第17話 浅草から芝へ

 明に関しての講釈『明末忠臣一代記』を始めて三日後、私は非人屋敷を訪れていた。既に乞胸頭にもその旨は伝えてある。


「なに? 芝でやりてえだと?」


「はい。如何でしょうか?」


 芸人にも縄張りというものがある。というより、芸人になって一年も経たない私は、これまで漠然と浅草界隈でしか幟を立てたことがない。

 つまり、詳しくは知らないのだ。

 よってお伺いを立てに来たわけであるが、無論場所換えする理由はある。


 新しい講釈の初日、前触れも無く結城殿がやってきた。

 もう四度目のことで、今更褒め言葉も無いだろうと、不審に思ったのだが、やはり褒め言葉などではなかったのだ。


 これからは芝のほうででも講釈を頼みたいということであった。


「なんでえ、藪から棒に」


「それが、結城殿に頼まれまして……」


「結城? ああ、おめえがネタもらってるサンピンか」


「はい。なんでも、お知り合いが芝のほうにお住まいで、是非聞かせてやりたいが、浅草までは不便だと」


「そりゃあ、あの辺は武家屋敷が多いからな」


「それで、如何でしょうか?」


「ん? ああ、武家屋敷の近くじゃなけりゃかまわんぜ。品川まで行かれたらちょいと面倒だが」


 話には聞いている。

 非人頭は一人ではない。この車善七が実質的な江戸の頭といっていいが、他に何人かいるそうで、品川以南は松右衛門という非人頭が仕切っている。


 この場合は関係ないとホッと胸をなでおろす。


「では、増上寺の近くでは……」


「ああ、それがいい。門前なら町人も多いだろうしな」


「他の講釈師がいたら……」


 何事にも気を使う性質たちなのか、心配事は増えるばかりだ。


「うん、それなんだが――」


 乞胸頭・仁太夫が話を引き取る。


「どうせ吉さんは金にゃ頓着ないだろう。事情を話していくらか包めば同じ稼業だ、引っ込んでくれるだろうよ。仮にゴネ出したときは俺にケツ持って来い。渡世の仁義ってえのを教えてやる!」


「仁太夫殿、ありがとうございます」


 私は二人の頼れる頭たちに頭を下げた。善七が呆れ顔で話を戻す。


「しかし、おめえも物好きだな。やっぱりアレか、義理ってヤツか?」


「はあ、結城殿には感謝してもしきれません。この先、戯作者としてもやっていけそうな気がしております」


「戯作ねえ……」


「吉さんなら売れっ子になれるぜ」


「はい、精進いたします」


 場所換えの許可ももらったし、将来の職についても賛同してもらえた。

 私は気分よく非人屋敷を辞する。


「明日からは芝か……やはり頭からやらないとダメだろうな……」


 その日はそのまま裏長屋に帰った。


 次の日から私は昼過ぎまで浅草界隈で講釈を打ち、その後芝に向かうことにする。勿論、駕籠に乗れる身分ではないので歩いて。


 話には聞いていたが、武家屋敷が多い。うっかり無礼でも働いたら命がないと、武家の出でありながら不安になった。

 幸い、芝には寺も多く、浅草とは雰囲気が違うが、町人の姿もかなりあった。それも参詣に来ているので、暇な人も多いだろう。


 同業者に出くわすこともなく、私はある寺の門前で幟を立てた。


「さて、お急ぎでない方はよってらっしゃい。今流行りの唐物講釈でございます」


 客層が全く初めてであったので、呼び込みからしなければならない。


 ところで結城殿のお知り合いとやらは来てくれるのだろうか。

 そんな心配をしながら、『明末忠臣一代記』の講釈を一から始める。


 ここらでは講釈師そのものが珍しかったとみえ、道行く人が必ず振り返ってくれた。

 だが、人だかりが定着するまでは結構時間がかかる。

 私は人が入れ替わるたびに触りの部分を何度も繰り返した。


 めげずに続けたおかげか、始めて一刻もすると話に夢中になる人たちが出てくる。この機を逃してなるものかと、講釈にも熱が入った。


 近くの寺の鐘の音が聞こえてくる。

 暮れ六つだった。

 私はそこで第一回を終え、いつもの決まり文句で締める。


「――さて、続きはどうなるか。次回をお聞きあれ」


「もう終わりかよ!」


 初めての聴衆はありがたいのか迷惑なのかわからない反応をしてくれる。


「はい、続きは明日……」


「きっとだな!」


「はい。ごひいき、ありがとうございます」


 これが江戸っ子らしい物言いというのか、私は喜ぶことにして、その日は芝を後にした。




 それから三日過ぎる。芝での講釈もだいぶご贔屓さんがついて、語るのもやりやすくなってきた。


 そう思っていると、一度客が引けたので少し道端に腰を下ろしていたとき、不意に私に声をかけるものがあった。


「おう! 見ねえ顔だな。誰に断ってバイしてるんだ?」


 こんな口の利き方だったが、見ると相手はれっきとした武家の人間である。しかも、黄八丈に袋羽織、どう見ても奉行所の同心だった。後ろには目明しらしき男の姿もある。


「あ、はい。乞胸頭の仁太夫殿から鑑札を承っております」


 私は慌てて立ち上がり正直に答えた。相手は不満そうである。


「チッ。見せてみな」


「はい……お改めを……」


 私は言われたとおり懐から鑑札を取り出した。

 だが、その同心は見ようともしない。ただ腕を突き出しているだけであった。


「あの、お改めを……」


「チッ。おめえ、いつからこのバイしてんだ?」


「は? はあ、半年ぐらいですが……」


「チッ、それでよく勤まったな。刀は持っちゃいねえが、武家の出だろ」


 確かに、ぼろとはいえ袴履きだし、髷も浪人髷である。


「はい、情けないとは思いますが、その通りです」


「チッ、気がきかねえから浪人なんてするんだよ」


「全く持って面目ない」


「チッ、まだわかんねえか」


「はあ?」


 そうは言われても、わからないものはわからないのだが……

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