は……」


「うむ。殊勝な心根じゃ。褒めて遣わす。それ、座に参れ」


「うおっほん! 宰相様の仰せじゃ。従うがよい」


「は、ははーっ!」


 ご家老さまにまで言われては否やはない。

 私は震える身体を引きずり、青々とした畳の上に膝を乗せた。


 《こんなことになるなら新しい袴を買うのだった……》


 後悔先に立たずというが、私はビクビクするばかりである。


「では……そなた、名は何と言ったかのう?」


「ははっ! 杉森信盛にございます!」


「ほう、モリが二つとは面白い。気に入った。杯を取らす」


「ははっ!」


 こうなれば、言うとおりにするしかない。

 ご家来衆が無言で高価そうな朱塗りの杯を差し出してくる。

 震える手で受け取ると、高々と掲げた。

 酒が注がれ、私は目を閉じて飲み干す。

 おそらくは素浪人の、乞胸の私が飲んだことも無いような上等の、灘の生一本の類の下り酒であろうが、とても味などわかる状況ではない。


 だが、宰相様はそんな私の様子に満足していたようであった。


「よい酒量じゃ。おお、そうじゃ。紹介しておこう。これは算学の学者で、関じゃ」


「関新介にござる。なにやら面白き話が聞けるとお聞きいたし、宰相様にねだってまかりこし申した。良しなにお頼み申す」


「ははーっ!」


 私は杯を両手で持ったまま頭を下げた。さぞおかしな格好だったことであろう。

 甲府宰相様は笑いを堪えるように、講釈の開始を促した。

 私はやっと自分らしさが取り戻せると、急いで支度する。


「本日語りますは、水滸伝。宋の時代に、一度は朝廷に背を向けた豪傑たちが、最後は朝廷のため奮戦いたす物語であります……」


 私は、特に朝廷に帰順したという点を強調して話し始める。


 いくら物語といえど、幕府要人の前で朝廷に逆らう話などはできない。

 前半部分はなるべく柔らかく、短く紹介した。


 さて後半部分。宋江が朝廷の招安に応じるところから本番である。

 私は朝廷のためと、何度も繰り返し、遼国や反乱分子との激闘を語った。そして梁山泊の全滅の前で締める。


「……さて続きは如何に。次回をお聞きあれ」


 以上でございますと、平伏する。


「あっぱれ! 褒美を取らす」


「ははーっ!」


「主膳」


「はっ」


「杉森とやら、面を上げよ。今回は些少である。安心して受け取るがよい」


「ははーっ!」


 見ると、確かに三宝に乗っているのは小判が一枚のみ。

 講釈のおひねりとしては法外だったが、何十両ではないので、確かにホッとする。恭しく押し頂くことに。


「杉森殿。非常に興味深うござった。次も是非お聞かせ願いたい」


 関様からもお褒めの言葉をいただく。


「ははっ、ありがたき幸せにございまする」


「宰相様。次は友人の国学者も同席させてよろしいでございまするか?」


「よいよい。ならば余も歴史の学者を呼ぼうかの」


「それは良きお考えで……」


 なにやら頭上では話が大きくなっている。私は冷や汗の掻きとおしだった。


 甲府宰相様がお席を立った後、私はご家来衆にご家老へのお目通りを頼む。


 素浪人が何を、という目で見られたが、先日の五十両という大金についてだと言うと、案外すんなり聞いてくれた。


「何じゃ? 話とは」


 しばらく待つと、先ほどの座敷の上から声がかかる。

 私は平伏して事情を、心情を語った。とてもあの金額は身に余ると。


「何じゃ、気の小さい。それに、宰相様が一度出した物を返せと言うと思うのか!」


「し、しかし……」


「それに、そなた武家の出であろう。もう少しまともな格好はできんのか? あの金子で購うがよい」


「しかし、今は乞胸の身。武士とは名乗れませぬ」


「ここに来る方便じゃ。かまわぬ」


「ははっ。……で、ではあの大枚五十両はありがたくいただきまするが、仲間に分けてもよろしいでございましょうか?」


「ふむ。どこまでも小心な男じゃ。好きにするがよい」


「ははっ。ありがとうございます」


「では、後日迎えに行く」


「わかり申した。では、これにて失礼致します」


 懸念していた件が解決し、私はこの前と違って堂々と門を出る。


 夕焼けに染まった街が美しい気がした。


 その後、非人頭と乞胸頭に事情を話し、それぞれ二十五両を非人や他の芸人たちに分けてもらうことに。

 二人とも呆れていた。


 まともな武士らしい着物を着ることについては異議があったようだが、武家屋敷内だけなら誰も口出しできないと、結局は認めてもらえることになる。




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