第19話 甲府宰相


 


 芝で講釈を始めて十日ほどになる。そろそろ新ネタの『明末忠臣一代記』も佳境に入った。


 さて今日も一仕事と、幟を立てかけたとき、私は武士の一団に囲まれてしまう。

 既に集まっていた馴染みの観客たちは、巻き添えを恐れて散ってしまった。


「お、お武家様方、当方に何用でございましょうか……」


「そこの素浪人、同行してもらおうか」


 この武士の集団、私を武家の出と認めた上で話している。

 しかし、そんなことは全く関係なかった。芸人に身を落としている私に否やはない。


 屈強な武士たちに囲まれながら東に向かって歩かされた。

 この先は海である。奉行所なら北の方角だ。言い知れぬ不安がよぎる。


 そもそも、この一団は奉行所の捕り方とは思えない。

 非人頭や同心への根回しは済んでいるはずなのだが……


 一町ほどで着いたのは、海がすぐそばの大きな屋敷。大大名のものであろうということだけはわかる。

 後で知ったことだが、そこは畏れ多くも当代将軍家綱公の弟君・甲府宰相綱重公の、甲府藩上屋敷、通称『浜御殿』であった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「へーっ! 公方はンの弟はン! どえらいところに連れてかれましたな!」


「はい。私も生きた心地がしまへンでした」


 ここは大阪道頓堀。昔語りをしているところである。


 三十何年経った今でもあのときのことを考えると身震いが起こるようだ。


「で? どうなったんでっか? お手討ちにはなりまへんでしたか?」


「アホウ! 先生がこうして目の前におるやろ! 何言うてけつかる!」


「あう……すんまへん……」


 政太夫のトンチキな発言に、隣に座っていた座長がポカリと小突く。

 頭をさする政太夫を見ながら私はつい笑ってしまった。


「まあまあ座長はン。いいやないか。それだけ私の話に夢中いうことや。ありがたいことやで」


「へえ、そんなモンでっか?」


「すんまへん。おおきに……」


「しかし先生。そないな雲の上のお人と知り合いやなんて、聞いたことおまへんで」


「別に知り合いやないがな」


「ああ、それで犬公方はンとも知り合いなんでっか」


「そやから知り合いなんてモンではありまへんいうに」


 この二人にかかっては、どんな大事でも些細なことに思えてしまう。


「で、その甲府サイショウゆうんはどんなお人なんでっか?」


「甲府さまは四代様の弟君で、五代様の兄君に当たりなさる。話のわかるお方やったで」


「へ~。ん? 犬公方はンの兄はンゆうんなら、そンお人も公方はンになりはるンと違いまっか?」


「うん、それはやな……」


 私は口を濁してしまった。


 話すつもりはあるが、このような形では口にしづらかった。昔語りに混ぜてそれとなく話すほうが気が楽なのである。


「……まあ、話を聞いてや。じきにわかりますさかい」


「へえ。ほんなら……」


 二人もわかってくれたようなので、私は昔語りを続けることにする。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 大きな門を、おそらくいくつもある中の一つで、私のような者が通されるとすれば裏門だろうが、それでも大きいとしかいえない門をくぐり、当然お館の中ではなく、建物の脇を何軒か通り抜け、到着したのは白い砂の敷かれた大きな庭。

 私は見たことはないが、お奉行所の白州とはこんなところかと考えると、余計に緊張が募る。縛られているわけでもなかったが、身体が強張った。


「そこに直っておれ」


「はい……」


 私は言われたとおり地べたに跪いた。


 しばらくそのまま時間が経過する。そばに立っている武士たちは無言であった。何か聞ける雰囲気ではない。


「甲府宰相さまぁの~、おなぁ~りぃぃ!」


 その声に驚いた私は、とっさに平伏する。

 そして二度驚いた。その声の言う、この屋敷の主は、私でも知っている次期将軍と目されている人物ではないか。

 平伏したまま私の身体は固まってしまったかのようであった。


「……そのほうか? 近頃この近くで講釈とか申す怪しげな所業をなす者は?」


「は、ははーっ!」


 しゃがれた声がかけられたが、その声が誰のものか、顔を伏している私にはわからなかった。

 上様の弟君ともあろう者が浪人崩れの芸人風情に直に声をかけるとも思われないので、おそらくは用人か誰かであろうと緊張しながら推測する。


「面を上げよ」


 先ほどのしゃがれ声とは違う、少し甲高い声が聞こえた。


 顔を上げろと言われても身体が言うことを聞かない。

 私は平伏したままで声を出すこともできなかった。


「殿! このような下賎の者にお声をかけあそばしてはなりませぬ!」


「かまわぬ。これから話を聞くのに不都合であろう。そういたせ。余の命であるぞ」


「ハッ! 出すぎたことを申しました。平にご容赦を。これ、そのほう! 面を上げぬか! これは宰相様のご命令であるぞ!」


「ははーっ!」


 そうは言われても、私もどうしたらいいかわからない。

 這い蹲ったまま返事だけはする。


「そんなに硬くなるでない。余もそなたの講釈とやらが聞きたいだけじゃ。評判だそうじゃの。唐物講釈が」


「ははーっ。おそれいりたてまつりまする!」


 これは驚いた。

 こんな雲の上のお人が私の講釈を聞きたがるとは。

 それにかけてくる声も穏やかである。

 少し心が落ち着いた。


「では面を上げよ。話にならぬ」


「ははっ!」


 私は恐る恐る顔を上げた。

 といっても直にお顔を拝見する度胸などない。目は伏せたままであった。


 しかとはわからなかったが、一段高い座敷には二人いる。

 御歳三十五と聞いているので真ん中の、線が細いほうが甲府様であろうと見当をつけた。お側の肩衣をつけた初老のお方は家老か何かか。


「唐物の講釈にはどのようなものがあるのか?」


「は?」


 直答は許されたが心の準備がまだ整っていないうちに質問されたため、変な声が出てしまった。お手打ちにならなければよいのだが……

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