第18話 芝にて

 芝での講釈も少しは慣れたころ、同心に絡まれた。

 そう、絡まれたとしか思えない。何より武士らしくない口調、いくら同心が武士としての身分が低いといってもあんまりではなかろうか。非人頭たちよりもヒドイ気がする。


 が、この同心にしてみれば、気が利かないのは私のほうらしい。

 さらに不快感をあらわにして話を続けた。


「チッ。あのなあ、バイは俺の管轄じゃねえがよ、もし地回りがバイの邪魔しに来たらどうする? 町人と揉め事起こしたらどうする気なんだ?」


「はあ、そのときは……」


 私が、乞胸頭に相談するつもりだ、と言いかけたそのとき、舌打ちが癖にでもなっているこの同心の後ろで、盛んに目配せする目明しの存在に気がついた。

 声を出さずに身振り手振りで私に何かを訴えようとしている。


 《なんだ? 袖に手を入れて……あっ!》


 やっとあることに気が付いた。


「こ、これは御見それしいたしました。生まれつき気の回らぬほうで、失礼いたしました」


 急いで胴巻きから銭を取り出す。

 一分金二枚。二千文だ。


 袖の下など聞いたことはあるが実際にするのは初めてであり、相場などは皆目検討が付かない。帰ってから仁太夫たちにでも聞いてみようと考えながら懐紙に包んで、さっきから突き出している同心の袂に入れた。

 とたんに舌打ちはなくなる。


「うむ。何だな。いい心がけだ。何かあったら北町の結城の名を出してよいぞ」


「え? ゆ、結城様……」


 聞き覚えのある名前に一瞬ドキリとする。まさかこの同心が件のお知り合いとやらだろうか。

 そういえば、歳、背格好は私と同じぐらいで、高からず低からずだが、よく見ると顔立ちは似ている気がする。


 だが、私の講釈を聞きに来たようではない。私が気づかなかっただけで、あからさまに賄賂を要求しに来ただけではないか。

 金子なら結城何某殿に払うと申し出たのに断られた。何もこんな回りくどいやり方で徴収する必要はない。


 であれば、この同心は何者だろう。そう思うと、私はつい口に出してしまった。


「あの……」


「ん? なんでえ?」


「結城さまと言われたが、卒爾ながらお尋ねいたします。結城源之将殿という御仁をご存知でしょうか?」


「なに!」 


 同心は少なからず驚いたようであった。知っているのは間違いない。私は相手の言葉をじっと待つ。


「……あ、そうか。なるほどな。おめえが杉森ナントヤラか」


 なんと、初対面のはずの同心が私の素性を知っている。

 一瞬驚いたが、すぐにあることを思い出し、改めて名乗ることにした。


「い、如何にも。杉森吉次郎信盛にございます」


「チッ、ケツまで名乗ってんじゃねえよ」


「やはりご存知なのでございますね」


「チッ、ああ、そうだよ。やつぁ本家の総領だ。家督は俺が継いでるがな」


「総領……」


「チッ、てこたあ、アイツにやらされてんのか……」


「いえ、とんでもない。一方ならぬお世話になっております。やらされているなどというのでは……」


「チッ、何企んでやがる……」


 どうやら分家であるらしいこの同心とは折り合いが悪いらしい。盛んに舌打ちが繰り返される。


「旦那、そろそろ……」


「チッ、いくぞ! おい、ヤツが何かしでかしたらすぐに報告しろよ」


「はい……承知しました……」


 目的の袖の下は取ったのだからと、目明しが先を急がせる。

 私は、恩人である謎の御仁・結城源之将の正体の一端を垣間見たものの、ますますわけがわからなくなり、呆然と二人を見送った。


 その夜、早速乞胸頭・仁太夫のもとを訪ねる。

 非人屋敷ほどではないが、そこそこ大きな小屋である。宿のない芸人たちもたむろしているので当然といえば当然なのか。実際私も今の長屋に移る前にはそこで世話になっていた。


「二分!」


 私の報告に仁太夫は驚いていた。


「あの、何か粗相でもいたしましたでしょうか」


「吉さん、二分はやりすぎだぜ。いくらなんでも」


 どうやら袖の下にも相場というものがあるらしかった。


「はあ。知らなかったもので……以後気をつけます。で、相場は如何ほどで?」


「ん? ああ、二分なんて商家の大店ぐらいだ。俺たち芸人や小商いの連中は十文かそこらでたくさんだ。何かあったときでも、一朱出せば御の字よ」


「わかりました。今後はそういたします」


「しかしだ、吉さん。これから大変だぜ」


「何がでございますか?」


「何って、その八丁堀、味を占めてまた来るぜ。この前より少ねえとかいって、毎度二分せしめるかもしれねえ」


 面倒見のいいこの乞胸頭は本気で心配してくれているようだった。だが、私は平然としたものである。


「おそらく大丈夫でしょう」


「何故わかる」


「その同心、実は結城殿のお身内でございました」


「ほう。てこたあ、俺んトコに吉さんのコト聞きに来たのはその八丁堀か」


「おそらくは」


「そうかい。ならでえじょうぶだろ」


「はい。それに、結城殿には講釈の上がりを差し上げるつもりでしたから、同じことです」


「吉さん、相変わらず金に頓着がねえな」


「はい。座って半畳、寝て一畳。でございます」


「そうだな。そうするってえと、俺たちみたいなのが一番ってことだな」


「さよう心得ております」


 気が合う二人は声を上げて笑った。始めは苦労したが、今ではこの生活も馴染み、楽しくなってきたほどである。



 

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