第20話 褒美

 顔を上げたはいいが、余計に緊張する中で、いきなり質問された。

 すぐには声が出ない。


「演目を答ええよとのご下問である! とく答えぬか!」


「はっ。三国志、水滸伝、十八史略などがございます」


 家老に叱咤され、私は慌てて答えた。


「ほう、三国志。そのほうなかなか学があるとみえるな」


「滅相もありませぬ!」


「では早速始めよ」


「は?」


「ええい! 講釈とやらをお聞かせ申せと言っておられる! はよういたさぬか!」


「ははーっ!」


 私は家老の剣幕に再び平伏してしまう。


「これ主膳。そう大声を出すでない。一向に話が進まぬではないか」


「はっ! これはしたり。申し訳ございませぬ。これ、そのほうも顔を上げて講釈をいたさぬか」


「ははーっ。で、ではご無礼して……」


 私は震える手で、持参してきた風呂敷を広げる。

 いつもは立ったまま講釈を打っているが、今日はそうもいかないので、手書きの講釈本を地面に置くと、心持ち膝の間隔を広げ、重心を少し後ろに、背筋をピンと伸ばして右手に扇子を握った。


「で、では、時代の順に。三国志から、孔明出師の表の段を……」


「諸葛亮か。存じておる」


「で、では始めまする。とっ、時は千と四百年余り前、三国に分かれた漢の国、その一つ景帝末孫と称する劉備が建てた国・蜀漢は自ら正統を名乗っておりました……」


 私は緊張で声がかすれそうだったが、何とか半刻かけて一番の盛り上がりどころ、五丈原まで話を終わらせる。


 その間甲府宰相様はジッと耳を傾けていたようであった。

 こちらは気が気ではなかったが。


「……この後如何になりますか。次回をお聞きあれ」


 お決まりの台詞で締めにする。

 そして深々と頭を下げた。


 さて、反応はどうか。お気に召さず、お手討ちということにでもなれば正に一巻の終わりだ。




「うむ。評判だけのことはある。褒美を取らせよ。主膳」


「はっ。これに持て」


 幸いお手討ちは避けられた。

 が、褒美とは思いもよらない展開になる。


 ご家老の指示で誰かが私の目の前に三宝を置いた。


 ちらりと目をやって驚く。


「こっ、これは……」


「ん? 些少に過ぎたか?」


「と、とんでもございませぬ! 過分に過ぎます! とてもいただけませぬ!」


 三宝には切り餅が二つ置かれていた。

 五十両である。


「そのほう! 宰相さまのご意思を無下に致す気か!」


 金子の多寡より、この家老にとっては主の言葉のほうが大事のようであった。

 私は恐れ入るしかない。


「めっ、滅相もございませぬ! ありがたく頂戴致しまする!」


 震える手で三宝から金子を押し頂く。

 ずっしりと重かった。

 そして、更に思いもよらぬお言葉も受け賜る。


「では、次も期待しておるぞ。主膳を迎えに遣す。主膳、そのように計らうがよい」


「ははーっ」


 私は呆然とした。

 今回で終わりではないというのか。


 甲府宰相様が席を立つのを平伏して見送った後、家臣たちに門の外に送られるまで私は放心して歩いていたらしい。


 門の外でハッと我に返る。

 懐にずっしりとした感覚があった。


 首にも手を当てる。

 つながっていた。夢ではないようである。


 私は暗くなり始めた江戸の街を浅草に向かって急いだ。


 向かったのは、何か事がある度に非人屋敷である。

 途中乞胸頭の仁太夫も半ば無理矢理引っ張っていった。


「くっ、車様!」


「なんでえ、騒がしいな……」


「のんきなことを言っている場合ではありません! こっ、これを!」


「なんだ? 切り餅が二つ? 五十両じゃねえか。どうしたい? 押し込みでもしたのか?」


「冗談を言っている場合ではありません! じっ、実は……」


 私は先ほどあった出来事を事細かに説明する。

 仁太夫も善七も信じられないといった面持ちであった。


「……夢でも見てたんじゃねえか?」


「この五十両はどう説明するんですか!」


「そりゃそうか。だとしたら……おめえ、すげえ金ヅル掴んだな」


「吉さん、よかったじゃねえか」


「何をのんきな。これから如何いたせばよいか……」


「如何って、そりゃ講釈師なんだ。講釈するのが稼業だろ」


「しかし……」


「まあ、気持ちはわかるがな。大身の連中はお忍びで見世モンに来るこたぁあるが、呼ばれるってのは聞いたことがねえからな」


「車様……」


「そんな目で見ねえでくれ。俺は非人の頭で、奉行所くれえなら顔も利くが、お大名の、それも上様の弟様相手じゃ、逆立ちしても相手にならねえ。長吏頭の弾左衛門でもどうだかな……」


 弾左衛門。

 長吏頭とは全国の非人を一手に取り仕切るお役目で、車善七が江戸の非人のみ管理するのとはその桁が違う。屋敷にしても、ここは正式には非人小屋というのだが、弾左衛門の屋敷は正に大名屋敷並みだという。

 そんな人物が出張っても無理かもしれない。

 いや、どだい私のような浪人崩れの、一介の芸人のために動くはずはない。それはこの二人のお頭も同じだ。


 心配させるだけ無駄なことだと思い直し、また申し訳なく思った。


「車様、仁太夫殿。無理を申しました。何かあったときは自分で責任は負います」


「お、おお。そうかい……」


「な、なに、吉さんならきっと気に入られるに違えねえ」


「はい。なんとかお手打ちにならないようにします」


「おいおい、縁起でもねえな」


 二人と話して、いい思案は出なかったものの、かなり気が楽になった。もう一つの気がかりな話題に移る。


「ところで、この金子、如何致しましょう……」


「うーむ……」


 三人の目の前にある切り餅二つが異様な雰囲気を漂わせている。


「さすがに俺も封を切る気にゃなれんな……」


 貰った物だからハイそうですかと使うのに抵抗があるのだ。


「預かってはもらえないでしょうか?」


「ふん。おめえの長屋じゃ置いとくのもアレだしな……よし、しばらくは俺が預かろう。使うも突っ返すも、決まったら返ぇしてやる」


「お願いできますか」


「しゃあねえだろ」


「ありがとうございます」


 これで一応落着する。

 後はこの次甲府宰相様に呼ばれたときに取り乱したりしないように覚悟を決めるだけであった。




 

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